第5話 弐零壱八、夏
一斉に「平成最後の夏だから」と、世間の誰もが言い始めていた。
今は平成29年、7月28日。日本は翌年に元号改正を控えており、来年の夏には新元号となる。
同じアホなら踊らにゃ損々、ハッピー平成ラストサマー!ということで海やら山やらへとバケーションに出る家族連れや、記念を作ろうとする若者、「平成最後のサマーセール!」や、「さよなら平成の夏、割引」など、日本は平成最後の夏フィーバーを迎えていた。
これから、後に有名となる「日本最終夏事件」が起こるとはまるで嘘のように平和で穏やかだ。
私はコンビニで買ったソーダ味の棒アイスを齧りながら大通りを歩く。散歩している犬も暑さでだれている、かわいそうに。アイスはひんやりと冷たく、持っているだけで手が涼やかになる。素晴らしい。風情がありなかなか良いものだなと、日陰でも噴出す額の汗を感じながら思う。
私はタイムトラベラー。
新元号を知っているし、次のアメリカ大統領だって知っている。学校で習った。これから日本は大変な時代を迎えるというのに、行きかう人々はのん気に生きている。
「きみ中学生?これから予定ある?暇なら一緒に平成最後の夏を楽しまない?」
「高校生だし、そういうの興味無いんで」
声をかけてきた制服姿の男子3人をさらっと受け流して歩みを進める。色々質問をしてみたいこともあったが、それはタイムトラベルの禁止事項だ。
「つれないなあ~」
背後で肩を落とした3人組はまたすぐに気を取り直して次に声をかける相手を探し始めたようだった。
これがナンパというものかと、図書館のアーカイブ情報だけで知っていた事象に遭遇したことに、僅かな興奮を覚えた。にも関わらず、アイス片手に真昼の大通りをつまらなさそうに暇つぶしをする風を装って歩く。斜に構えるのはタイムトラベラーの特徴だ。
なるべくタイムトラベル先で波紋事象を起こさないことが大切なため、必然とそうなる。
もし身近に何事にも斜に構えていたり興味なさそうにしているが、目は物事を見逃すまいと鋭く泳がせている人がいたら、その人はもしかしたらタイムトラベラーかもしれないので気をつけた方がいい。
「わあー知らん男の子に声かけられるん初めてやから、なんかびっくりするわー」
背中の方で明るい声がぽーんと飛び出る。振返ると先ほどの男子学生が別の女子高校生らしき女の子に声をかけていた。
ここは気にせず立ち去るべきなのだろうが、このまま気のよさそうな女の子が平成最後の夏にどこの馬の骨かもわからない男子に嫌な思い出でも作られたら、後味が悪い。
「アズサ!やっと見つけた、探してたんだよ。勝手に先行っちゃって」
「え?」
私はさりげなく左目でウインクをして声をかけられていた女の子に合図を送る。女の子は理解したらしく、大きく頷いてくれる。
「ごめんなサヤ、お待たせ」
アズサもサヤもお互いが咄嗟に浮かんだ偽名だ。
「え、さっきの子の連れなんだ?じゃあふたり一緒に平成最後の夏を楽しもうよ」
「そういうの興味無いんで」
私はアイスを持っていなかった方で女の子の手首を掴み、早足でその場を離れた。大通りを折れ小路地に入る。喫茶店や雑貨屋が何件か並んでいた、しばらくそのまま歩いて追ってこないことを確認し手を離す。
なにをしているんだと自分の大胆な行動に心臓が飛び出そうだった。
「ありがとうなー!なあ、本当の名前聞いてもええ?」
女の子は、まるで子犬のように人懐っこい雰囲気でお礼を言う。やってしまったと、改めて後悔がどっと押し寄せてくる。
「……ミライ」
「ミライちゃん!うちはアカリいうねん。漢字やとこう」
私の手を取り掌に人差し指でさささと「灯」と書いてみせる、な?と、笑って。
「さっきの男の子ら、標準語やったから観光で遊びに来てるんかな。あ、ミライちゃんもそういえばこっちの訛り無いからよその人?」
「うーん、まあ、よその人と言えばよその人です」
厳密には住んでいる地域ではなく、生きている時代が違うのだが。そこは言わずにおこう。
「ほんま助かったわ、お礼にカキ氷でよかったらおごらせて」
***
テイクアウトをしたカキ氷をこの街を流れる鴨川という河川敷に座り、頬張る。
ここは譲られへん、と、頑なにおごると言い張ったアカリの言葉に私は甘えさせてもらった。
「んー!やっぱり幸寿苑のカキ氷はふわふわの氷にお上品なシロップの組み合わせで、幸せやわあ」
一口頬張り、なんとも言えぬ表情で感想を述べるアカリにつられ、レトロな柄に小鳥が描かれた小さなスプーンで氷とシロップの山を少し掬い口の中へ入れる。おお、これは……。
先ほどのソーダ味のアイスなどと比べ物にならぬほどの、おいしさと言うか、もはや次元の違う食べ物だ。ゆっくりと柔らかく溶けていく氷と、甘いがどこかほろ苦さのあるシロップの風味がたまらない。私は初めて食べるカキ氷に感心した。
「な?な?おいしいやろ?」
「おいしい……」
「うちの宇治抹茶カキ氷一口あげるから、ミライちゃんの焙じ茶カキ氷も一口ちょうだい?」
「い、いいけど」
「やったー、もらい!んー!やっぱこっちもおいしい!」
アカリは小さなスプーンでがっつり私のカキ氷を攫っていく。
「ちょっと取りすぎ」
私は思わず頬を膨らませて抗議する。
「宇治抹茶お食べなさいな」
ひょいっとアカリは自分のカキ氷を掬い、私の口へと放り込んだ。
その所作に驚いたし、おいしさにも驚いて、思わず目がキラキラとする。
「お、おいしい!」
「やろー?」
しばらく、そうやって河川敷でカキ氷を食べた。
カキ氷で涼をとり夏風に吹かれると暑さが若干和らぎ爽やかささえ感じた。
アカリと出会ってまだ数時間しか経っていないのが不思議なぐらい、ふたり並んで過ごす時間は古くからの友人と会っているかのようだった。
食べ終わった容器を重ねて鴨川をふたり眺める。ふとアカリが視線はそのままで口をひらいた。
「うちな、こうやって誰かと一緒に鴨川の河川敷で幸寿苑のカキ氷食べるのに憧れとってん。やから、平成最後の夏にそれが叶ったってだけで、ものすごーく幸せや」
私は心臓をぎゅっと掴まれた思いだった。
これから起こることを、残酷な未来のことを、アカリは何も知らずにカキ氷を食べただけで世界一幸せだとでもいう表情で嬉しそうに笑うのだ。
全てを話したくなる衝動に駆られる。これから先の日本のこと、世界のこと、人類のこと、本当の自分のこと。
でもそれは許されない。
「学校でも家でも理不尽なこといっぱいあるし、将来どうなるんかとかわからんし、不安なことや心細いこと、悩みもたくさんある。これから先のことなんて何もわからんけどな、でもうちは今、きっと人生で一番幸せな時間を過ごしとるんやと思うんよ」
真っ直ぐに、夏の青空を見つめてアカリは言った。夏風がアカリの髪を揺らす。
「ミライちゃんとこうやって平成最後の夏にカキ氷食べたんは、なんやこない言うの恥ずかしいんやけど、たぶん一生忘れへんよ」
「私も忘れない、絶対忘れないよ。アカリと平成最後の夏に食べたカキ氷の味も、この暑さも、風も、景色も、アカリのことも、ずっとずっと覚えてる」
「なんや変な子やなあ、ミライちゃんは。でもまあ、うちも今日は暑さでちょっとセンチメンタルになっとるんやろな。なんか感傷的なんはお互いそのせいにしよ」
「うん」
なぜか私は泣きそうだった。
アカリは今この時代を生きている、平成最後の夏を、色々な悩みを抱えて生きている。
私はただ通りすがっただけのタイムトラベラー。
彼女に何かをすることはできないし、禁止されている。
二度と会うことの無いアカリにできることは、たったひとつしかない。
「私、アカリの未来をずっと祈ってる」
アカリの目を真っ直ぐ見つめる。
タイムトラベラーはその時代の人や物に干渉してはならない。ならば、せめてアカリのこれからの人生が、平成最後の夏の先、未来を、ただ平穏で幸福であってほしいと祈ることしか私にはできない。
「なんやわからんけど、ありがとう。うちもミライちゃんの将来を祈ってるな、約束するわ」
嬉しそうに笑ったアカリの姿が、切なくて悲しくて、ひどく儚い約束を交わしたことの罪悪感に泣きそうになる。
「ミライちゃん?どないしたん?」
「なんでもない、今日は本当に楽しかった。おいしいカキ氷ごちそうさま。私そろそろ帰らなくちゃ」
誤魔化すようにして立ち上がる。日が傾きだしていた。アカリも立って腕時計を見る。
「あ!もうそないな時間か。ごめんな、なんか助けてもらった上に長話までしてもうて」
「こっちこそ私の嘘に付き合ってくれてありがとう」
「ええんよ」
歩いてカキ氷の容器を店に戻しに行き、いよいよ別れの時となった。
「ほんなら、ミライちゃんまたな」
あっけらかんとアカリは言う。学校の友人にまた明日ねとでも言うかのように。
「うん、アカリも元気でね」
私はもうその頃にはだいぶ気持ちも落ち着いて、心の整理もできていた。アカリとはこれで最後。もう二度と会えない。
今生の別れ。でもそれは、悲しいことではなく生きている上で受け入れなければならない感情。
「平成最後の夏に最高の思い出をありがとうなー!」
大きく手を振るアカリに、私は少しだけ手を振って駅の改札へ滑り込んだ。
***
元の時代に戻ってからはメディカルチェックやタイムトラベルレポートに追われ、あっという間に数日が過ぎた。
間が経つほどに、平成最後の夏は、真夏の夜の夢の如く。それでも手が空いたときに、ふと約束を思い出しアカリの未来を祈った。
あえてアカリのその後は検索しなかった。調べてしまったらきっと私はまた平成最後の夏へタイムトラベルをしてしまう。アカリの元へ行き助けたくなってしまう。
私は今の時間を生きる。アカリは彼女の時間を生きる。それが、約束を果たすことのような気がした。
「ヴェルディア、一息つかない?」
友人のスンウィがそう言いながら部屋へ入ってきた。レポートの修正をしていた私はいったん手をとめてスンウィの気遣いに感謝をする。
「これ、老舗のアイスクリーム。予約してたのがやーっと手に入ったんだ、超レア物なんだから味わって食べようぜ」
「ありがとう。スンウィ、食べ物に興味あったんだ」
現代の私たちは食べ物無しでも生きれるように進化をしている。
「趣向品ってやつ」
ウィンクをしてパウチを放って寄こす。
受け取った私は、ラベルを見てはっとした。端に小鳥のマークと、擦れそうな字で書かれた漢字。
「地球産のリメイクなんだ、KOUJYUENのウジマッチャ味。手に入れるの大変だったんだからな、感謝しろよ」
「……うん、ありがとう。すごく嬉しい」
「ベルディアがそんなに喜ぶなんて気持ち悪いな」
私は本当に嬉しかった。
平成最後のあの夏は、きっと永遠だ。
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