第21話 姉弟だけの朝

 次の日の、日曜日。


 午後から全員でのアンコール曲の練習をすることになっている。


 午前中は、綺音と晶人だけで練習をすることになっていた。


 目覚めたときから、綺音はドキドキしていた。

 ふたりきりで、音楽堂での練習。


 音楽は、心をむき出しにする。

 意見が合わずに喧嘩することもあるだろう。

 けれど、心と心が裸でぶつかり合うのだ。

 それは、心を近づけさせる。

 同じひとつの曲を奏でるというのは、思ったよりも互いを近く感じさせるのである。


「……どうしよう」


 はずかしい、と綺音は思った。


 むきだしの自分を見られてしまうようで。


 シーツの中で、綺音は身悶えた。


 美弦との合奏では、そんなこと、思ったこともないというのに。


「うわぁ、うわぁ」


 そのとき、ノックの音が聴こえた。

「どうぞぉ」

 叫ばないと廊下までは声が届かない。よくとおる綺音の声でも、それは同じだった。


「綺音?」


 顔を出したのは、美弦だった。

「そろそろ起きないと、蔵持さん、いらしちゃうよ?」

 晶人の名前を聞いて、綺音はがばっと身を起こす。

「ええっ」


 すると、くすくす笑いが答えた。

「大丈夫。まだ時間あるよ。でも、急がないと、いくら時間をかけても足りないんでしょ?」

 お見通しだ。

 綺音の頬が熱くなった。


「……わたしって、わかりやすい?」


 きっと鏡の前でずっと髪をいじっても、不安は消えないだろう。晶人の前で、乱れた姿は見せたくない。


 美弦は微笑んだ。

「さあ。僕は、綺音の弟だから」

 だから解るのかもね、と美弦は言った。


「皆にも、わかってるのかな?」

「……皆は綺音の友だちだからね」

「奏ちゃんも、きっと、わかってるよね」

「奏は気づいてると思うよ」


 やだなぁ、と綺音は頬を抑える。

「だって、晶人くんって、なんとなく、パーパと似てる」

「そう?」

「うん。静かに笑うところとか、いろいろお見通しって感じとか、物静かなのに音楽には情熱を持ってるところとか」


「べた褒めだね、綺音」


 かああっ……と、血液が顔に登ってくる。

 綺音は美弦には包み隠さずに話が出来た。


「なんでかな。穏やか~な横顔とか、パーパみたいって思うの」

「綺音の理想は、パーパだもんね」

 うん、と綺音は頷く。

「美弦だって、マンマが理想でしょ?」


 くすっと美弦が微かに笑う。

 まるで、もうそんなに子どもじゃないよ、とでもいうように。

「僕はマンマが大好きだけど、マンマみたいな人って、そうはいないと思うな」


「綺音は?」


「パーパとマンマのいいところとよくないところ、ぜーんぶ足して生まれてきたって感じ」


「なぁに、それ」


 不満げに、ふくれっ面をする姉を、優しい視線で美弦は見つめる。


「ときどき自信が皆無になるでしょ、綺音は」

「自信カイム……そうかも」

「マンマと似てるよね。マンマって、自信がないから、人一倍練習する人だもん」

「そういうところが似てもなぁ」


 何故か美弦に言われると、腹は立たない。綺音はくすくすと笑った。


「でも、普段は自信満々でしょ。パーパみたいに」


「そ、だね」


 前のめりになり、腕をのばして交差させる。そうすると、いつも何故か落ちついた。


「綺音は綺音のままで、可愛いよ。蔵持さんがどう思うかなんて知らないけど」


「あ、ひどい」


「だって、まだ綺音は僕のだもん」


 可愛い弟にそう言われると、綺音としては、言い返せない。


 ぽん、と右手をさらさらの髪に乗せた。羨ましい髪質。可愛い美弦。母によく似た面ざしの、精緻に整った……。

 それを、羨ましいと思う気持ちが、どこかにある。


 大きな憧れ。

 小さな妬み。


 自分が母と同じ顔だったなら。

 もっと、可愛らしく振る舞えただろうか。


「髪、梳かして」

「いいよ」

 化粧台の上からブラシをとりあげた美弦が近づいてくると、綺音は長い巻き髪をばさりと後ろにかきあげる。


 くるくると縦ロールに巻かれた毛先。

 女の子たちには羨ましがられるけれど、アレンジの限られるこの髪質を、綺音自身は疎ましく思っている。

 両親も弟も、さらさらのストレートだ。


 綺音は、どうやら隔世遺伝したらしい。けれど、祖父母たちの写真を見ても、誰もこんな髪質の者はいない。昔は貰われっ子なのかと疑ったこともある。


 しかし、美弦が言った。

 すっごく可愛くて、似合っている髪だ、と。

 そして、綺音の顔立ちは父親似だ、と。


 父親の集一も、美弦ほどではないが、中性的な美しい顔立ちだ。その造作を引き継いだ綺音も、中性的だった。すこし、きりりとした表情が似合う。けれど、唇は紅を引いたように赤く、頬も桜色で、しっかり女の子に見えた。


 対して美弦は、綺音よりも女の子に見える。母親似なので、当然と言えば当然だ。

 薔薇色の唇と頬は愛らしく、ぱっちりとした瞳はみどりがかった茶色をしていて、まったく母親のコピーだ。


 華奢な腕が伸びて、綺音の髪を梳く。


 カールした髪は梳かなくてもまとまっているが、丁寧に梳けば、艶が増す。

 美弦は優しく姉の髪をくしけずった。

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