第5話:ぼんくら王子のボンクラ夢物語

「……私は、恐怖に打ち勝ったのか?」


 信じられないといったふうに自分の手のひらを見つめる王子様。


「ああ、見事だったぜ! 王子さん!」


 急に王子様へ投げかけられた声。僕らが振り向くと、タオが手を振っていた。レイナとシェインも一緒だ。3人がこちらへ歩み寄ってくる。


「タオ! どうしてここに?」

「そりゃ、あれだけデカい王子さんの悲鳴が聞こえりゃあな」

「睡眠妨害がはなはだしいです」

「まあ、おかげで居場所が判って良かったわ」


 そういえば、メガ・ヴィランが現れた時に王子様が悲鳴をあげていたっけ。まさかこんなところで役にたつなんて。


「見ていたのなら助けてくれても良かったのに」

「悪いな。でも、オレたちが着いた時には、坊主と王子さんがあのメガ・ヴィランをボコボコにしているところだったからな!」

「ぶっちゃけ手助け不要でした。もっと寝ていれば良かったです」


 シェインが眠そうな目を擦りながら欠伸をする。頬にはうっすらと汗。憎まれ口を叩いてはいるが、全力で駆けつけてきてくれたのだろう。つい笑いがこみ上げた。


「それより……王子様、トラウマを克服できたのね! おめでとう!」


 レイナがいまだ戸惑っている王子様に満面の笑みで称賛を送る。


「やりゃできるじゃねーか!」

「ブラボーです」

「おめでとうございます! 王子様!!」


 僕らも口々に王子様を称賛した。

 しかし、王子様は浮かない顔で佇んでいる。


「……そうか、私はトラウマを……ぼんくらを……克服してしまったのだな」


 どこか悲しげに目を伏せる王子様。かすかに「……潮時だな」と呟いたのが聞こえた。


「ありがとう。タオ、レイナ、シェイン、そしてエクス。今なら私は愛しの姫君に胸を張って会いに行くことが出来そうだ」

「それは良かったわ」

「……だが、その前に君たちに話しておかなければならないことがある」


 王子様は神妙な顔で僕たちの目を真っすぐに見つめる。


「まず、謝らせてほしい。私は君たちに、ひとつ嘘をついていたのだ」

「……嘘?」


 僕が尋ねると、王子様は静かに頷いた。


「私の愛しの姫君の名は『白雪姫』ではない。そのような名の姫君がいるなどという話は聞いたことがない」


 ……やっぱり、この想区は『白雪姫の想区』じゃなかったのか。

 レイナの方へ振り返ると、すでにタオとシェインが呆れた目でレイナを凝視していた。


「……なによ」

「やはり方向音痴姫でしたか」

「ポンコツ姫はやっぱりポンコツみたいだな」

「ちょ、ちょっと想区を間違えただけじゃないの! この国にはヴィランがいたんだから、なんの想区だろうと問題ないでしょ!」


 しどろもどろになりながら言い訳を並べるレイナ。そこに『調律の巫女』の威厳はない。

 いつも通りのやりとりをするレイナたちを見ていると、王子様が落ち着いた声で僕に話しかける。


「エクスはあまり驚かんのだな」

「……うすうすとは気づいていましたから。この想区はとても綺麗な海が何処までも続いていて、海が重要な舞台になっているのだろうと思いました。でも、レイナから聞いた『白雪姫の想区』の伝承には、海なんて出てきませんでしたから」


 僕の答えに納得したように王子様は頷いた。


「それで、お姫様の名前は何というのです?」


 シェインが首を傾げながら王子様に問いかける。


「……『人魚姫』だ。それが私の唯一無二、愛する女性の通り名だ」

「つまり、ここは『人魚姫の想区』ってことかしら」

「でもよぉ、王子さんは何でそんな嘘をついたんだ?」


 タオの質問に、王子様が戸惑うのが見て取れた。答えをためらった彼は、やがて決意したようにハッキリと述べる。


「もちろん、君たちに邪魔されないためにさ。私は運命に逆らってでも、この想区を消滅させてでも、死に向かう愛しの姫君を助けねばならんのだっ!」


 突如として王子様の体を闇がおおい、漆黒の鎧へと変化した。その姿は否が応でもヴィランを彷彿とさせる。


「君たちが探しているカオステラーとやらは、どうやら私に取り憑いているらしい」


 顔の半分を漆黒の仮面で覆った王子様が口の端を引いて笑う。


「さあ、そろそろこの想区の物語を終わらせようか」


 言い終わるよりも早く王子様は剣を抜くと一文字に振るう。突然、喉に痛みが走る。手で触れると指が赤い血で濡れた。僕と同様にレイナ、タオ、シェインも首から血を流していた。


「安心するが良い。皮一枚を切っただけだ。……だが、戦闘準備をせずにグズグズしているようなら、次は切り落としてしまうぞ?」


 僕らは慌てて王子様から距離を取る。


「みんな、すぐに栞を準備して!」


 レイナに言われるまでもなく僕らは『導きの栞』と『空白の書』を取り出して、いつでもヒーローとコネクトできるように身構える。

 ……でも、誰もコネクトしようとはしなかった。みんな、戦いを始める前に王子様に聞いておきたいことがあるんだ。


「なあ、王子さん。聞かせちゃくれねーか? なんで想区をぶっ壊そうなんてバカなことを考えてんだ?」


 動揺を隠しきれないままのタオを、王子様が冷めた目で眺めている。


「……無論、この過ちだらけの想区を粛正するためさ」

「過ちだらけかどうかなんて、あなたが決めることじゃないわ」


 レイナの言葉を聞いて、王子様が少し考える素振りを見せた。


「……では、君たちが判断するが良い。この想区が間違っているかどうかを」


 そして、王子様はこの想区で何世代も繰り返されているいにしえの伝承を語り始める。



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むかしむかし、海の中にある人魚のお城に

人魚姫というとても美しいお姫さまがおりました。


ある日、船旅をしていた人間の王子さまが、船から落ちて溺れてしまいます。

泳ぎの得意な人魚姫は、王子さまを助けて浜辺まで運びました。

人魚姫は魚の下半身を見られないよう、王子さまが気が付く前に海の中へと帰ります。


王子さまに恋をした人魚姫は、彼に会いに行くために

魔法使いから人間の足を貰いますが、かわりに声をなくしてしまいました。

そして、もし恋が実らなかったら海の泡となって死んでしまうのだと教えられます。


人魚姫が人間のお城まで王子さまに会いに行くと、

王子さまは人間のむすめと結婚しようとしていました。

なんと王子さまは、人間のむすめを命の恩人と勘違いしていたのです。

声をなくした人魚姫は王子さまに「助けたのは私です」と伝えることができません。

そして……。



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「――そして、私が結婚式を済ませると、我が愛しの人魚姫は海の泡となって死んでしまう」


 王子様は一息つくと、この想区の善悪を問うようにレイナの目を見据えた。


「どうだ、滑稽な話であろう? 私が、本当に愛すべきは人魚姫であると気づくだけで、誰しもが幸せになれるのだ。……だというのに、この想区はそれを許さない!」


 怒りをあらわにした王子様が忌々しそうに言葉を吐き捨てる。


「……我が王家のおきてを覚えておるか? 『汝、ぼんくらたれ』というやつだ。あのおきてはな、王子をぼんくらに育て、命の恩人が人魚姫だと気付かせぬために……人魚姫を殺すために作られたおきてなのだ」


 思わず息を飲んだ。王子様が言うことが真実なら、彼は大切な人に気付かないまま見殺しにできるよう、子供の頃から拷問まがいの教育を受けてきたことになる。そんなの、ひどすぎる……。


おきてに従って我が国の王子にぼんくら教育を行う理由は、もうひとつある。自分のきさきが人魚姫を死に至らしめた原因だと気付かせぬようにしているのだよ。どんな理由や経緯があったにせよ、命の恩人といつわって王家に潜りこんだ女のせいで人魚姫は死を決意するのだ。そんな女を、事実を知りながらきさきとして愛せるか? 母と、祖母と呼べるか?」


 そこで王子様は言葉に詰まった。そして悲しげに目を伏せた。


「……それに、そんな女が、みなを騙している罪悪感と、今にも真実が白日に晒されるのではないかという恐怖に、来る日も来る日も押し潰されそうになり、日に日に弱ってく様を見たいか?」


 それは王子様の母親のことなのだろうか? おばあさんのことなのだろうか? それとも、王子様の前にきさき候補として現れた女性のことなのだろうか? いずれにせよ、それは王子様の心に深い闇を落としているようだ。

 王子様はレイナを真っすぐと見ると、自虐的に口元を歪めた。


「どうだ? これでもこの想区は正しいか?」


 レイナは王子様の視線真っすぐ見返すと、ハッキリと断言する。


「……この想区が正しいかどうかは私には判らないわ。でも、この想区を消滅させようとしているあなたは絶対に間違っているわ」

「珍しくお嬢と意見があったな。オレもそう思うぜ」

「あい、シェインも以下同文です」


 タオとシェインもレイナの意見に賛同した。……でも、僕は迷っていた。王子様は間違っているかもしれない。けれど、僕が王子様の立場だったら……シンデレラが無残に死を繰り返す想区に生まれていたら、僕は王子様と同じ道を辿らないと言えるのだろうか?

 王子様が鼻を鳴らすと、静かに口を開く。


「……なるほど。私は間違っている。だから、人魚姫は無限に死に続けるべきで、我ら王家は永遠に苦しみ続けるべきだ……。君たちは、そう思うのだな。君たちは、私たちにこの想区の生贄となれと言うのだな?」

「それは……」


 レイナが答えを避けるように視線を逸らす。タオやシェインも返す言葉がないらしく黙ったままだ。

 その様子を見た王子様がつまらなそうな顔で息を吐いた。


「私が正しいのか間違っているのかなど、些末さまつなことだ。大切なのは、この想区で実際に苦しんでいる者たちがいることだと考えておる」


 徐々に王子様の眉間にしわが寄っていく。


「我がぼんくら王家は自らが本当に愛する女性にも気づかずに、何代も何代も何代も何代も人魚姫を見殺しにしてきた! 何代も何代も何代も何代もきさきごうを背負わせた! これらは許されるべき所業しょぎょうではない!」


 王子様は真っすぐに伸ばした腕を肩の高さまで上げて剣を掲げる。


「だから、私はこの剣に誓ったのだ! たとえ『運命の書』に逆らおうとも人魚姫を愛し、人魚姫を守ると! 私は、彼女の犠牲が無ければ得られないハッピーエンドなど要らない!! 愛する人すら選べぬような世界など破壊してやる!!」


 王子様が決意の叫びをあげる。その決意は固く、僕たちのような余所者よそものの意見なんて聞き入れる耳を持たないかもしれない。……だから、僕は言わざるを得なかった。


「……でも、王子様は、それで良いんですか? 自分自身の行いに納得できたんですか?」


 王子様が驚いた顔をする。剣を持つ腕をゆっくりと下がっていく。判りやすい動揺。……やっぱり、この人に悪役は似合わないよ。


「王子様は、なぜ自身で生み出したヴィランに自分を襲わせたんですか? そんなことをしたら、トラウマのせいでカオステラーの力を使うこともできないって解っていたはずなのに」


 王子様は答えなかった。だから、僕は推測の続きを語る。


「……トラウマを克服したとき、僕には王子様がスゴく戸惑っていたように見えました。……それで思ったんです。カオステラーに憑かれてしまった王子様は、ヴィランに自分自身を襲わせることでトラウマを発症させて、カオステラーの抑止力としたんじゃないかって」


 僕は大きく息を吸い込むと、断定するように強く声を出した。


「王子様は、自分がやろうとしていることが正しいことではないって解っていたから、誰かに止めて欲しかったんですよね」


 唖然とした表情で立ちすくんでいた王子様は、突然に笑いだしたかと思うと、頭をグシャグシャとかきむしった。


「……だったら、どうだというのだ? たしかに、エクスの言う通りだよ。たとえ人魚姫を救うためとは言え、他の誰かが犠牲になるのは納得ができん。しかし、だからと言ってこの想区が正しいとは微塵も思わん」


 王子様が何処か狂気じみた笑みを浮かべる。


「……私に取り憑いたカオステラーがささやくのだ。『この想区を滅ぼし、大切な人たちを救え』と。その言葉にそそのかされ、すでに何人もの者たちをヴィランへと変えてしまった。我が手はすでに汚れきっておる。もう今さら後戻りはできん。もはやトラウマも抑止力にはならん。私を止める手段はもう存在しないのだ!」


 ピリピリとした空気。切迫せっぱく感と悲壮ひそう感をまといながらも王子様は毅然とした態度で振る舞う。


「だったら……僕たちが、王子様を止めてみせます!」

「やれるものなら、やってみるが良い!」


 僕は『空白の書』に『導きの栞』を挟みこむ。レイナやタオ、シェインも後に続く。


「――私は、君たちを打ち倒してでも、愛を貫かせてもらう!」


 青く輝く剣を構えた王子様が、僕らへと向けて地面を蹴りだした。ジャックとコネクトした僕も対するように全力で飛び出す。ぶつかり合う一撃と一撃。重さは互角。しかし、王子様はすで二撃目の体勢に入っている。スピードは向こうが遙かに上。

 迫りくる剣を、僕と入れ替わるように前へ出たタオの盾が防ぐ。ハインリヒにコネクトしたタオが槍を突き出すが、王子様は槍のを掴むとタオのバランスを崩し、地面へと引き倒す。

 倒れこむタオの体を目隠しとして魔弾が王子様へ飛来する。ラーラとコネクトしたシェインが幾重いくえにも打ち込んだ魔弾を、易々と叩き切る王子様。その背後に回り込んだ僕は振りかぶった剣を最速で振り下ろすが、王子様はこちらをまるで見ずに僕の一撃を防いだ。

 飛び起きたタオが突きを繰り出すのに合わせて、僕が連撃を繰り出す。王子様は剣で槍を受け止め、僕の剣を漆黒の小手で受け止める。そのまま王子様を挟み込むように、タオと僕が武器に力を乗せる。王子様の動きが止まった。その足元にシェリー・ワルムにコネクトしたレイナが光の柱を生み出した。光の柱に飲み込まれた王子様にシェインが魔弾を乱射する。


 やったか!? そう思った瞬間、光の柱の中から現れた青い刃がタオを切り裂く。2、3歩と後ずさったタオは大の字に倒れ込んでコネクトが解けた。

 タオを襲った青い刃が間髪を入れずに僕を襲う。身を捻って辛うじて防ぐ。しかし、続けて光の柱の中から現れた漆黒の腕に、僕の頭部が掴まれる。そのまま宙に持ち上げられた僕は必死に反撃を試みるが、それよりも早く王子様の剣が僕の腹部を貫いた。

 王子様は僕を投げ捨てると、レイナとシェインに駆け抜けた。一瞬のうちに切り捨てられたふたりのコネクトが解除される。僕のコネクトもいつのまにか解除されていた。

 漆黒の鎧に身を包んだ王子様がこちらへと振り返り、倒れ込んでいる僕らを見下ろす。


「……安心するが良い。命までは奪わんよ。君たちには恩があるからな」


 王子様は剣をさやに収めると、僕らに背をむけて立ち去ろうとする。

 僕の体は鉛のように重くなっていた。力も入らない。もう二度と立ち上がれないんじゃないかとすら思った。でも、彼を追うように、僕の体は立ち上がって一歩を踏み出す。


「……どこに行くんですか? まだ、終わってませんよ」


 王子様の肩がぴくりと揺れると、首を回してこちらを向いた。


「なぜ立ち上がる? 君たちにとってはこの想区などどうなっても構わんだろう? だというのに、なぜ立ち上がる?」


 僕は息も絶え絶えになりながら思いを口にする。


「王子様。……王子様が、カオステラーの力を使って人魚姫さんを助けたとしても、人魚姫さんはきっと喜びませんよ。それどころか、王子様を止められなかったことを悔やみます。だから、僕は、人魚姫さんの代わりに王子様を止めなきゃいけないんです」


 王子様は体ごとこちらを向くと、怒りの表情を露わにした。


「お前に何が解かる!? 彼女の何が解かる!? 彼女を理解したような口をきくなっ!」

「人魚姫さんを理解していないのは王子様の方です! 人魚姫さんは、大切な想い人が自分のために間違いを犯すのを見て喜ぶとでも思ってるんですか!?」


 喜ぶはずがない。王子様がカオステラーに取り憑かれて、人魚姫さんのために『運命の書』に逆らって破滅に向かっていくんですよ? ……もしも、シンデレラがカオステラーに取り憑かれて、僕のために『運命の書』に逆らって破滅に向かっていったとしたら、僕は嬉しいと感じるだろうか?


「……僕は嫌だ! 大切な人が道を踏み外そうとするなら、力ずくでもそれを止めます! 僕の剣は大切な人を守るそのために磨いてきたんです!」


 僕は『導きの栞』を取り出して、ジャックの状態を確認する。先ほどの戦闘で体力はほとんど残っていなかった。


「坊主! ハインリヒも使えっ!」


 いつの間にか僕の足元まで這いずってきたタオが、僕に『導きの栞』を差し出した。僕はタオから『導きの栞』を受け取ると、ハインリヒを僕の『導きの栞』へと移した。

 ジャックとハインリヒ。2人のヒーローが僕に力を貸してくれるのは心強い。重かった体に少しだけ力が戻った気がする。


「準備は済んだか?」


 剣を抜き放った王子様が、僕に相対あいたいする。

 僕は頷くと、『空白の書』に『導きの栞』を挟み込む。

 ジャックとなった僕は、王子様との距離を一気に詰める。あまり体力が残っていない今の状態で長期戦は不利。一気に勝負を決める!

 王子様は僕の突進を止めるために何度も剣を振るう。一撃受ければ致命傷。でも躊躇する訳にはいかない。身を捻り、剣を盾とし、僕は王子様へと肉薄する。

 僕は右腕を振り下ろして王子様に剣を叩き付ける。しかし、その攻撃と易々と受け止めた王子様は反撃に転じる。僕はすかさず『導きの栞』に手を伸ばす。――力を貸して、ハインリヒ!

 王子様の剣撃を、僕の左腕に現れたハインリヒの盾が受け止める。そして、僕の右手からは片手剣が消え、代わりに槍が現れた。王子様の意識が一瞬だけ僕の右腕に移ったのを見逃さない。

 僕は左手に持った盾で王子様を殴る。殴る。殴る。堪らず後ろへ下がった王子様。逃がさない。僕は盾から手を離すと、その盾を王子様へ向かって蹴り飛ばした。

 急に飛来した盾で視界を奪われる王子様。剣を薙いで盾を打ち払うが、その隙に僕は間合いを詰めて、右腕を振り上げる。


「その技は見切っておる!」


 王子様は、僕が振り上げた空っぽの右手には目もくれない。代わりに槍を持ち替えていた左腕を確認すると、渾身の一撃を振るって槍を弾き飛ばす。王子様が口の端で笑った。

 ――まだだ! 僕は左手で『導きの栞』に触れる。 ――力を貸して、ジャック!

 弾き飛ばされたハインリヒの盾が、槍が、光となって消える。代わりに振り上げたままの僕の右手に、光り輝くジャックの片手剣が現れる。王子様がそれに気づくが、もう遅い!

 ありったけの思いと勇気を込めて剣を振り下ろす。これが今の僕にできる最強の一撃。

「ジャイアント・ブレイブっ!!」

 ゼロ距離で放つ必殺技。その衝撃と輝きに辺り一帯が白く飲み込まれた。



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「……体の調子はどう?」


 気が付くと僕はレイナの膝枕に頭を乗せて横になっていた。


「大丈夫だよ。ありがとう」


 僕が立ち上がろうとすると、レイナがさっと肩を貸してくれた。自分では大丈夫なつもりでも、足元がおぼついていないように見えるらしい。タオとシェインも僕を支えてくれる。

 顔をあげる。視線の先に、倒れたままの王子様。ヴィランを思わせる漆黒の鎧は、見る影もなく壊れてしまっている。

 王子様が視線だけをこちらへ向けた。


「……やあ、エクス。……情けない格好だな」

「そういう王子様こそ、ボロボロじゃないですか」


 僕らは王子様の近くへと歩み寄る。王子様は首だけをかすかに動かすと、僕の顔を見上げる。


「……なあ、エクスよ。彼女は……人魚姫は、私の所業を見下げ果てているだろうか……? 私に愛想を尽かしてしまっただろうか……?」


 まるで雨に打たれた子犬の様な瞳。不安そうにすがりつく視線。

 僕は努めて優しく笑う。


「そんなこと、ある訳ないじゃないですか」

「……そうか」


 王子様は安心したように安らかな表情を浮かべる。


「……レイナよ、『調律』を始めてくれ。……私の決心が、鈍る前に」


 レイナがうなずくと、僕から離れて王子様に触れる。そして小さく深呼吸。


「『混沌の渦に呑まれし語り部よ。われの言の葉によりて、ここに調律を開始せし……』」


 レイナの身体から白い光があふれた。それは混沌を秩序に戻す、調律の光。

 調律の光が世界を飲み込んでいく中、ふと王子様の声が聞こえる。


みなよ、私を止めてくれて感謝する」


 そして、『人魚姫の想区』はもとの姿を取り戻す……。



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「……ううむ」


 王子様が目を覚ます。大きく体を伸ばし、だらしなく欠伸をする。辺りをキョロキョロと見渡すと、眠たそうな眼差しを僕たちへ向ける。


「私は眠っていたのだろうか? ……なんだか悪夢を見ていたような気がする」

「ええ、グッスリとお休みでしたよ」

「死んだように爆睡でした」


 王子様はボリボリと頭をかくと、もう一度、大きく欠伸をする。そしてすくっと立ち上がると、体を僕たちの方へ向ける。もう僕らとの戦いで負った怪我は王子様から消えていた。


「君たちは旅の者なのか?」


 王子様が僕たちに聞いた。もう僕らとの思い出は王子様の中から消えていた。ストーリーテラーを『調律』して想区を元の姿に戻したのだから、当然のこと。でも、僕は寂しい気持ちを隠せない。みんなもきっと同じ気持ちだろう。

 タオが暗くなりそうな雰囲気を払拭しようとしたのか、明るい声で王子様の質問に答える。


「おう! オレたちタオ・ファミリーは世界中の美味いものを探して旅してんのよぉ!」

「なんなのよ、その旅の理由は。あとそのファミリーとやらに私を入れるのやめてくれる? なんか腹たつ」

「姉御は美味しいものを食べたくないですか?」

「……それとこれとは話が別よ」


 レイナたちのやりとりを見て、王子様が「なーっはっはっはっ!」と声をあげて笑う。


「いや、君たちは実に運が良い! もうすぐこの国の王子たる私の結婚式がもよおされるのだ。国をあげての盛大な祝いで、民衆にもご馳走が振る舞われる。このタイミングでこの国に立ち寄ったのも何かの縁だ。君たちも楽しんでいくと良い!」


 そう言って王子様は再び「なーっはっはっはっ!」と声をあげて笑う。僕はその顔を見ていたたまれない気持ちになった。だって、王子様の瞳からは大粒の涙がボロボロと流れ出ているから。

 やがて王子様が涙に気付く。


「……なんだ? いったいどうしたというのだ? この涙はなんなのだ? なぜ止まらん? 私の晴れの舞台なのだぞ!? こんなに嬉しい事は無いはずなのだぞ!?」


 やがて王子様の言葉は号泣の叫びへと変わる。

 ……王子様が結婚すると、人魚姫さんは海の泡となって死んでしまう。『調律』が行われた今、王子様はその事実を覚えていない。でも、人魚姫さんを死なせたくない、その想いだけは『調律』でも消すことはできなかったようだ。

 僕たちは王子様が落ちつくのを、ただ待つことしかできなかった。

 ひとしきり泣いた後、落ち着きを取り戻した王子様に、僕はハンカチを手渡した。


「ありがとう、エクス」


 王子様はハンカチで涙の跡をぬぐって鼻をかむ。それをみて僕は思わず苦笑いする。


「……情けないところを見せてしまって済まんな」

「もう大丈夫ですか?」

「ああ、もう大丈夫だ」


 王子様がマントをバサッと広げて、白い歯を見せる。


「あまり情けない姿ばかりでは、大切な人に笑われてしまうからな」


 そして、王子様は海を眺める。


「もう、顔も名前も、いつ何処で会ったのかすらも思い出せんが、私にはとても大切な人がいる。その人が私に何度も何度も言った言葉があるのだ」


 『調律』する前に王子様が言っていたことを思い出す。それはきっと、海で溺れたフリをしている王子様に、人魚姫さんが言った言葉。


「その人が私に言った言葉は『Bon courageボン クラージュ』。異国の言葉で『がんばれ』という意味らしい」


 頑張れ。その言葉に人魚姫さんがどのような想いを込めたのか、僕には判らない。でも、それはきっと……。


「だから、何があろうとも、どんな運命だろうとも、私は頑張って生きてゆくさ」


 そう言って王子様は高らかに笑った。




                  Fin

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グリムノーツ ~ぼんくら王子のボンクラ夢物語~ ペーンネームはまだ無い @rice-steamer

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