第4話 いつか、出会う日

 僕らは深い闇の中を進む。

ひとりぼっちならばきっと心が折れてしまっていただろう。

彼女がいてくれるから、いつも傍に寄り添っていてくれているから、だから、僕らは進める。


 初夏。

早朝の空気は清清しく、散歩をするのに一番最適な季節だ。

学校まで続く長い長い街路樹は日陰を生み出し僕はその下を、まだ誰もいない時間帯に歩くのが好きだった。

まだ太陽は低い位置にある。

風に揺れる葉の音と、小鳥のさえずり。静寂。

もう数週間もすれば暑さが厳しくなる。

今のように散歩をする気にもなれなくなるだろう。

この季節だけ。

今だけ。

特別な時間。


 だから、そこでひとりの女学生と出会ったとき、正直、残念な気持ちしかなかった。


「おはようございます」

「おはようございます、随分と早い登校なのですね」

 彼女は鈴のような声で挨拶。僕は無愛想に答える、いや、嫌味を込めて。

少し首を傾げて小さく笑う。短い髪が揺れる。教室で出会っていればまた違う印象を抱いたかもしれない。

「はい。空気が澄んでいて気持ちが良いので」

 にこっという笑い方ではなく控えめな、笑い方。

「あなたもですか?」

 問うてきた彼女が一歩前へ踏み出し、僕の顔を覗き込む。すっと視線を逸らして体をかわす。

「自分は自習のためです、失礼」

「勤勉なのですね。それではまた明日の朝」

 背中に投げられた声を聞こえないふりをし、真っ直ぐ校門へと向かって歩いた。


 僕の夢は、宇宙に上がることだ。

宇宙飛行士しか外側から地球を見ることができなかった次代は終わった。

月への宇宙エレベーターで、遠足に行ったのが幼稚園のとき。

僕はそこで宇宙の広さ、無限さ、未知の可能性に触れた。

絶対にこの先へ行きたいと思った、月よりもさらに遠くへ、深くへ、行ってみたいと心から思った。

火星への移住も始まっていたけれど僕はそれよりもさらに宇宙の深淵へ行きたい。

幼いながらに心に思った。


 「おはようございます」

 翌朝も、彼女に出会った。僕は嫌だなと思う。自分だけの世界だった、初夏の通り道。

異物が混入したら、早めに排除しないといけない。心の冷たいところで思う。

いいや無視をすれば、何も問題はない。心の表層でそう思う。

どちらが自分の本当なのか僕にはわからない。きっと双方とも自分の本心であり、双方とも本心ではないのだろう。

今日も彼女は変わらず、僕に向かって少し控えめで、それでいて爽やかに笑う。


 日に日に、真夏が近づき始めて、朝の散歩も暑さを感じるようになってきた。

明日からもう散歩をやめようと思う。

そうするともう彼女と会うこともないのかと思うと、一抹の寂しさを感じる。


「おはようございます」

 鈴のような声が聞こえたような気がした。

彼女はいなかった。


 それから3回の夏を僕は経て、主席で学校を卒業した。

彼女に会うことは一度もなかった。僕は着々と宇宙への道を進んでいた。月での実習を終えて地球に帰った。

宇宙の深淵へと探索に向かう調査艦への乗船許可が届いていて、僕の夢はこれで全部叶った。

ちょうど初夏の朝だった。


 若い学生の初夏に数日だけ会った、彼女のことを僕は時々思い出した。

甘酸っぱい、初恋。

風に揺れる葉の音と、小鳥のさえずり。静寂。

何も変わらないなと思う。

彼女がいないこと以外は。

もうすぐ地球を離れて宇宙の外へ向かうことを考えると、少し寂しくなって、センチメンタルになっている自分がおかしくなる。

地球には何もないと思っていた。

けれど振り返れば、思い出があった。

きっとこれからも地球を思い出して寂しくなるのだろうなと、思えた。


「おはようございます」

 鈴が、鳴ったのかと思う。

街路樹の先にたたずむ人影。僕は目を見開き歩調を速める。

それは間違いなく彼女だった、学生の初夏に会った彼女に間違いなかった。

僕はたまらなく懐かしくなって、意味もわからず涙がこぼれそうになる。

人生で初めて泣いていることに気が付く。



「幻かな」

 涙を手の甲でぬぐい、彼女へ無理に笑ってみせる。

「幻です」

 彼女は目を細めた。そして僕の言葉を肯定した。

出会ったあの朝から変わらぬ容姿。最近流行りのヒューマノイド。彼女はきっと、そうだ。

「私はAS0001200731NS、宇宙探索用に作られた思考回路を主体とする存在です」

 一歩、僕のほうへ歩み寄る。

研究ように開発されている高度知能を持つシステム、まだ実用化には時間がかかるとされているはずだ。これまでのシステムと画期的な違いは、他に依存しないシステム性独立性と、システム個体ごとによる思考回路の複雑さ。それはまるで人間だと、論文にて評されていた。


「私はあなたと宇宙に行きたい」

 また一歩、歩み寄って僕の顔を覗き込む彼女。

「やっと言えました」

 はにかむような笑顔に、僕は嬉しくなって大人げなく胸がときめいた。

宇宙へ、僕は行く。

彼女と共に。

初夏、最後の地球での夏が終わり、僕らは深い宇宙の闇へと旅立つ。

未来へと。


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