第28話 舞い上がるショパン

「続いては、音楽愛好部の発表です。部員の皆さんによる寸劇と、ヴァイオリン・デュオの演奏発表です」


 拍手がおくられる。


 舞台の上に、兎と鼠が現われた。


「ねえ、兎さん。音楽愛好部って、どんな活動をしてるの?」

「よくぞ訊いてくれました!」

 兎が片腕をぴん、と挙げる。

「その名の通り、音楽を愉しむ部活です。演奏する部員もいれば、鑑賞する部員もいます」

「楽譜が読めなくても、大丈夫?」

「大丈夫! だって、日常、いちばんの活動は、音楽鑑賞と感想交流ですから!」


 猫と犬が現われる。


「あのう。私たち、音楽のこと、よく解りません」

「私も、よく解りません」

 兎はピョン、と跳ねた。

「いいんです! 部長の私も、あんまりよく解ってませんから!」

 新入生たちから、小さな笑いが漏れる。


「でも、それでいいんですか?」

 鼠が肩ごと首を傾げる。


「音楽が好きなら! きっと気に入ります」

「好きなら?」

「好きなら?」

「そう! こんなふうに、お勉強します」


 兎はノートを取り出した。


「皆さんは、メンデルスゾーンという作曲家を知っていますか?」

「いいえ?」

「いいえ?」


「歴史に埋もれていた、あの大バッハを、再発掘した方です!」


「ええっ、バッハって埋もれてたの?」

「消えてた時代があったの?」

「信じられない!」

 兎がノートをめくる。

「そうなんです。彼は、凄い作曲家なんです!」

 そして、ノートをぱたん、と閉じた。


「今日は、そんなメンデルスゾーンにも負けない天才ふたりに来ていただきました!」

「天才ふたり?」


「そう。その名も、榊原さかきばら 綺音あやね! 蔵持くらもち 晶人あきと! 才能豊かな、ヴァイオリニストと、ピアニストです」


 兎がノートを持ったまま、両手を広げた。


 ヴァイオリンを持ってドレスを着た綺音と、タキシードを着た晶人がステージに現れると、新入生たちから大きな感嘆の吐息が聞こえた。


 よしよし、と美月は思う。


「ふたりには、今から演奏をしてもらいます!」

 ええっ、と鼠と猫、犬がのけぞる。


「最初の曲は、メンデルスゾーンの『無言歌集第30番、作品62‐6、春の歌』。これはもともとピアノ曲ですが、ヴァイオリン版があるのです」


 猫と犬が声を揃えて、

「お聴きください」


 綺音と晶人は一礼した。

 そして、晶人は椅子に座る。


 例の儀式、音合わせをする。

 ポーンと鳴るピアノのラの音に、ヴァイオリンのラの音が重なる。


 兎、鼠、猫、犬は、一旦ステージから下がった。


 綺音と晶人は視線で頷きあう。


 呼吸を合わせ、ヴァイオリンを構えた綺音から、晶人は一瞬も眼を逸らさない。その動き、姿勢、合図を見逃すことのないよう。


 優美で儚げな旋律がヴァイオリンから流れた。それを支える、ハープのような音型のピアノが鳴る。

 なめらかで、どこまでも雅やかな主題。落ちついていて、穏やかな。


 春の午後の陽ざしを浴びるサンルームでハーブの香りを楽しみながら、午睡を愉しむかのような。

 秘密の夢に溺れるような。

 その大人しい華やかさは、柔らかな絹の触り心地。


 ポロロンポロロンと響くピアノの上を、ヴァイオリンが優雅に滑っていく。

 そうして穏やかなまま、ロマンティックに曲が閉じた。

 ほう、という嘆息があちこちから聞こえた。


 兎がとことこと出てくる。

「いかがでしたか? 続いては、ピアノの貴公子ショパンの作品。この曲もピアノ曲ですが、素晴らしいヴァイオリニストでもあったサラサーテがヴァイオリン版に編曲しています。『ワルツ第8番、作品64‐3』。それでは、お聴きください」


 そして、とことこと袖に戻っていく。


 綺音はヴァイオリンを構えなおした。晶人と視線を絡みあわせ、ふたたびタイミングをはかる。


 物憂げな旋律が、赤茶色い楽器から流れ出た。

 ゆったりとした主題。

 ワルツとはいっても、踊るためのワルツではない。

 しかし、心は躍る。


 羽ばたく音楽。

 舞い上がるショパン。


 優美で繊細。

 快活で清爽。


 モデラートの優しさ。

 仄かな香水の香りを嗅ぐかのような陶酔。


 綺音は軽やかに、巧みに楽弓を滑らせる。


上質な、鼓膜を撫でるかのような艶めく音が流れ出て、会場は恍惚に包まれた。

 やがて、煌びやかな高音と、重音で終わる。


「ブラボー!!」


 誰かが叫ぶ声がした。


 綺音の瞳が大きくなり、誇らしげに微笑む。

 拍手に包まれて、綺音は晶人と微笑み合った。

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