第27話 若草祭 当日

 そして、やってきた火曜日。

 『若草祭』当日。


 綺音は若草色のドレスを、晶人は白いタキシードを着こんだ。綺音の祖父のホテルから貸し出された衣装だ。


 美月たちは着ぐるみの下に、ドレスや燕尾を着ている。

 春とはいえ、かなり暑いだろう。


 しかし、皆、楽しそうだった。

 美月は兎、咲子は猫、真理絵は犬、奏は鼠の着ぐるみだ。


 寸劇の通し練習もした前日、小さな失敗もあったが、ここまできたら、もう押し通すしかない。


「とりあえず、ほかの部活を見て、楽しもう?」


 部長の美月が大らかにいうので、誰もがそれに異を唱えなかった。


 いまは料理部がステージ上でクレープシュゼットを作っている。これは砂糖とリキュールがフランベされたカラメルソースと、オレンジジュース、すりおろしたオレンジの皮からなる料理で、フランスのシェフであり、レジオンドヌール勲章を持つ天才、ジョルジュ・オーギュスト・エスコフィエがレシピを書いたものだという。


 起源については諸説ある。

 17世紀、シュゼット・カリニヤンという貴族の女性のために、ジャン・ラドゥーという料理人が考案した。

 19世紀、料理人アンリ・シャルパンティエが手違いで作った。

 どれもそれなりに信憑性がある。


 作り方がエンターテイメント的なので、レストランなどで客に喜ばれる。


 料理部は、そうした説明をしてから、ステージにガスコンロを持ちこみ、フライパンの上でクレープとリキュールを熱し、そのアルコール分に火をつけてフランベした。大きな炎に、新入生たちから歓声が上がる。


 これは料理部の毎年の出し物だ。昔は危ないからと教師たちに止められていたのだが、消火器を持って踊る部員たちを5人、全員、事前に消火訓練を受けさせることで許された。


「ほんとに変わった学校だわ」

 綺音が言うと、奏が小さく笑った。

「いまさらだよ」


 新入生たちのなかから無作為に選ばれた3人がステージに呼ばれ、試食する。

「美味しい!」

 拍手喝采。

 大盛況だった。


「あ~、良かった、このあとじゃなくて」

 珍しく美月が気弱なことを言う。

「そっかな」

 綺音が囁くと、美月が囁きかえした。


「音楽が料理に負けるとは思わないけど、食欲には勝てないかもしれないわ」


 くすくす笑いを忍ばせて、

「そっかも」

 綺音が答えると、

「いつもながら、綺音は緊張しないのね」

「するだけ無駄。だってわたし、ミスしないもん」


 絶大な自信があふれる。それだけの練習を重ねているからだと知っている美月は、頷いた。しかし、彼女は知らない。本当は、綺音の心は小さく震えている。ミスが怖いのではない。どれだけ聴衆の心を掴めるのか、その不安に、心が縮むのだ。


「……大丈夫。綺音は大丈夫だよ」


 奏がひっそりと囁くのを聞いて、その震えは、かなり治まった。


 ──そうよ。わたしは大丈夫。


 吹奏楽部の演奏が始まる。

 その演奏は綺音からすれば幼いが、新入生たちは目を輝かせている。生演奏とは、そういうものだ。まして、数多い音の響きは、空気をびりびりと振動させて、全身を包む。


「負けないわ」


 綺音は呟いた。


 魅了してみせる。


 自分と晶人が演奏するのだ。


 誰にも、どんな出し物にも負けやしない。


 拍手喝采。

 料理部にひきつづき、会場は割れんばかりの拍手の渦に満たされる。


 次は柔道部の模擬試合だ。


 楽器が片づけられていく。


 ティンパニをひきずっていく女子の後ろから、道着を着こんだ男子

が出てきた。


 部長が挨拶をして、ひととおり技の説明をする。

 そして、試合が始まった。

 ものすごい緊張感。

 新入生たちも、息をのんで見守る。


 素早い動きで相手の袖をとろうとしたり、足をかけようとしたりする。先ほどの剣道部の模擬試合も興奮を呼んだが、柔道部の試合も白熱した。


「……あの右の子、うちのクラスの子だよ」

 美月が囁きかけてくる。

「先輩に果敢に挑んで、凄いね」

 やがて、右の生徒が動いた。


 見事な一本背負い。


 わあっと歓声が上がる。


「一本!」


 拍手喝采。

 今年の新入生は、感激屋が多いようだ。

 しかし、美月も力いっぱい拍手していた。


「……すごいね。先輩に勝っちゃった」

「うん」


 あと3つの部のあとに、音楽愛好部の発表だ。

 綺音は立ち上がった。そろそろヴァイオリンを準備しなければ。そして、軽く合わせてもおきたい。最終確認だ。


「じゃあ、あとで」

「うん」


 晶人も立ち上がる。

 管楽器と違って、ヴァイオリンはあたためる必要はない。しかし、楽弓のなじみを確認はしたかった。

 ふたりはとりあえず、音楽室に向かった。

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