バタア・ナイフ

ドクダミ草

第1話

シックで欧風な外観を呈している一軒家は、午後の緩やかな陽光に包まれている。随所にあしらわれた観葉植物は鮮明な緑を穏やかな空間に投影し、ベージュ掛かった壁紙に絵具を落としたかのように色彩を滲ませていた。

閑散とした室内は、至る所に幽霊でも配したかの如く不気味に静まり返っている。それでも尚涼しい顔をして流麗な身体付きを見せるこの家を、近所の住民は「ゴースト・ハウス」と揶揄するのである。しかしその風采はゴーストというより、まるでギリシアの彫刻のように冷淡であった。


整頓されたシステム・キッチンの傍。艶のある木目を大胆に露出し、このゴーストハウスの中で凛と構えているウッドテーブル。その卓上には、一本の古びたバターナイフが座していた。純銀で出来たそれは他のどの家具よりも格段に麗しい物であり、また、鈍る事のない光沢の中には僅少の憂いを孕んでいた。


このバターナイフが彼の手元に舞い込んだのは、彼が三回目の誕生日を迎えた時だった。未だ幼かった彼はそれが何なのか判然とせず、しゃぶってみるなり、握ってみるなり、彼なりの手段で弄んだ。

彼がこのバターナイフを使い始めたのは、彼が小学校に上がってからの事だった。毎朝の食卓にパンが並んでいた彼はそのナイフでバターを掬うと、芳醇な香りを潤沢に含有した塩パンに塗りたくり、満開の笑みを溢して食らいつくのだ。

以来、彼の朝にはこのナイフが常に寄り添う事となった。来る日も来る日もテーブルの上で彼の起床を待ち、バターを掬う。彼は寝ぼけ眼を擦り、少しの愉楽と共にバターナイフの柄を握る。彼はいつしか、このナイフに愛着以上の何かを感じ取る事となっていた。


静寂に抱かれた室内は、どこか物悲しげな雰囲気を纏っている。電力が供給されなくなって久しいこの家に、灯りが灯る事はもうないのであろう。柔らかな笑みを浮かべる彼の遺影が、窓から差し込んだ穏やかな陽光に反射した。


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バタア・ナイフ ドクダミ草 @dokudami

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