17:自覚した恋心と気になる発言

「…………」

 一足先に横断歩道を渡り終え、店の前で葵先輩を待っていた私は、一部始終を見ていた。

 学校の外でも声をかけられるなんて……改めて葵先輩の人気を思い知ったような気がする。

 本人を前にして大はしゃぎする四人組も、ある意味凄かったけど。

「ごめんね、待たせちゃって」

 葵先輩が渡りきったところで、信号が赤に変わった。

 車が走り始めるのを尻目に、二人並んで歩き出す。

「いえ。……凄いですね、葵先輩の人気は。私が並んで歩いててもいいのかなって思っちゃいます」

「いいんだよ。彼女たちは多分、僕の外見にしか興味がないから。中身なんてどうでもいいんだ」

「葵先輩は、中身も十分に素敵な方だと思いますけれど」

 首を傾げると、葵先輩は困ったような顔をした。

「どうだろうね。付き合ってた彼女からは、気疲れするって言われたけど」

 何気ない調子で放たれた発言に、私はびっくりした。

「えっ。そんなこと言われたんですか?」

「うん」

 葵先輩は表情を曖昧に溶かして、静かに語った。

「僕があまりにも完璧だから、一緒にいて苦しいんだって。僕は僕なりに彼女のことを大切にしてたつもりなんだけど、それが重かったらしいよ。僕が良い人すぎて気詰まりするんだって言ってた」

 細道に入り、私のアパートがある方向へ歩きながら、葵先輩は微苦笑する。

「言われて困る台詞だよね。褒めてるようで、その実は非難されてる、とても複雑な言葉。だったら僕はどうしたら良かったんだろうね。完璧って、何が完璧だったんだろう。僕はそんな大層な人間じゃないのに」

 口元に刻まれていた微苦笑が、蝋燭の火を消したように、ふっと消える。

 在りし日の残像を見ているような、遠い目をして、葵先輩は淡々と喋り続ける。

「彼女は僕のどこを見て完璧だと思ったんだろう。人より多少は良く見える見た目のこと? それとも成績? 少しでも良い人だと思われたくて、善人であろうとしたこと? 車道側を歩いたのも、長時間の買い物に付き合ったことも、その荷物を全部持ってあげたのも、それは全部、彼女のためだったんだけどね。良かれと思ってしたことが全部裏目に出たのかな。男女交際って難しいね」

 その言葉で締めくくって、葵先輩は口を閉ざした。

「…………」

 生温い風に吹かれながら、私は返す言葉を考えていた。

 カップルが私たちの傍を歩いていった。

 楽しそうなカップルとは真逆に、葵先輩の表情は憂いに満ちている。

 どうしたら別れずに済んだのかを真剣に考えているようだった。

 真面目で優しい彼は、自分の中に非を探そうとしている。

 通り過ぎた小さな居酒屋の店の中から、野太い歌声が聞こえてきた。

 中年のおじさんが熱唱しているらしい。歌に合わせて手を叩く音もする。

 その歌声が聞こえなくなってから、口を開く。

「話を聞く限りでは、葵先輩も、彼女さんも、誰も悪くなかったんだと思います……けど」

「けど?」

 その一言に興味を引かれたらしく、葵先輩がこちらを向いた。

 人気のない駐車場の傍で立ち止まると、葵先輩も立ち止まった。

「その彼女さんは、物凄ぉくもったいないことをしたなーというのが正直な感想です」

 私は『物凄く』を強調した。

 だって、本当にもったいないと思うんだもの。

 そうだ、私だったら。

「私だったら、葵先輩みたいな素敵な人の彼女になれるんだったら、誰に何を言われようが、どんなに無様だろうが、彼女の座を譲りませんよ。齧りついででも死守します」

 身体の脇でぐっと両手を握ってみせる。

 葵先輩は目をぱちくりさせながら、私の言葉を聞いていた。

「部外者が失礼を承知で言いますけど、彼女に足りなかったのは努力です。完璧すぎて疲れるなんて、ただの言い訳じゃないですか。だったらその『完璧』とやらにつりあうほどの努力をすれば良かったんです。彼女には葵先輩が『彼女にしたい』と思えるような魅力があったんでしょう? その魅力を最大限に引き伸ばしたり、他の魅力を作る努力すら放棄して、葵先輩に責任転嫁して別れようなんて、ずるいですよ。葵先輩が気に病むことなんてありません」

 私はきっぱりと告げて、大きく頷いた。

「大丈夫です。きっと、彼女以上の素敵な女の子が現れますよ。というか、葵先輩の周りには既にたくさんの女の子がいると思います。葵先輩の魅力に恐れを成して逃亡した元カノのことなんて忘れて、次の恋に目を向けてください。そして幸せになって、元カノに『ざまあみろ』って心の中で高笑いしてやればいいんです!」

「……真白ちゃんって、意外と言うね」

 力説すると、葵先輩が真顔で呟いた。

 どうやら葵先輩の中で私は善人に分類されていたらしい。

 それはとても嬉しいけど、残念ながら実態は違う。

 そうであればいい、とは思うけれど。

「言いますよ。私は『良い子ちゃん』じゃありません」

 苦笑する。

「色んな不満や愚痴を抱えて、悩みながら善人であろうとしてるだけの、ただの人です。凡人だからこそ、人は努力するんです。生まれつき完璧な人間なんていませんよ。完璧なんてつまらないです。それってもう完成されていて、成長ののびしろすらないってことでしょう? だったら葵先輩は違いますよ。実は私、一緒に出かけたとき、漣里くんに聞いたんですよね。葵先輩って、料理が苦手なんですよね?」

「…………!」

 葵先輩の表情が大きく動揺を示した。まさか知っているとは思わなかったらしい。

 すみません、葵先輩。漣里くんに色々聞いちゃいました。

「見た目はとてもおいしそうなのに、どういうわけか破滅的な味になっちゃうんですよね。だから、料理当番のときはインスタントか、近所のスーパーでお惣菜を買って済ませるって聞きましたよ。熱中症で倒れた私に出してくださった料理がそうめんだった理由、わかっちゃいましたよ。あのときは葵先輩が料理当番だったんですよね」

 茹でるだけのそうめんなら、どれだけ料理が下手でも間違いはない。

 葵先輩は元々手先が器用な人で、抱えている問題は味付けの一点だけなのだから。

「あと、片付けが苦手なのも知りました。やると物凄く綺麗に片付けるのに面倒くさがりで、部屋の中は脱いだ服もそのままだって聞いちゃいましたが」

「…………。うん。わかった。帰ったら漣里に説教しとくね。お前は何を暴露してるんだって」

「あっそれはダメです! 怒らないでください! すみません余計なことを言いました! 聞かなかったことにしてくださいお願いします!」

 にっこり笑った葵先輩を、私は慌てて止めた。

 このままでは漣里くんが怒られてしまう!

「本当にすみませんでした! もちろん誰にも言いませんから!」

「どうしよっかな」

 葵先輩は軽い口調でそう言って、あさっての方向を向いた。

 えっ、葵先輩ってこんなことも言うんだ?

 ちらっと私を見た目が、なんだか楽しそうだ。

 こんな無邪気な、少年のような顔も持ってたんだ。穏やかに微笑んでいるイメージしなかった。

 いや、でも、響さんがセクハラ発言をしたときは容赦なかったよね。

 てっきりあれが特別なんだろうと思い込んでたけど、意外とそうでもないのかな。

「…………」

 縋るように見つめていると、葵先輩は愉快そうに笑った。

「冗談だよ。怒ったりしない」

「よ、良かったです……」

 大きく息を吐いて脱力する一方で、思う。

 元カノは葵先輩のこんな一面を知っていたのかな。

 知ってたら『完璧な人』なんて言うかな?

 ひょっとしたら彼女は、温和な王子様の顔しか知らなかったんじゃないかな。

「……元カノに、あなたはどこを見て葵先輩が完璧だと思ったのかと問い詰めたいですよ。料理っていう可愛い欠点も知らずに別れちゃうなんて、なんてもったいないことをしたんでしょうね」

「だよね。全然完璧じゃないのにね。言われた通り、次は元カノ以上の素敵な彼女を見つけてみせるよ」

 何かが吹っ切れたらしく、そう言った葵先輩の表情は明るさを取り戻していた。

「はい。葵先輩ならきっとすぐに良い人が――」

「真白ちゃんがいいんだけどな」

 言葉を遮っての爆弾発言に、私は笑顔のまま固まった。

「………………はい?」

 いまなんと仰いました?

「付き合ってって言ったら付き合ってくれる?」

 葵先輩は微笑んで、私の手を取った。

「…………え?」

 ちょっと待ってください?

 なにこの急展開。

「冗談……ですよね?」

 保っている笑顔に亀裂が入ってしまいそう。

 そうだよね、からかってるだけだよね。

 私の一体どこに葵先輩の気に入る要素があるっていうんだろう。

 成績も容姿も平凡。突出した特技もなし。

 私の魅力を挙げてくださいっていうアンケートを取ったら全員白紙で出されてしまいそうなレベルなのに?

「割と本気なんだけどな。真白ちゃんなら僕の彼女になったら、全力でその座を守るべく努力してくれるんでしょう? 僕は努力家な女の子が好きなんだ。漣里が色々と吹き込んでくれてるみたいだし、もう猫被る必要もないよね?」

 ね、猫被る? 普段の態度は演技ってこと?

 微笑みながらも容赦なく響さんを殴ってた、あっちのほうが素顔なの?

「僕の彼女になるのは嫌?」

 葵先輩は私の手を持ち上げて、唇に近づけた。

 まるでキスを落とす寸前のような、求婚されているようなポーズに、否応なしに胸が高鳴って、頬が熱くなる。

 ちょっと待って? 本当に待ってください!?

 急展開すぎて脳がついていけないんですけど!?

「え、え、えと、あの……」

 何かが。何かが物凄く間違っている気がする。

 そうだ、何より重要な主役の人物が違う。

 王子様の相手役はお姫様じゃなくちゃいけない。

 庶民でありながらこんな展開が許されるのはシンデレラだけだ。物語の世界だけでしょう!?

 私じゃダメだ。私なんかじゃもったいない。

 それに――それに、何より――

 ふっとよぎったのは、玄関で強引に私の手を取って歩き出した背中。


 あの手と、この手の温もりは、違うんだ。


 彼の姿が脳裏によぎった瞬間、私は葵先輩の手から抜き取るように自分の手を引っ込めていた。

 予想よりも遥かに簡単に手が抜けたことに、内心で拍子抜けしつつ、私は手を下ろした。

「……すみません。お気持ちは本当に嬉しいんですが、無理です」

 葵先輩が本気なら、私は謝ることしかできない。

 だって、気づいた。たったいま、気づいてしまった。

 この手じゃないって。

『違う』って、心が強く訴えた。

 皆から王子様と讃えられている人でも、違うんだ。

 私の心にいるのは、この人じゃない。

「いま誰の顔が思い浮かんだ?」

 葵先輩は気を悪くした様子もなかった。むしろ穏やかに微笑んですらいた。

「……漣里くんです」

 正答を返すことが、私にできる精いっぱいの誠実だった。

「そう、良かった」

 良かった?

 ふられたにしては違和感しかない台詞に、私はきょとんとしてしまう。

「ごめん、いまの全部嘘なんだ」

 葵先輩は茶目っ気たっぷりの笑顔で言った。いっそ清々しいくらいの満面の笑顔だった。

 ええええええええええ!?

 人の心臓を爆発寸前まで追い込んでおいて!?

 唖然としながらも、心のどこかで納得していた。

 でも、確かに手は簡単に抜けたんだよね。驚くくらいにあっけなく。

 それはつまり、葵先輩がそれほど力を込めて私の手を握っていなかったという証拠。

「君の気持ちを確認したかっただけ。僕は弟に恨まれてまで真白ちゃんを彼女にしようとは思わないから、安心して」

「……たちの悪い冗談は止めてください……もう本当に心臓が爆発するかと思ったじゃないですか……」

 額を押さえ、深々とため息をつく。

 葵先輩は「ごめんごめん」と笑って、また歩き出した。

 私はもう一度息を吐いてから、その背中を追った。

 そうだよね、葵先輩が私を彼女にしたいと思うわけがないよね。

 騙されて悔しいような気がするけれど、冗談で良かっ……

 ………………ん?

 何かが引っかかって、さっきの葵先輩の言葉を脳内で巻き戻す。

 ――僕は弟に恨まれてまで真白ちゃんを彼女にしようとは思わないから。

 弟に恨まれてまで?

「……葵先輩、ちょっと待ってください。漣里くんに恨まれるって、どういうことですか?」

 私は小走りに葵先輩の隣に並んだ。

「さあ。その答えがわかるのはもう少し時間がかかるんじゃないかな。あいつのことだから意外とすぐぼろを出しそうな気もするけど、そこはまあ、お楽しみということで」

 葵先輩は唇に手を当てて微笑んだ。

「??? 意味がわからないんですけど」

「焦らない焦らない」

 葵先輩は笑ってはぐらかすばかりで、それ以上は教えてくれなかった。

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