16:緊張する帰り道

 ちょっと遅くなっちゃったな。

 バスの窓の外に広がる夜景から、私は腕時計へと視線を移した。

 時刻は夜八時半過ぎ。バイトが終わって、ファミレスでみーこのお姉さんや先輩方と雑談している間に、いつの間にかこんな時間になってしまった。

 昨日から私は郊外の子供向けのアミューズメントパークの一角で、キャラクターグッズの販売スタッフとして働き始めた。

 グッズの販売や商品の陳列、品だしなど、仕事内容はコンビニとそう変わらない。

 でも、当然ながら客層も、取り扱う商品も全然違う。

 何より訪れるお客さんの目的が違う。ほとんど家族連れで占められたお客さんたちは、楽しむために来ているのだ。

 素敵な思い出作りの一助になればと、私は今日、購入したグッズを着込んでコスプレしている女性と子どもに向かって、カメラを構えていたお父さんらしき若い男性に、勇気を出して「お写真お撮りしましょうか?」と声をかけてみた。

 すると、その人は笑顔で「ありがとう」と言ってくれた。

 お客さんに笑顔でお礼を言われる喜びは、何物にも変えがたい。

 お盆休みだから目が回るほど忙しくて大変だったけど、誰かを笑顔にする仕事はやり甲斐がある。

「あと二日、張り切っていきまっしょい!」って、ついさっき、みーこのお姉さんとピースサインで別れたばかりだしね。

 みーこのお姉さんは明るくて、一緒にいてとても楽しい人だ。

 同じ販売スタッフの中にはちょっと怖くて苦手な人もいるけど、彼女がいるから、なんとかなりそう。

 あと二日、頑張らなくっちゃ。

 信号待ちをしていたバスが動き出して、目的地である駅に着いた。

「ありがとうございました」

 バス代を支払ってお礼を言うと、運転手さんから「お気をつけて」と返された。感じの良い運転手さんだ。

 バスから降り、上機嫌で駅前の通りを歩く。

 駅前は人通りが多い。帰路を行く人々に向かって、居酒屋のエプロンを着たお兄さんが呼び込みをしている。

 冷たくあしらわれているお兄さんを見て、私はどの仕事も大変なんだな、としみじみ思う。

 バイトを始めてわかったことだ。

 お金を稼ぐのに楽な仕事なんてない。

 お兄さんから足元へ視点を戻す。

 今日は午前中に雨が降っていたけれど、午後から晴れたおかげで、もう地面は濡れていなかった。

 夜空にも星が瞬いている。明日はきっと晴れだろう。

 良かった。雨だったら花火大会が中止になっちゃうもんね。

 漣里くんからのメールを思い出し、私はふふっと微笑んだ。

 今日、お昼の休憩時間中に携帯をチェックすると、一通のメールが届いていた。

 響さんがジャンガリアンハムスターの子どもを連れ帰ってきた、という報告だった。

 どうやら、女友達――彼に一体何人の女友達がいるのかは謎である――の家で飼っているつがいに子どもが生まれたので、一匹里子として譲ってもらったらしい。ハムスターは一度にたくさんの子どもを産むから、里子に出す人は珍しくない。

 家族会議の後、決まった名前は『王子』だそうだ。

 姫がいるんだからやっぱ王子じゃねえの、そんなふうにあっけらかんと言い放つ響さんの姿が目に浮かぶようだ。

 私がそのユニークなネーミングセンスに大笑いしたのは、言うまでもない。

 きっと漣里くんは、上様や姫と同じように、王子にも愛情を注いでいることだろう。

 詳しい話はまた明日聞こうと思っている。

 凄く楽しみだ。

「あ」

 渡ろうとしていた横断歩道の信号が点滅して、赤へと変わった。

 もう少し早く歩いていればそのまま渡れたタイミングだったのにな。

 ま、いっか。仕方ない。

 待ち時間中に、鞄からヘッドフォンを取り出し、音楽を聴こうとしたときだった。

「真白ちゃん?」

 後ろから声がかかった。

 ヘッドフォンを下げて振り返れば、葵先輩が立っている。彼はA4サイズのものでも入りそうな、大きめの鞄を左肩にかけていた。

 夜の闇の中でも、彼の美しさは少しも損なわれていない。常人とはまとうオーラが違う。

「あれ、葵先輩。こんばんは」

 ヘッドフォンを鞄の中に戻している間に、葵先輩が歩み寄ってきた。

「こんばんは。奇遇だね。僕は勉強会の帰りなんだけど、真白ちゃんはバイト帰りかな?」

「そうです。終わった後にファミレスで話してたら遅くなっちゃいました。こんな時間まで勉強会って、凄いですね」

 私は葵先輩が肩にかけている鞄を見て、感心した。

 きっと鞄の中には参考書や問題集の類が入っているのだろう。

「実際は雑談がメインになってたけどね。受験生なのにこんなことじゃまずいんだろうけど」

 葵先輩は綺麗に笑った。

「ちなみに、どちらの大学を受験される予定か、聞いても良いですか?」

「明洸大学の獣医学部」

「ええええ、凄いですね!」

 獣医学部といえば、医学部に次いで難しいことで有名だ。

 しかも明洸大学は国公立の中で最も高い偏差値が要求される、超難関大学。

 私が志望大学として先生に言えば「正気か?」と真顔で返されるであろう大学名をさらっと……!?

 いや、でも、常に学年上位の成績を誇る葵先輩なら不可能じゃない。前回のテストでは学年トップだったらしいし、先生も「お前ならできる」と応援しそうだ。

「いや、合格するかどうかもわからないし。浪人は半分覚悟の上だよ」

 葵先輩は微苦笑して片手を振った。

「半分で済むところが凄いです……」

 さすが葵先輩だ……私なら何回チャレンジしても入れないと思う……。

 胸中で唸っていると、信号が青に変わった。

 さてどうしよう。

 途中まで一緒に帰りませんか、って誘ってもいいのかな。

 時海高校を代表する王子様に、私が? 私のような庶民が?――ああ、いけない。そんなこと言ったら、自分を卑下するなって漣里くんに怒られちゃうよね。

「あの、葵先輩……」

「もう夜遅いし、送るよ。女の子一人じゃ危ないからね」

 葵先輩は穏やかな口調でそう言った。

「え。そんな」

 途中まで、どころか、最後までお付き合いしてくださるなんて予想外だ。葵先輩は荷物も持ってるのに。

「いいから。こういうときは笑ってありがとうって言えばいいんだよ」

「……ありがとうございます」

「そうそう。お礼はそれで十分」

 葵先輩は微笑んで、私に歩幅を合わせて歩いてくれた。

 ……紳士だ。葵先輩は本当に格好良い。

 夜風に吹かれて、葵先輩の髪がふわふわ揺れている。

 自然に前を向いて、背筋を伸ばして歩いている葵先輩の姿は、どこを切り取っても美しい。

 いまは夜の帳が下りて顔を隠してしまっているけれど、これがもし昼間だったら、道行く女性、皆が振り向いてたんだろうな。

「あーっ、成瀬くんだ!」

「えっ嘘、どこ?」

 突然、向かいからそんな声が聞こえた。

「!」

 同じ学校の生徒と思しき声に、私はそっと葵先輩から離れた。

 どう考えてもあの声は葵先輩に好意を抱いている女子のものだ。

 傍にいたら厄介なことになる。私にとっても、葵先輩にとっても。

 ただ偶然そこに居合わせただけの他人を装わなくては!

「やっぱりー! 夏休み中にも会えるなんてラッキー!」

 声をかけてきたのは女子四人組の中の一人、活発そうなショートカットの子だった。

 彼女は右隣にいるセミロングの女子の腕を引っ張り、四人で囲むように葵先輩の前に立った。行く手を塞がれたサラリーマンらしき男性が顔をしかめて迂回しているけれど、眼中にないようだ。

 停止中の車のライトに照らされて、女子たちの派手な化粧と短いスカートが浮かび上がって見える。

「リカ、さっき言ってた成瀬くんってこの人だよ。見てみ、やばいっしょ? 超イケメンっしょ? 天然記念物っていうか、国宝級っしょ?」

「……ガチじゃん。これ、ガチなやつじゃん!」

 間近で食い入るように葵先輩の美貌を見上げた後、セミロングの女子は興奮したようにショートカットの女子の肩を勢い良く二回叩いた。

「だからそう言ったじゃんかー」

「やばい! これはマジやばい! なにこのイケメン!」

 大いに盛り上がる女子一同に、葵先輩は困ったように苦笑している。

「ね、ね、いま暇? 私たちと一緒にカラオケ行かない? 他のガッコの子も来るんだぁ。同中の成瀬くんがいたら超盛り上がると思うんだけどぉ」

「ごめん、もう帰らなきゃいけないんだ」

「えー、残念。じゃあまた今度、是非!」

「うん、機会があれば」

 横断歩道の真ん中ということもあって、女子たちは食い下がることもなく、あっさり別れた……ようでいて、打ち合わせたのか、数秒後に同時に振り返って大きく手を振った。

「約束だよー!」

 片手を口に添えて、メガホンのようにして叫ぶ女子たちに、葵先輩が微笑んで手を振る。

 彼の仕草にテンションが上がったらしく、女子たちはきゃあきゃあ騒ぎながら離れていった。

「ほんっと格好良いよねぇ。中学んときから王子様」

「時海高校の宝だよねぇ」

「私も時海に入れば良かった……」

 葵先輩を讃える声は、彼女たちが遠ざかるにつれて小さくなっていき、やがて聞こえなくなった。

 その姿もわき道に入って見えなくなる。

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