3:なんて豪華な食卓でしょう
布団が片付けられた居間で、私は成瀬兄弟と一緒に座卓を囲んでいた。
座卓の上にはそうめんに伴う諸々が乗っている。
これって、私が気絶する前に夢見た献立そのものだよね。
しかも、同じ席には美形兄弟……。
そうめんを口に運びながら、上目遣いに二人を見る。
私の右斜め前には葵先輩、左斜め前には成瀬くん。
まだ夢の続きだといわれても納得できるけど、これは紛れもなく現実なんだよね……。
「深森さんって一人暮らししながら、生活費もバイトで賄ってるんだ」
ざるに盛られたそうめんをガラスの器に取りながら、葵先輩は感心したように言った。
兄弟のざるは共同だけど、私の分は小さなざるに取り分けてもらっている。
「はい。本当は私も父の転勤に伴って引っ越す予定だったんですけど、無理を言って一人暮らしをさせてもらってるんです。それまでは家族で広い3LDKのアパートで暮らしてましたが、残るのは私だけになるので、七月の始めにいまのアパートに引っ越しました。家賃は両親が出してくれますが、生活費は自分で稼ぐ、それが一人暮らしを続けさせてもらう条件なんです」
だから、私は日々倹約を心がけている。
閉店セールに行くことを決めたのもそう。
少し遠くても構わないと思えるくらい、広告に載っていた価格は安かった。これは行かねば損だ! と私は大きなビニール袋を鞄に入れて、家を出た。
結果としては、熱中症で倒れる羽目になったけど……成瀬くんには本当に迷惑かけちゃったよ。
この炎天下の中、四捨五入すれば五十キロにもなる人間を背負って歩くなんて、苦行でしかなかったよね……しかも、わざわざ戻って、重い荷物まで運んでもらってさ……帰り際には、もう一度ちゃんと謝ろう。
私の視線を知ってか知らずか、成瀬くんは黙々とそうめんを口に運んでいた。
おかげで、私の会話相手は葵先輩しかいない。葵先輩も弟の口数の少なさはよくわかっているらしく、積極的に話題を振ってくれていた。
「どんなバイトをしてるの?」
「近所のコンビニですよ。四丁目のカフェの向かいにある『ファミリー9』」
「あ、わかった。あそこか。でも、あまり行かないな。近くに同じ店舗があるから」
「ですよね。この辺って、ファミリー9多いですよね。なんで近くにたくさん建てるんでしょうね? 経営は成り立ってるんでしょうか」
「深森さんの店はどう?」
「それはもちろん、黒字ですよ。赤字だったら潰れちゃいます」
「じゃあ他の店もそうなんじゃない?」
「……そうですね」
言われてみれば当たり前のことだ。近くに店がいくつあろうと、収益の見込みがあるから出すに決まっている。
恥ずかしくなった私は、不自然に明るい声で言った。
「あの、今週は金曜日も土曜日も入ってるので、もし立ち寄ることがあれば声をかけてくださいね。ご迷惑をかけてしまったお詫びに、何か奢らせてください。季節限定のフルーツフラッペがおいしいですよ。色々種類がありますけど、お勧めはマンゴーか、ミックスです」
「そうなんだ。漣里、行ったら? フラッペだよ?」
およ?
私はその発言に、目を瞬いた。
ということは、成瀬くんは甘いものが好きなのかな?
「気が向いたら」
成瀬くんはそうめんを飲み込んでから言った。
「うん、来てくれたら嬉しいな。五個でも十個でも奢るから」
「そんなに気前よく奢ってたら、バイト代飛ぶんじゃないのか」
冷静な突っ込みを頂きました。
「う……い、いや、夏休みには色んなバイトをする予定だから、大丈夫!」
「無理しなくていいよ、深森さん。大丈夫、漣里はそこまで図々しくないから」
葵先輩がやんわりとフォローを入れてくれた。
「成瀬先輩も、良かったら来てくださいね」
「それはお願いかな?」
葵先輩は何故か、悪戯っぽい眼差しで私を見つめた。
「? はい」
私はその視線の意味がわからず、首を傾げた。
「じゃあ、行くと約束する代わりに、僕もお願いがあるんだけど。葵先輩って呼んでくれない? 僕も漣里も名字が一緒だから、ややこしいんだよね」
葵先輩は子どものように笑った。
な、名前呼び……!?
私は見たことのない種類の葵先輩の笑顔と、その言葉に、雷に撃たれたような衝撃を受けた。
学校の王子様を、この私が、一般庶民である私如きが、名前呼びしていいの?
「よ、よ、呼んでいいんですか? 私が? 成瀬先輩を? お名前で?」
「そんなに大げさなこと?」
震えながら尋ねると、葵先輩は苦笑した。
大げさなことです。あなたに憧れている女子がその特権を許されたら、嬉しくて卒倒しかねません。それほどの大事件です。
「呼びにくいんだったら僕も深森さんじゃなく真白さん……いや、なんだか他人行儀だね。真白ちゃんって呼んでもいい?」
な、名前で呼ばれてしまった……。
彼のファンに聞かれたら、冗談抜きで刺されるかもしれない。
「あ、あの、えっと、同じ学校の生徒がいないところでしたら、そのように」
「じゃあ遠慮なく、真白ちゃんで」
「……はい」
なんだか照れてしまう。
い、いいのかな? 彼女でもないのにこんな特権与えられて……。
「それでは、僭越ながら、私も葵先輩と呼ばせて頂きます……」
私はぎくしゃくとした動きで会釈した。
「うん。それで」
葵先輩はにこにこしながら、成瀬くんを見た。
「漣里も名前で呼んでもらったら?」
「え、良いんですか?」
「好きにすれば」
成瀬くんはそっけない。
「……それじゃあ、漣里くんでもいいかな?」
「好きにすればって言った」
あくまで成瀬くんはクールだ。自分の呼び方なのに、興味がないみたい。
ふと、悪戯心が頭をもたげた。
「好きにしていいなら、呼び捨てにしちゃおうかな」
「どうぞ」
冗談のつもりだったのに、成瀬くんは即答した。
この反応には私のほうが焦ってしまった。
「いえ嘘です! 冗談ですごめんなさい! 調子に乗りました!」
「撤回するくらいなら言わなきゃいいのに」
「はい……」
私はしゅんと項垂れた。
駄目だ、成瀬くんに冗談は通じない。
「ええと、やっぱり漣里くんって呼ばせてもらうね」
「…………」
成瀬くん、もとい、漣里くんはもう何も言わなかった。我関せずとばかりにお茶を飲んでいる。
本当に淡白な人だよね……。
人当たりのいい葵先輩とは違って、愛想が全然ない。
それとも私が特別に嫌われてるだけ?
「ごめんね、真白ちゃん。漣里、誰に対してもこんなんだから。真白ちゃんが嫌いとかそういうわけじゃないんだよ。学校でもあまり良くない噂が立ってるけど……悪い印象を持たないでほしい」
「はい」
窺うような葵先輩の言葉に、私は即答のタイミングで頷いた。
それは大丈夫だ。あまりにクールだから戸惑うことは多いけど、漣里くんが悪い人だとは欠片も思ってない。
葵先輩は意外そうな顔をした。
「……漣里のこと怖くないの? 漣里が上級生を殴ったことは知ってるよね?」
あ、本当に殴ったんだ。
「いま事実だと知りました」
苦笑すると、葵先輩は気まずそうな顔をした。薮蛇だったと後悔しているのかもしれない。
「でも、漣里くんは理由もなしにそんなことができる人じゃありません。そうせざるを得ない事情があったんだと思います」
「なんでそう言えるんだ」
漣里くんは静かに私を見た。
お前に自分の何がわかるんだ、と言われた気がした。
確かに私は漣里くんのことをよく知らない。言葉を交わし始めてから、一時間も経っていない。
それでも――たとえ短い間でも、わかることはある。
「だって、私は漣里くんが優しい人だって知ってるもの」
私は自信たっぷりに笑ってみせた。
「……?」
漣里くんが少しだけ、怪訝そうな顔をする。
やっと表情を動かしてくれた。
それが嬉しくて、私は笑って自分の額を指差してみせた。
「起きたとき、漣里くんは私の傍にいて、ミニタオルを載せてくれたよね?」
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