若草祭

第20話 マンマのファンは、一年じゅうサンタクロース

 友人たちが帰っていったあと、綺音は電話を睨んだまま、しばらく座っていた。


 美弦が結架と楽しげに話しながら、シチューを作っている。昔からの、結架のこだわりで、この家ではシチューに牛乳ではなく豆乳を使う。その、あっさりした味わいは、綺音も気に入っている。


 もっと小さいころから、綺音は電話が苦手だった。

 そもそも、出てほしい本人が出てくれるか疑問だ。携帯電話だというのに、何故に持ち主が出てくれないのか。


 綺音は、ため息を吐いた。


「綺音? もうすぐ夕食だよ」


 美弦が見かねて声をかけた。


「うん……はやく、かけちゃわないと、だね」


 綺音は覚悟を決め、受話器を手にした。

 しっかり覚えているのに余程のことがなければ使わない電話番号。


 呼び出し音を二秒聞いたところで、判っていた相手が出た。


「こんばんは、城内きうちさん」

 祖父の第一秘書の名前を呼んで、綺音は無意識に頭を下げる。このひとは決して人当たりが悪いわけではないのだが、事務的すぎて冷たい印象を持たせる。それが、綺音は苦手だった。


 城内は綺音の声を即座に聴きとった。

「これは、綺音さま。いかがなさいましたか」

「おじーさまと話したいの。いま、大丈夫?」

 それ以外に何の用件で電話をかけるものだろうかと、皮肉交じりに綺音は考えた。


 まったく、携帯電話だというのに。祖父の考えは、まったくもって解らない。


「少々、お待ちください」

 音がくぐもった。

 しかし、それほど待たずに相手は出てきてくれた。


「おお、綺音か。久しぶりだな。どうした?」

 元気そうな祖父の声。

 綺音はほっとした。


「おじーさま。お願いがあるの。いい?」

「綺音のお願いなら、いくらでもいいぞ」


 ──甘い。


 これが、父と険悪になっていた厳格な人と同一人物なのだろうか、と綺音は思った。


 父はこの祖父に将来を期待されてはいたが、それは彼が望む方向のものではなかった。音楽家への道を絶たれそうになったことも、一度や二度ではないと聞く。いまでも、父と祖父は仲良しではない。


 しかし、何故か祖父は、母と綺音、美弦には極甘で、三人のためになら、いろいろと助力を惜しまない。それはもう、かつての父への妨害と同じほどに熱心に。


「あのね。部活動勧誘発表会で寸劇をやるの。わたしは、いつもどおりのヴァイオリンだけど。それで、衣装をいくつか貸してもらえないかなと思って」

 祖父は豪快に笑った。


「勿論だ。いくらでも使いなさい。アメリカの小うるさい許諾権限のせいでゴールディランドの着ぐるみは無理だが、そのほかなら遠慮することはない。一番近い、オリエンタル・ホテルの記念撮影スタジオでよいかな?」

「うん、おじーさま。ありがとう」

「よし。では、話は通しておくからな。いつでも行って、好きな衣装を持って行きなさい。そうだ、搬送トラックが必要なら、手配しておくぞ?」


 いつ話しても、行き届いた祖父だ。

「ありがとう、おじーさま。そうしてもらえると嬉しい。着ぐるみって、持って運べないもん」

「ははは。そうだな。中型トラックで大丈夫かね」

「うん。充分。あ、運転手さんは坂上さんがいいな」


 さりげなく城内を避けた綺音に、祖父の苦笑いが聴こえた。


「わかった、わかった。どのみち、中型トラックの運転なら、坂上しかおらんだろう。ところで、学校に運ぶのなら、学校にも連絡しておこうか?」


「あ、それは美月ちゃんが先生に話してあるから、大丈夫。ほんとにありがとう、おじーさま」


「なに。綺音の頼みだ。いつでも頼っておいで」

「うん」

「最近は忙しいかね?」

「そうでもない。おじーさまこそ、忙しい?」

「いや、いままでどおりだ。まあ、忙しいのかもしれんな。たまには泊まりにおいで、綺音。美弦も一緒にな。結架さんも、集一も連れてきていいぞ」


 その言い方に、綺音は笑ってしまう。

「なんだか、パーパはついでみたい」

 祖父も笑った。


「そうだな。ついでだ。あいつは実家が好きではないからな。でも、家族一緒なら、来るだろう」

 その言い方が明快で朗らかだったので、あやうく綺音はその裏にある祖父の寂しさを聞き逃すところだった。


 『若草祭』が終わったら。

 学校の創立記念日で、三連休がある。

 父もアメリカから帰ってきて、少し休めると言っていた。母はひと月ほど、仕事を入れていない。

「……三連休があるの。そのあいだ、泊まりに行ってもいい? わたしだけになるかもしれないけど」


「勿論だ。待っているよ」


「僕も行くよ」


 美弦が会話に割りこんだ。さきほどから、ずっと聞いていたのだ。


「おや、美弦か?」


 綺音は受話器を弟にさしだす。

「こんばんは、おじーさま」

「やあ、美弦。元気かね?」

「もちろん」

 美弦の顔に笑みが弾けた。


「僕もお邪魔していいですか? おじーさまにも、おばあさまにも、ずっと会っていないもん」

「おお。それなら、迎えの車をやってもいいぞ。ふたりでも、皆でも、おいで。弦子ふさこも喜ぶ」

「はい!」


 それから美弦は、祖父と短く会話を交わして電話を切ろうとした。が、祖父がこう言った。


「待ちなさい。結架さんに一言、挨拶したい」


 ぷっと姉弟はふきだした。

「本当に、おじーさまはマンマの熱烈なファンね」


 綺音が言うと、そうだな、と祖父は再び豪快に笑った。

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