4:私はそう信じる

 人を平気で殴る怖い人……それがほとんどの生徒の認識かもしれないけど、それは違うって、いまなら自信を持って否定できる。

「知り合いでもない子を背負って自分の家まで運んで、目覚めるまで隣で介抱するなんて、なかなかできることじゃないよ。他人を心配して、慈しめる人が、理由もなしに誰かを傷つけるわけがない。絶対に」

 だから、漣里くんが手を上げたなら、そこには事情があるんだ。

「私はそう信じてる」

 私は胸を張って断言した。

「…………」

 漣里くんは何も言わなかった。表情も動かない。

 ただ、私に向けていた視線を床に落とした。

 反応としてはそれだけだった。

 沈黙が流れる。

「……驚いたな」

 と、声を上げたのは葵先輩だった。

「良かったね、漣里。真白ちゃんは口さがない人たちとは違うみたいだよ? 噂に流されず、ちゃんとありのままの漣里を見て判断してくれた。彼女には話してもいいんじゃない?」

「……」

 漣里くんは無言のまま、ふいっと顔を逸らした。

 これは了承なのか、拒否なのか。

 付き合いの短い私にはわからなかったけど、葵先輩は笑った。

「よさそうだから、特別に打ち明けるね」

 葵先輩は漣里くんから私に視線を移した。

 笑顔が消えて、眼鏡の奥の瞳が真剣な光を帯びる。

「あれは上級生のいじめの現場を目撃したからなんだ。その人の名誉のために名前は伏せるけど、真白ちゃんと同じ学年の生徒」

「え……」

 考えてみても、該当するような生徒の名前は思い浮かばなかった。

 私とは関わりのない人なのかもしれない。

 なにしろ十クラスもあるから、同じ学年の生徒でも、知っている人よりも知らない人のほうが多い。

「漣里はたまたま下校途中に陰惨な暴行の現場を目撃して、黙っていられずに割って入ったんだよ。最初は言葉で止めようとしたけど、相手は聞く耳を持たずに殴りかかってきた。だから殴り返しただけ」

「それなら正当防衛ですよね?」

 これが真相なら、学校で流れている悪評は大間違いだ。

 生徒の口から口へと伝えられていくうちに、噂に尾ひれどころか背びれや胸びれまでついてしまったのだろう。

「うん。だから先生方も、漣里に処分は下さなかった。漣里や事実を知っている僕が誤解を解かなかったのは、いじめられてた生徒の立場を思ってのことだよ」

「そうだったんですね……」

 仮に私がいじめられていた生徒だったら、その事実を知らない人にまで広められたくない。

 もしそれが男子生徒だったら、下級生に庇われたことを情けないと思うかもしれない。

 一般的に、女性よりも男性のほうが面子を気にするものだ。

「……余計なこと言うなよ」

 考えていると、漣里くんが釘を刺してきた。

 真相は黙っていろ、ということなのだろう。

 そうだよね、私が事実を声高に主張したら、これまで黙っていた漣里くんや、葵先輩の気遣いが全部無駄になってしまうよね。

 でも……。

「……漣里くんはそれでいいの? 誤解されたままで」

 確認せずにいられなかった。

 噂では漣里くんだけが悪者扱いされてしまっている。

 中には札付きの不良だなんて大嘘まで混じっている。

 噂をここまで誇張させたのは、漣里くんの性格によるところもあるのだろう。

 彼は基本的に無表情で無愛想だ。

 口数も少ないから、何も知らない人が見れば怖い人だと誤解されやすい。

 私も最初は怖いと思ったもんね……反省。

「いい。わかってる奴だけわかってれば」

 漣里くんはそう言って、お茶が入っているコップを傾けた。

「……そっか」

 漣里くんが助けた人がその後どうなったのか、私は知らない。

 それでも、いじめがなくなっていたらいいなと、切に思う。

「……うん、わかった。私も何も言わない。約束する」

 彼が暴力男なんて噂を立てられているのは悔しいけど、私は否定できる立場じゃない。漣里くん本人がそれを望んでない以上、私が行動するのは余計なお世話だ。

「……でも、漣里くんはやっぱり、優しい人だね。思ったとおりの人だった」

 私は笑った――けれど。

「違う」

 漣里くんはコップを置いて、そんな私を無感情に見た。

「俺はそんな優しい人間じゃない。いじめの現場に割って入ったのはそいつのためじゃなくて、俺自身、腹が立っただけだ。あんたのことだって拾った責任感で介抱してただけ。過大評価は迷惑だ」

「そんなこと……」

 私は軽く唇を尖らせた。

 たとえ自分自身のためだとしても、彼の行動は善だ。否定なんてしようがない。

 私が抗議するよりも前に、漣里くんは「ごちそうさま」とガラスの器とコップを持って部屋を出て行ってしまった。

「…………」

 もどかしい思いを抱えて、肩を落とす。

「凄いね、真白ちゃん」

「え?」

 予想だにしない言葉に顔を上げると、葵先輩がにこにこ笑っていた。

「漣里が誰かとまともに話してるところなんて、久しぶりに見たよ。しかも初対面で漣里の表情を動かすなんて、かなりレアだよ?」

「……そうなんですか?」

「うん。漣里は嫌いな相手には近づきすらしないし、普通でも面倒くさがって話すらしない。自分から話しかけるっていうのは、かなり好感度が高い証拠。真白ちゃんのこと気に入ってるみたいだね」

 ……き、気に入られてるの? あの対応で?

 思わず私は廊下に繋がる襖を見た。

 全然気に入られてるようには思えないんだけど……むしろ嫌われてるような気がするんだけど……。

 半信半疑の私に、葵先輩は微笑んだ。

「良かったらこれからも漣里と仲良くしてやってね。学年が違うから学校じゃそんなに話す機会はないとは思うんだけど、でも、いまは夏休みだし。もしバイト先で会うことがあれば、気軽に話しかけてやって」

「……はい。私で良いなら」

 誰かに頼られるというのは嬉しい。

 それが仲良くなって欲しいという要件なら、なおさらだ。

 努力する価値は十分にある。

 私は葵先輩の言葉に微笑を返して、頷いた。



「毎日、本当に暑いよね」

「夏だからな」

「でも、三日間ずっと猛暑日だよ? いくら夏でも、今年の暑さは尋常じゃないよ。こんなに暑いと参っちゃう」

「実際に倒れてたしな、あんた」

「う……そ、それは、大変ご迷惑おかけしました。以後気をつけます」

 私は頭を下げた。

「謝ってほしいわけじゃない」

 会話が途絶えた。

 からからと自転車のタイヤが回る音だけが流れる。

「……え、えーっと、夏休みが始まって一週間は経ったけど、私はバイト三昧で、友達と遊んだことすらないんだよね。漣里くんは、どこか行った? 夏らしく、海とかさ」

「どこにも行ってない。家で引きこもってる」

「あー、うん、暑いもんね」

 ……あ、話題が元に戻っちゃった。どうしよう。

 私が話を振らないと、漣里くん、黙ったままだし。

 ちらりと隣で自転車を引きながら歩いている漣里くんを見る。彼は私と視線を合わせようとはせず、前を向いていた。

 表情がなければ大抵、人は怒っているように見えるけれど、彼の表情は凪のように静か。怒りも悲しみも見当たらない、全くの無だった。

 うう、気まずい。

 どうにか話題を……話題を……ああ、思いつかない。葵先輩、助けて。

 仲良くしてほしいと言われましたし、できればそうしたいのはやまやまなんですが、私にはこの溝を埋める手段が思いつきません……

 内心で頭を抱える。

 昼食後、丁寧にお礼を言って帰ろうとすると、葵先輩は漣里くんに私の荷物を運ぶように頼んだ。

 私は断ろうとしたんだけど、話し合っている間、待たされているのが退屈だったのか、漣里くんは荷物を持ってさっさと外に出て行ってしまった。

 必然的に、私の選択肢は追いかける以外になかった。

 でも、追いかけようとした私を、葵先輩は茶目っ気たっぷりの笑顔を浮かべて引き止めた。

「ねえ真白ちゃん。試しに、漣里のこと褒めちぎってみて。きっと面白いものが見られると思うから」

 ……あれは、どういうことなんだろう。

 漣里くんを褒めたら、どうなるというんだろう。

 試してみたいけど、とてもそんな雰囲気じゃない。私は会話にすら困っている有様だ。

 漣里くんだって、いきなり褒められても全然嬉しくないだろう。

 むしろ不気味に思われそうだ。ますます溝が開いちゃうよ。

「…………」

 いなくなってしまったのか、セミの声がしない。

 車の音と、人の声を聞きながら、私は男の子と二人、こうして並んで歩いている。

 漣里くんが引いている自転車の籠を占領しているのは、私の荷物と鞄。

 重い荷物を運んでもらえるのは、ありがたい。

 でも、それよりも、申し訳ない気持ちでいっぱいだ。

 私はまた彼のお世話になっている。

 どうすればいいんだろう、この状況。

 これまで交流したことのなかった年下の美少年と仲良く会話を繰り広げるトークスキルなんて、私は持ってない。

 しかも漣里くんは積極的に自分から会話を提供するタイプじゃない。

 グループでいたら、全く話さないでいるに違いない。

 ううん、失礼かもしれないけど、誰かと一緒にいること自体、想像がつかない。

 何を話せばいいの。

 それとも黙ってるべきなの、どうしたらいいの。

 間が持たない……!

 俯いて困り果てていると、ようやく漣里くんが口を開いた。

「無理に話さなくていい」

「え」

 その声に、私は顔を上げた。

 漣里くんは相変わらず、私のほうを見ずに言葉を続ける。

「俺はあんたの荷物を送り届けるためにいるだけで、あんたと話すために来たわけじゃないから」

「……そ、そうだよ、ね……」

 うーん、確かにそうだろうとは思うけど。

 これは、話したくないってことなの、かな……うるさい黙れって遠回しに言われてる?

 それはそれでショックだ……。

 落ち込みかけて、はたと気づいた。

 ううん、ちょっと待って。落ち込む前に、ちゃんと思い出して。

 漣里くんは『無理に』話さなくていいって言ったよね?

 つまり、話しかけたいなら話しかければいいし、黙りたいなら黙っていればいい。

 気を遣う必要はない――言葉数が少ないからわかりにくいだけで、彼はそう言いたいんじゃないのかな?

「何?」

 黙って見ていると、漣里くんがやっと私を見た。

 突き刺すような視線だけど、棘はない。

 そうだ、彼に敵意はないんだよ。

 私が感じてる溝なんて、最初からなかったんじゃないのかな?

「話しかけられるのは嫌?」

「別に」

「そう」

 やっぱり、物凄くわかりにくい人だけど。

 嫌じゃないなら、それでいいんだよね?

 私は微笑み、背後で手を組んだ。

 少しだけ緊張が解けて、肩の力が抜けるのを感じながら。

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