20:繋いだ手のぬくもり

「………………………………」

 はて?

 これは私の妄想だろうかと見つめてみても、彼は煙のように消えたりはしなかった――ああ、この感じ、懐かしい。

 まるで出会ったときの再現だ。

 あのときと違うのは、漣里くんが目に見えて不機嫌そうであること。

 私がうずくまって泣いていること。

 改めて考えると、色々違う。ちっとも再現になってない。

 あの頃の漣里くんは無表情だった。

 こんなふうに、感情を表に出すこともなかった。

「……漣里くん?」

 私は呆けた声で呟いた。

「友達らしき人はいなさそうだけど。何。見捨てられた? それとも最初からいなかった? だとしたらなんでそんな嘘ついたわけ」

 漣里くんは私の前に屈んで、目を細めた。

 夢、じゃない。

 彼が私の目の前にいる事実は、決して、夢じゃない。

「……あ……」

 瞬きした拍子に、涙が零れ落ちていった。

「足を挫いたなんて、ありのままの現状を伝えて、困らせたくなかったの。だって、私は、迷惑かけてばっかり……」

 しゃくりあげる。

 優しい漣里くんは、きっと助けてくれると思った。

 でも、その優しさに甘えたくなかった。

 見捨てられてもいいから、漣里くんには楽しんでほしかった。

 ――嘘だ。詭弁だ。

 だって、私はこんなにも喜んでしまっている。

 彼が来てくれて嬉しいって、全身の細胞が叫んでる。

 漣里くんは私の膝を見た。

 まだ泥で汚れているから、転んだことはすぐにわかったのだろう。

 そして、左足首を見て、ため息をつく。

「何か言うべきことがあるんじゃないのか」

「……あの……」

 ごめんなさい。ありがとう。

 言うべき言葉はたくさんある。伝えたい言葉がたくさんある。

 でも、色んな感情がごちゃ混ぜになって、胸がいっぱいで、とっさに出てこない。

 何も言わない私に焦れたのか、漣里くんは無言で私の額に右手を近づけ。

 びしっ。

「いたっ!?」

 デコピンを喰らって、私は額を覆い、目をぱちくりさせた。

「嘘をついた罰」

 すぐ目の前にいる漣里くんは仏頂面でそう言った。

「真白が約束をドタキャンするような奴じゃないってことは、知ってんだよ、馬鹿」

 ……そうか。

 漣里くんは、私のことを信じてくれたんだ。

「……ごめんなさい」

 涙が顎を伝って、地面に落ちる。

 私は本当に、馬鹿なことをした。

 漣里くんが怒ってるのは、長いこと待たせたせいじゃない。

 白々しい嘘をついて欺こうとしたからだ。

 助けてって、最初から言えば良かった。

 意地もプライドも投げ捨てて、素直に謝って、頼れば良かったんだよ。

「よろしい」

 彼は口元を歪めて笑う。――笑った。

 こんな馬鹿な私にも、漣里くんはまだ笑ってくれる。

 私はもう、笑い返せばいいのか、感情のままに泣けばいいのかわからず、泣き笑いのような状態になってしまう。

 それから、漣里くんは私に背を向けて、中腰の姿勢になった。

「乗って」

「え。でも」

「いいから乗れ。時間がもったいない」

「……はい」

 私は恐る恐る、漣里くんの肩に腕をかけ、その背中に乗った。

 漣里くんは私を背負って立ち上がり、歩き出した。

 川の方向へ――花火大会の会場に向かって。

「いまから行っても、後半には間に合うだろ」

 彼が歩くたびに、その振動が私に伝わる。

「うん」

「三十分でも、見られないよりはいいよな」

「うん」

「その浴衣、似合ってる」

「……ありがとう」

「あと、やっぱり真白、重い」

 ――重い。

 朦朧とする意識の中で聞いた声が、いまの漣里くんの声と重なる。

「……うん。ごめんね」

「謝ってほしいわけじゃない」

 この言葉も、前にも聞いた。

 私の荷物を自転車に載せて、一緒に歩いた帰り道。

 彼はぶっきらぼうにそう言った。

「事実を言っただけ」

「そっか。私、重いよね。ダイエット頑張る」

「それは必要ないと思う。痩せてるほうだと思うし」

「でも、重いんでしょう?」

「誰だって背負えば重いと感じる。軽い人間なんていない」

「なにそれ。結局、私はどうすればいいの」

 私は漣里くんの背中で、小さく笑った。

「何もしなくていいよ」

「…………」

「そのままでいい」

「……うん」

 ぎゅっと、腕に力を込める。

「ねえ、漣里くん」

 耳元で囁く。

「ありがとう」

 好きだとは言わない。

 だって、私たちは友達だもの。

 気持ちを伝えるのは、漣里くんに受けた恩を返してからだ。

 受けた恩が大きすぎて、いつになるかわからないけれど。

「どういたしまして」

 漣里くんは少し苦しそうな呼吸の狭間で、そう言った。

 思いがけないほど、柔らかい声だった。

「お礼はどうしたらいい?」

「いらない。もう十分もらってる」

「嘘だ。私、何もしてない」

「そう言えるのが、真白の凄いとこ」

「?」

「あ、一つ思いついた。してほしいこと」

 漣里くんはふと思いついたような口調で言った。

「何? 私にできることなら、なんでもする」

 私は身を乗り出すようにして尋ねた。

「じゃあ、彼女になって」

「…………」

 全身から力が抜けた。

「え、それって」

 頭が混乱する。

 ……彼女?

 聞き間違いかと思ったけど、斜め後ろから見た漣里くんの横顔は赤くなっていた。

 暗闇でもそうとわかるほど赤い。

 冗談……じゃない、みたいだ。

 え、嘘。

 友達だからと、たったいま、自分の気持ちにセーブをかけたばかりなのに。

 セーブしなくてもいいの?

 その先を望んでいいの?

 私が漣里くんの彼女になって、いいの?

 まさか、こんなこと――信じられない。

「…………」

 どうしよう。何て返せばいいんだろう。

 突然すぎて頭が働かない。

 夢でも見ているんだろうか。

 やっぱりこの漣里くんは、都合の良い私の妄想なんじゃないだろうかとすら思い始めた。

 現実の私は滑って転んで、そのまま頭でも打って気絶してるんじゃないんだろうか。

 ああ、でも、それでもいい。

 夢なら永遠に覚めなくたって構わない。むしろどうか覚めないで。

「わ、私で良ければ……喜んで」

 ぎゅうっと抱きしめる。

「…………」

 何故か、漣里くんは少しの間、動きを止めた。足すら止まっている。

「漣里くん?」

「……あんまり抱きしめると胸が当たる、から」

 漣里くんは顔を真っ赤にして、声を絞り出すように言った。

「!!! すみませんっ!!」

「暴れるな落ちる!」

 私は初めて、漣里くんの慌てた声を聞いた。



 コンクリートの土手に二人で並んで、夜空を見上げる。

 土手には私たちの他にもたくさんの人が座っていた。

 本格的なカメラの構えて写真を撮っている人もいる。

 終盤に差し掛かった花火は、目を奪うほどに美しい。

「……綺麗だな」

 漣里くんは土手の向こう側に見える花火を見て、呟くように言った。

「うん」

「諦めなくて正解だっただろう」

「……うん。漣里くんのおかげだよ。私一人じゃ諦めるしかなかったもの」

 次々と夜空に咲く花火を見て、私は微笑んだ。

 花火も綺麗だけど。

 漣里くんが傍にいる現実が、何よりも嬉しい。

「……ねえ、漣里くん」

 肩を並べて夜空を見上げながら、私は尋ねてみた。

「何」

「手を繋いでもいい?」

 漣里くんは沈黙した。

「やっぱりダメだよね」

 えへへ、と苦笑する。

「ごめん、忘れ」

 て、と言うよりも先に、私の手に漣里くんのそれが重なっていた。

 驚いて、漣里くんの横顔を見る。

 彼の頬は、外灯が照らす夜の中でもわかるくらい、赤くなっている。

「…………」

 私は手をくるりと半回転させて、彼の指に自分の指を絡めた。

 さすがにこれは拒否されるかなと思ったけど、彼は振り解こうとはしなかった。

「……手のひらには相手の心に訴える力があるんだよな」

「? うん」

「なら、俺が考えてることもわかる?」

「……これからもよろしく?」

 私は花火を視界の端に捉えながら、首を傾げた。

「……。まあ、それでもいいや。よろしく」

「こちらこそ」

 連続で花火が上がり、私は正面に向き直った。

 次々と夜空を彩る花火に目が奪われる。

 ぎゅっと、繋いだ指先に力をこめる。

 綺麗だね。それを伝えるために。

 彼は手を握り返してきた。

 言葉なんていらない。

 私の手を握り返してくる温もりがあれば、それだけでいいと、そう思った。

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