第34話 思いがけない報告
綺音は胸が痛んだ。
もし、いま、晶人に逢えなくなったら?
きっと、とても悲しい。
つらくて、切なくて、たまらない。
「……パーパ、つらかったよね」
一瞬、彼は返事に詰まった。
──その頃は自覚がなく、それほどつらくもなかったけれど。
なにしろ自分の自由を護ろうとするだけで精一杯で、ほかの誰かのそれまで護ることのできる力など、持っていなかった。それは悔しかったが、愛や恋といった感情を理解していたわけではなかった頃の話だ。つらく思うほどの気持ちもなかった。
そう思うが、いろいろと考えると、正直に言うのは避けたほうが良いように思われた。
「そうだね」
「でも、大人になって、もう一度、出逢えたんでしょう」
美弦が尋ねると、両親は頷いた。
「よかった」
「ほんとにね」
綺音と美弦が微笑み合う。
「……それからも、順調とはいえないときもあったけれど、こうしていま、綺音と美弦も授かって、とても幸せだ」
「わたしもよ、集一。綺音。美弦。本当に幸せだわ」
「パーパ。マンマ。産んでくれて、ありがとう」
「ありがとう」
両親の顔に、笑みが浮かぶ。
「……そうそう。報告があるの。綺音と美弦に」
結架が両手を胸の前で合わせた。
「なに?」
「報告?」
集一と結架が顔を見合わせる。
「じつはね」
◇ ◆ ◇
翌朝。
迎えに来た奏の目には、綺音はぼんやりしているように映った。
「どうしたの?」
「うん……いや、ちょっとね」
言葉を濁す。
綺音が言いたがらないので、奏は追及しない。こういうとき、幼馴染みとして対応を間違えはしないのだ。
いつものようにヴァイオリンを背負う綺音のために、奏は彼女の鞄を持ってやる。甘いと言われることだが、もう習慣なのだ。いまさら変えるつもりはない。
「……はあ」
綺音が大きな吐息を放った。
それでも、奏は何も訊かない。
学校に着いても、綺音はそのままだった。
「おはよう、綺音」
美月、咲子、真理絵がやってきても、綺音の目はいつもの輝きを取り戻さない。
「……真理絵ちゃん、ちょっと」
立ち上がり、真理絵の腕をとった。
「え? え?」
そのまま彼女を引っぱって行ってしまう。
残された美月、咲子、奏は顔を見合わせた。
◇ ◆ ◇
人通りの少ない、教員棟と校舎をつなぐ渡り廊下。
「えっ、そうなんだ! おめでとう!」
話を聞くと、真理絵は開口一番にそう言った。
目をキラキラさせている。
「よかったね、綺音」
「うん……」
しかし、綺音は元気がない。
「どうしたの?」
「うん、まだハッキリしないんだけど」
綺音は悩んでいることを打ちあけてみた。
「……そうかな? だって、そんなこと、ある?」
「正直、わかんない。でも、そう感じたの。わたし、そういうのって鈍いほうだけど、晶人くんのことなら、わかる気がする」
「そっか。大好きなんだね、蔵持くんのこと」
綺音の頬が真っ赤に染まった。
「まだ、ほかの子たちには言わないで。真理絵ちゃんなら静かに聞いてくれると思って、話したの。美月ちゃんは、きっと騒いじゃうし、咲子ちゃんは励ましてくれるだろうけど美月ちゃんに相談しちゃいそうだし、奏ちゃんは男の子だから話しにくいし、厭じゃないけど、でも」
真理絵は優しく綺音の手をとった。
「うん。わかってる。大丈夫よ」
綺音はほっとする。
「そう……ありがとう」
「でも、どうするの? 蔵持くんには、話さないようにするの?」
「……傷つくところは見たくないけど、いずれは解っちゃうことでしょ。どうしたらいいのか、わかんない」
「ふたりだけのときに話してみたらどうかしら?」
「ええ?」
真理絵は真剣な表情をした。
ひとさしゆびをたてる。
「だって、きっと、ほかのひとの前では聞きたくない話になるでしょう? もし、綺音の思っているとおりだとしたら」
「それは、そうだけど、でも」
綺音は怯む。
「そのまま慰めてあげることもできるわよ。ふたりきりなら気兼ねなく」
「なんて言って慰めればいいのか、わからないよ」
途方に暮れた、といった顔をする綺音に、真理絵は頷く。
「そうだけど、言ってあげたいことはないの?」
「言ってしまいたいことなら」
「この際だから、伝えちゃったら?」
「やだよう。失恋決定じゃん」
「そんな。わからないわよ」
「だって、晶人くんはマンマが好きなんだよ? わたしの気持ちを伝えても、喜んではくれないよ」
「は?」
背後から声がして、綺音は勢いよく振りかえった。
「奏ちゃん……」
顔が引きつる。
「綺音、それ、マジで?」
美月から様子を見て来いと言われてきた奏は、思いもかけなかった綺音の言葉に、驚いた。
「~~~~~っ」
「……まさかぁ」
「たぶん、そうだよ! だって、マンマのこと、すっごく気にしてたもん。パーパとのこと、いろいろ訊かれたもんっ」
やけになって、声を荒げて言う。そのとげとげしさに、真理絵は頭を抱える思いだった。
「本人に確かめたのか?」
「まだだけど、でも、いいもん。そんなこと、訊けないもん」
「だって、綺音は晶人が」
「あー、はいはい。好きです! すっごく大好きです!」
解っていたこととはいえ、奏は傷ついた。
そんなに厭そうに、しかしはっきりと断言されては。
立つ瀬がない。
「……綺音」
「もう。奏ちゃんに聞かれるなんて、最悪」
とどめをさされた。
「そうですよー。可哀そうな綺音の片思いですぅ。でも、晶人くんのほうが可哀そうで……」
綺音の胸が、ずきずきと痛む。その痛みは、奏と同じほどのものだろう。けれど、彼女は全く気がつかない。思いもしない。
眉を下げた綺音の表情に、奏は抱きしめてやりたい気持ちに駆られた。けれど、それを彼女は拒むだろう。そういうことを嫌う子だ。頭を撫でられるのも、触れられることさえ。
「……まだ決まったわけじゃない。演奏家としての結架さんが気になるだけかもしれないじゃないか」
「それで、パーパとエンマンかどうか、訊く?」
奏は黙ってしまった。
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