10:大失態からスタート

 ストロベリーケーキは地元の駅から二駅離れた繁華街にある。

 そこで私たちは、駅のすぐ隣にあるさくらば公園を待ち合わせ場所にした。

『さくらば』の名前が示す通り、この公園は桜並木が見事で美しい。春になると遠方からお花見目当ての人がやってきたりもする。

 私も春にはお母さんが作ってくれたお弁当を広げて、家族で楽しいひと時を過ごした。

 漣里くんたちもお花見はしたのかな?

 そんなことを考えながら、緑の葉が青々と茂った桜並木を歩き、左手の腕時計を見る。

 天体をモチーフにしたこの腕時計は、高校入学のお祝いとして買ってもらったもので、大のお気に入り。うっかり落として盤面に小さな傷をつけたときは、一週間も落ち込んだ。

 現在時刻は、午後一時四十五分。

 待ち合わせの十五分前。

 よし、余裕。

 小さく頷く。私は遅刻をしたことがないのがささやかな自慢だった。どんなに遅くても待ち合わせの五分前には着いている。

 アブラゼミの鳴き声で公園は賑やかだ。

 茹だるような暑さにも負けず、綺麗に舗装された園内の歩道を数人が歩いている。

 友達と談笑している若者、子どもの手を引いて歩いているお父さん。

 もうお盆休みなんだろうか。大企業って、確かお休みが長いんだよね。

 遊具のあるゾーンを抜けて、噴水の前に着いた。

 照りつける太陽の日差しを浴びた噴水の縁には、待ち合わせ中らしい若者が二人と、談笑しているカップルが座っていた。

 その中に漣里くんの姿はない。

 良かった、少し早めに来て正解だった。待たせるのは悪いもんね。

 気を抜きかけたそのとき、噴水の斜め前、大きな欅の影にあるベンチに漣里くんが座っているのを発見した。

 ……あ。いたんだ。

 漣里くんは真面目な性格だから、律儀に時間を守りそうだと思ったんだよね。

 十五分前ならさすがに、と思ったけど、もっと早く来ればよかった。

 彼は噴水の縁に座っている若者と同様、俯いて携帯を弄っていた。

 ゲームでもしているらしく、指が単純なスクロールではない動きをしている。

 彼はレイヤードの白いシャツに紺色の半袖シャツを羽織っていた。下は黒のスラックス。胸にはシルバーアクセサリー。

 外出するためか、これまでで最も外見に気を遣っているように感じた。彼がアクセサリーをつけているところなんて初めて見る。

 もしかしたら響さんが全身コーディネートしたのかもしれない。

 失礼だけど、漣里くんは流行やファッションに興味がなさそう。いつも決まってシャツにジーパン姿だったし。

 この前、アクセサリーは煩わしいから嫌い、腕時計すら嫌だって言ってたしね。

 ともあれ。

 ……改めて見ると、本当に格好良い人だなぁ。

 伏せられた長い睫毛。大きな瞳。形の良い唇。すらりと伸びた四肢。

 ありふれた公園の風景の中で、彼だけが特別に浮かび上がって見える。

 どうやらそんな感想を抱いたのは私だけではないらしく、通りすがりの女子二人組みのうち、一人が彼を見て言った。

「格好良いね、あの人」

「うん。モデルかなぁ。芸能人かも?」

「声かけちゃう?」

「無理だよー、恥ずかしい。ああいうのは目の保養ーって見てればそれでいいの。付き合うってなったら緊張するじゃん。気が抜けないよ」

「言えてる」

 二人は談笑しながら通り過ぎて行った。

「…………」

 これから彼と行動をともにする私にとって、二人の言葉は大きなプレッシャーになった。

 そ、そうだよね。漣里くんが格好良いのは誰が見てもわかる事実だもんね。

 並んで立つのが申し訳ない平凡な容姿だとしても、彼女役っぽいことをする以上、せめて振る舞いや言葉遣いはできるだけ清楚に、可憐に、美しく……!

 持っているバッグの紐をぎゅっと握り締める。

 今日私が悩みに悩んで選んだのは、薄いピンクをベースにした花柄のワンピース。

 胸元には赤いリボン、裾には控えめなフリルがついている。

 このワンピースは試着したとき、お母さんも店員さんも褒めてくれたから、少なくともそんなに変な格好ではない……はず!

 私は深呼吸してから、彼の元へと歩き出した。

 あと五歩というところで、接近に気づいたらしく、漣里くんが顔を上げた。

 ここで私は素早く脳内シミュレーション。

『ごめんね、待った?』

 映画で見たワンシーンみたいに謝りながら、出会えた喜びを表すべく、心からの微笑みを浮かべる――うん、これなら満点だ。文句なんてつけようがない。

 何事も最初が肝心。

 ここで好印象を与えられるかどうかで、この後の運命が決まるといっても過言じゃない。

 さあ、いまこそ人生で最高の笑顔を浮かべて、漣里くんに相応しい清楚な彼女役のスタートを切るんだ、真白!

「ご――」

 あと三歩という距離で、私は微笑を浮かべ――かけて、大きくつんのめった。

 漣里くんが驚きに目を見開いている。

 どうやら、くぼ地に右足のサンダルの踵が取られたらしい。

 ちょっと待ってぇぇぇ!?

 内心で盛大な悲鳴をあげる。

 がくんと身体が揺れるのをどうしようもできず、そのまま前に倒れ込む。

 あ、ダメだこれ。

 妙に引き伸ばされた時間感覚の中、私は絶望的な気分で悟った。

 清楚な彼女役どころじゃない。

 どんな彼女でも登場して早々、彼氏の胸に頭突きをかましたりはしないだろう。

 これはもう、破局レベルの大失敗。

 終わったっ……!!

 私はぎゅっと目を瞑った。

 せめて漣里くんが避けてくれればいい。

 ベンチに顔面ダイブする羽目になっても、そのほうがまだましだ。

 でも、私は何の前触れもなく倒れてきたんだ。

 どうすることもできるわけがない。

 ――はず、なのに。

 漣里くんはとっさに私をすくい上げるように抱き抱え、引っ張り上げてくれた。

 彼の肩に私の額がぶつかって止まる。

「…………」

 目を開けると、私はベンチに上半身から倒れ込むような格好で、漣里くんに抱きしめられていた。

 ほんの数秒に満たない時間に起きた出来事に、心臓が跳ね回っている。

 漣里くんもさすがに焦ったらしく、心拍数の上がった心音を肌越しに感じた。

 すぐ傍で漣里くんの息遣いを感じる。

 お互いの体温を感じる密着状態に、何も言えない。

 ただ顔の温度だけが急上昇していく。

「……す、すすすすすすすみませんでしたっ!!」

 身体を引き剥がして、漣里くんの腕から抜け出し、直立する。

 私は一体彼にどれだけ迷惑をかければ気が済むんだろう。

 交流するようになって二週間も経ってないのに、恩ばかりが指数関数的に膨れ上がっていく。これが借金だったら破産の一択しか選べない。

 羞恥と罪悪感で頭の中はぐちゃぐちゃで、そのくせ顔は火照ったように熱い。

 漣里くんの顔も真っ赤だった。目が気まずそうに横を向いている。

 彼が照れているのかわかって、私の頭はもうオーバーヒート寸前。

「ああっ!」

 そこで私は、漣里くんのスマホが地面に転がっている事実に気づいて悲鳴をあげた。私を助けるために、とっさに手放したのだろう。

 壊れたかもしれない。

 半泣き状態で拾い上げて確認する。

 画面に皹は入っていなかったけど、縁にはたくさん細かい傷ができてしまっていた。

「ごめっ、本当にごめんなさい! この携帯、買ったばっかりって言ってたよね!? 壊れてたら弁償する! ちょっと時間かかるかもしれないけど必ず払うから――」

「もういいから。落ち着け。それより、怪我は?」

 漣里くんは静かな声で尋ねてきた。

 平静を装っていても、まだ彼の頬はほんのりと紅潮している。

「怪我ですか!? いえ全くこの通り、全然! 全く! 平気です!」

 激しく両手を振って元気アピールをする。彼が完璧にフォローしてくれたおかげで、かすり傷一つない。

「それは何より……」

 漣里くんは片手で顔を覆って俯き、ため息をついた。

「勘弁して。あんたほんと、危なっかしくて放っとけない。振り回されるこっちの身にもなってくれ」

「す、すみません……」

 私はますます小さくなった。

 穴があったら埋まりたい。もういっそ埋葬されてもいい。

「……もういいよ。行こう」

 漣里くんは気を取り直したように立ち上がり、駅へ向かった。

「あ、あの、携帯ですが」

 私は後を追いかけつつ、恐る恐る、手に持ったままの漣里くんの携帯を差し出した。

「ああ」

 漣里くんは私の手から携帯を取り上げて、ロックを解除した。

 表示された待ち受け画面はカメラ目線の上様だった。

 これが平時ならつい笑っていたところだけれど、大失態を演じたいまの私にそんな余裕はない。

「普通に動くから大丈夫」

 少し操作してから、漣里くんは携帯をポケットに入れた。

「そ、そう。良かった。本当にごめんね。新品の携帯なのに……」

「もういいって言っただろ。それとも何。携帯を守ってベンチに顔面ダイブしたほうが良かった?」

「い、いえ、それはその……」

「だったら素直に感謝しとけばいいんだよ」

「……うん。ありがとう。本当に……いつも、私を助けてくれてありがとう」

 私は頭を下げた。

「どういたしまして」

 そう言った漣里くんの顔は、まだほんの少しだけ、赤かった。

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