23:何もしないで

 私たち以外に誰もいない、狭く細い路地裏で。

 私は漣里くんに平謝りしていた。

「本当にごめんね」

「もういいって。気にしてないって言ってるだろ」

 繰り返しの謝罪にいい加減うんざりしてきたらしく、彼の声に迷惑そうな響きが混ざったのを察知して、口を閉じる。

 でも、本当に……何回謝っても足りない。

 みーこは決して悪い子じゃない。

 そんなことは付き合いの長い私が一番良くわかってる。

 生徒の間で流れている数々の悪評が全部嘘だとわかったら、彼女は心強い味方になってくれたはずなのに。

 言わなくても良いことを言わせて、漣里くんを傷つけて、私の馬鹿。大馬鹿者……。

「……心配しなくても、みーこ? が、悪い奴じゃないっていうのはわかってるよ」

 猛省のまま項垂れていると、頭を軽く叩かれた。

「だから、そんな顔するな」

 俯いていた顔を上げる。

 目が合うと同時に漣里くんは手を下ろし、小さく頷いてみせた。

「あんな噂を知ってて、友達をはいどーぞって差し出すほうが問題だと思う。でもあの人は、俺が噂通りの奴だとしたら後でどんな報復を受けるかわかったもんじゃないのに、俺から真白を守ろうとしてた。あんな友達は貴重だ。大事にしたほうがいい」

「…………うん」

 やっぱり漣里くんは優しい。

 こんな愚かな私を気遣ってくれている。

『大事な奴』だって、みーこにも言ってくれた。

 どうしてこんなに優しい人が、皆にあんな目で見られなきゃいけないんだろう。

 漣里くんはあれが日常風景なの?

 私だったら、耐えられる自信がない。

 それでも、漣里くんは黙って、虐めの被害者を庇い続けているんだ……。

 胸がぎゅうっと、苦しくなった。

「みーこには後で説明するから。漣里くんが殴った相手が五組の野田くんだっていうのはさっき初めて知ったし、女の子を階段から突き落とすなんてとんでもない噂も初めて聞いたけど……とにかく、あれもこれも全部嘘で、そんな人じゃないって言うよ! みーこは絶対、話せばわかってくれる子だから!」

 語尾を強めて訴え、胸の前で両手を握る。

「漣里くんは私の大事な彼氏だって、みーこにも他の子にもちゃんとわかってもらうから――」

「それなんだけど」

 漣里くんは言葉を遮り、まっすぐな目で私を制した。

「俺たちが付き合ってることは、やっぱり内緒にしといたほうがいいと思う」

「……え」

 思いも寄らない言葉。

「さっきの皆の反応見ただろ。俺と付き合ってることを公表すれば、真白まであんな視線に晒される。何度も気にしないって言ってくれたけど、俺は気にする。俺は慣れてるしどうってことないけど、真白まで白い目で見られるのは我慢ならない」

「私は大丈夫だよ!」

 縋るように叫ぶ。

 漣里くんと付き合うようになって、新学期が近づくにつれ、色んなことを考えた。

 もし学校で――たとえば移動教室や体育の授業の行き帰りで――偶然漣里くんと顔を合わせることがあれば、恋人らしく笑顔で手を振ったり、挨拶したりしたい。

 好きな人とお昼を一緒に食べるとか、最高すぎる!

 なんだかいいなぁ、それって幸せだなぁ、なんて空想しては悦に浸っていたのに。

 付き合っていることを伏せるとなれば、楽しい空想も全部ご破算だ。

「それに、この際だから言っちゃうけど……私、文化祭のダンスパーティー、漣里くんと踊れたらいいなって思ってたんだよ?」

 文化祭――通称『時海祭』の二日目の後夜祭には、伝統的な恒例行事がある。

 それが生徒会主催、夜のダンスパーティー。

 しかもなんと、服装は自由。

 制服で参加する生徒もいれば、文化祭で着た衣装で参加する生徒、この日限りの自作コスプレを楽しむ生徒、あるいはドレスを着る生徒。

 ダンスパーティーは実にカオスで、楽しい空間が繰り広げられる、裏のメインイベントともいえる行事なのだ。

 去年はお相手がいなかったから、みーこと踊ってみたり、生徒会の手伝いみたいなことをしてたけど、今年は違う。

 花火大会の無念も込めて、今度こそ綺麗に着飾って、漣里くんと踊りたいなって……思ってたんだよ。

 漣里くんと手を繋いで踊るなんて、まるで夢のようなシチュエーション。

 そういう目立つ行動は、照れ屋の漣里くんは嫌いかもしれないけど。

 文化祭が近づいて来たら、駄目もとで誘ってみようと思ってたんだよ。

「楽しみにしてたんだけどな……」

 おねだりの意味も込めて、じっと見つめる。

 けれど。

「いや、皆の前で踊るとか無理」

 悩む余地もなく、即却下された。

 ……うん、そうだよね。漣里くんはそういう人じゃないよね。

 皆の前で踊るって言ったって皆も踊るんだよー、踊らない人は講堂で寂しく待機なんだよー、トランプ大会とかするしかないんだよーって説得したところで、漣里くんが踊るところってあんまり想像つかないもんね。

 彼は賑やかなダンスパーティーよりも、講堂の片隅でひっそり携帯ゲームするほうが良いんだろうな。

 やっぱり駄目かぁ……。

 ええい、落ち込んでる場合じゃない!

 ダンスパーティーのことは残念だけど、それよりもいまは大事なことがある!

 私はぷるぷると頭を振って、気持ちを切り替えた。

「うん、わかった。ダンスパーティーのことは諦める。でも、付き合ってるのを隠すっていうのは無理じゃないかな? 夏休みにも何度か一緒に歩いてるところを見られてるし、さっきだって私、それなりの人の前で言っちゃったよ?」

 思えば、漣里くんが冷たい目をしていたのも、他人行儀に深森先輩って呼んだのも、わざと私を遠ざけようとしていたからなんだ。

 でも、私は空気を読まずに漣里くんの気遣いを台無しにした。

 そのことについては後悔なんてしていない。

「もう手遅れだよ。私は本当に大丈夫だから。多少のことでへこたれるような、そんなやわな子じゃないって、前も言ったでしょ?」

「だから、真白が良くても俺が良くないんだよ」

 なだめるように手を振る私に、漣里くんは微妙に苛立った声で言った。

「真白の悪口言ってる奴を見つけたら殴ると思うし」

「いやいや、そんなの駄目だよ」

 その光景を想像でもしているのか、全身から怖いオーラを発散している漣里くんに、苦笑する。

「漣里くんって、意外と手が早いの? やだなぁ、怖いこと言わないで」

 私は笑ってごまかそうとした……んだけど。

「いや、本当に殴る。脊髄反射の勢いで」

 ええと、あの……漣里くん、目が据わってるよ?

 つうっと、嫌な汗が頬を伝う。

 これは笑って済ませられないみたいだ!

 野田くんを殴ったことといい、漣里くんって武術でも習ってたの!?

 いくら彼女が悪口言われたからって、即座に手が出る男子って珍しいと思うんですけども!?

「そんなことしたらますます漣里くんが悪者だと思われちゃうから!? 気持ちは嬉しいけど止めて、ね!?」

 大慌てで、彼を落ち着かせるべく腕を叩く。

 漣里くんは気持ちを静めるように息を吐き、私を見つめた。

「とにかく、これは俺のわがままだから」

 真剣な目に、私は腕を叩く手を止めた。

「聞いてほしい」

「………………」

 私は無言で、手を下ろした。

 ずるい。

 そんな目で見つめられたら――何も言えなくなっちゃうよ。

 お願いなんて、普段あんまり言わないくせに。

 好きな人が、自分のためを思って言ってくれてるのを知ってて、どうして嫌だなんて拒絶できるだろう。

 漣里くんが私のせいで誰かを殴るところなんて、見たくないに決まってる。

 ……でも。

 何度も私の中で生まれた疑問が、また浮上してくる。

 そもそも、どうして漣里くんがこんなに気を遣わなきゃいけないんだろう。

 悪評の発端は、漣里くんが誰かを庇って野田くんを殴ったこと。

 だったら、その庇われた誰かは、現状をどう思っているんだろう?

 どうして漣里くんが野田くんを殴った理由を言ってくれないんだろう。

 その人が事実を言ってくれたら、それで漣里くんは全てのしがらみから解放されるはずなのに。

 沈黙を保っているのは、保身のためなんだろう。

 虐められていた事実を公表するのは誰だって勇気がいることだ。

 でも、漣里くんが酷いことを言われているのに。

 その人の耳にも漣里くんの悪評は届いているはずなのに、なんとも思わないの?

「……うん。漣里くんの気持ちはわかった」

 頷くと、漣里くんは少しだけほっとした顔をした。

 これで私を守ることができたと思ってるんだろう。

 でも残念。

 私は理不尽を前にして、おとなしく引き下がるような人間じゃない。

「じゃあ、悪評をどうにかしよう」

 ぴっと親指を立ててみせる。

「…………え?」

 漣里くんは目を丸くした。

「だって、こんなのおかしいじゃない。どうして漣里くんが皆から嫌われて、敬遠されなきゃいけないの? 漣里くんが何をしたっていうの? 虐められてた人を庇っただけでしょう? 漣里くんの台詞を借りるなら、漣里くんが良くても私が嫌なの!」

 漣里くんはいまでも虐められた人を庇い、無表情の裏で全ての痛みを引き受けて、抱え込んでいる。

 でも、そんなの許せない。

 ほとんどの生徒が漣里くんを誤解している現状が許せない。

 熱中症で倒れた私を介抱してくれた漣里くんの優しさを、時折見せてくれる笑顔の魅力を、声を大にして訴えたい。

 だから、これは完全に、私のわがままだ。

「私は現状を変える。悪く言う人たちの認識を改めさせて、漣里くんが誰にも遠慮せず、ありのまま笑って過ごせる未来を創るの!」

 宣言して、両手を横に広げ、にっこり笑う。

 漣里くんは呆然としたように私を見た。

 彼の反応からしても、我ながら、いまのはばっちり決まった――と、思ったんだけど。

「いや、いい」

「へっ!?」

 一秒後には無表情に戻った漣里くんから、まさかの拒否の言葉を受け取った私は、こけそうになった。

 壁に手をついて体勢を立て直し、詰め寄る。

「な、なんで? 漣里くんはいまのままでいいの?」

「いいよ。笑って過ごせるって言ったって、元々俺、そんなに笑うことってないし」

「……そ、それはそうかもしれないけど……」

 そう言われてしまうと、返す言葉に困る。

 残念ながら漣里くんは表情に乏しく、ついでに協調性もあまりない。

 その点については誰よりも本人が正しく理解しているみたいだ。

「でも――」

「何より、いじめの事実が明るみに出たら、あいつが困ることになるから」

「……」

 私は、今度こそ口を閉じた。

 もしかして、漣里くんと庇われた人は、友達なのかな?

 漣里くんは無愛想でぶっきらぼうだけど、本当はとても義理堅くて、情に厚い人。

 友達少ないって言ってたし、希少な友達を守ろうとしてるのかな……

 だとしたら、私がやろうとしてることは漣里くんにとって迷惑にしかならないのかもしれない。

「……じゃあ、信頼できる人にだけになら、打ち明けてもいい?」

 それだけ言うのが精いっぱいだった。

「……ああ。そこら辺の判断は任せる。でも、言いふらすようなことはしないで」

「……うん」

 漣里くんは本当に、現状を変えるつもりはないみたいだ。

 この先もずっと、『誰か』のために被らなくてもいい泥を被り続けるつもりなんだ……

「……この話はこれで終わりにして、そろそろ行こう。遅刻する」

 黙り込んでいると、漣里くんはそう促した。

 確かに、もうそろそろいかないと始業式に遅刻してしまう。

「真白、先に行って。俺も少ししたら行くから」

「……。わかった」

「学校では他人を装うけど、メールとかはするから。ちゃんと」

 歩き出した私の背中に、そんな声がかけられた。

「ごめんな」

「…………」

 どうして漣里くんが謝らなければいけないのだろう。

 なんと答えればいいのかわからず、口元を引き結び、路地裏を後にする。

 漣里くんと堂々と一緒に歩けないのが、悔しい。

 前方で楽しそうに話しているカップルから目を逸らし、私はそっと唇を噛んだ。

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