第19話 お願い、部長!
曲目が決まってきたところで、練習の話になった。
「学校でやれば? 皆で通して練習する必要も あるんだし」
奏が言ったが、晶人は首を横に振った。
「新入生たちに、耳新しい音楽を聴かせたいのだろう? 学校で練習したら、皆に聴かれてしまうよ」
「じゃあ、どうするの?」
美月が答えを想像しながら問う。
「ここをお借りできないかな」
やっぱり、と奏と美月は思った。
「うち?」
綺音が無邪気に喜ぶ。
「いいよ。音楽堂でレッスンするのと同じだもん。西澤先生にも聴いてもらえるだろうし」
奏は頬が強ばるのを感じたが、どうにもできなかった。
嬉しがる綺音の輝く笑みに、雲を飛ばすようなものだ。明るい笑みに影が差すところは、見たくなかった。
「西澤先生?」
晶人の問いに、綺音は頷く。
「わたしのヴァイオリンの先生。室内楽のレッスンもしてるから、今回の練習の先生としてはテキニンだと思うわ」
「それは、ありがたいね」
「うん!」
微笑み合う綺音と晶人に、奏の胸が縮む。こんなに心の狭い人間だったろうか、と彼は自嘲した。綺音を独占してきた今までが特殊だったのだ、と自分に言い聞かせる。
恋人でもないのに。
家族でもないのに。
ぱん、と美月が手を鳴らしたのに、奏は我に返った。
彼女は綺音と晶人に向かって指示をだす。
「じゃあ、いくつか練習しておいてね。アンコールもあるかもしれないから、準備しておくように!」
「ええ? あるかなぁ、アンコール」
美月は澄まして答える。
「藤田にさせるわよ」
「うわぁ。策士だぁー」
珍しく、咲子が明るくおどけた。その調子っぱずれな音程に、思わず綺音は笑いだす。つられて皆も笑った。奏も、咲子も笑う。
「じゃあ、アンコール曲も決めないとね」
綺音の視線に、晶人が頷いた。
その優しい笑みに、綺音はどきりとする。
──好き。
唐突に、そう思った。
この笑顔を、もっと見ていたい。
ずっと近くで。
ずっと自分だけが。
そんな気持ちは、はじめて抱く。
綺音は頬が火照って、思わず手のひらで顔をあおいだ。
「そういえば、さっきの歌曲は? あれ、いい曲だよねぇ」
咲子が頬杖をついて、皆を見回す。奏が小さく吐息を放ち、
「残念だけど、曲として長いんだ。短く編曲するのも難しいから、『若草祭』では諦めたほうが無難だよ」
綺音も晶人も頷く。
「わたし、あの曲を短くはしたくない」
「たしかに残念だけど、相応しくないだろうね」
「じゃあ、さっきの曲は全部、却下ってわけね。仕方ないか。やっぱり、アンコール曲だからって、長くは出来ないものね。他の部の発表を邪魔するわけにはいかないもの」
美月が腕を組んで言う。
「たしかに」
「そうだね」
「そうなると、一分弱の曲がいいだろうね」
コンパクトディスクのジャケットを見ながら、奏が呟いた。
「ある? そんな、都合のいい曲」
「んー、クライスラーの、『美しきロスマリン』は?」
言いながらも、あまり気乗りしていない、奏の声。
綺音が首を横に振った。
「ダメ。アンコールなのに、盛り上がりに欠ける。手拍子してもらえるような曲がいいよ。『チャールダーシュ』みたいに」
「そっか、そうだよな」
「じゃあ、どっちかかなぁー」
真理絵がディスクを両手で見比べながら、ひとり言のように言う。
「え? どれどれ?」
「12のバガテル、作品13。第9番。『蜜蜂』」
真理絵からディスクを受けとった奏が、プレイヤーにそれを入れて曲を流す。
素早い動きの羽音を思わせる音型が流れた。
「……これぇ?」
綺音が、つまらなそうに言う。
たしかに技巧的で、弾く分には面白そうだ。しかし、クラシック音楽に身近でない生徒に訴えかけるには、すこし弱い気がする。迫力がいまひとつというか、物足りないというか。
「いや、難しい曲だとは思うけど、手拍子くるかな。もっとノリのいい曲がいい」
真理絵と美月が顔を見合わせて苦笑する。
「まあ、綺音からしたら、そうだよね」
「じゃあ、こっちかな」
真理絵がもう一枚のディスクを奏に渡す。
「八曲目ね」
「うん」
再生ボタンを押した途端、綺音の目が輝いた。
「これがいい」
やっぱり、と真理絵が笑う。
「ちょっと長くなっちゃうんだけどね。手拍子ももらえそうだし、私たちもタンバリンやカスタネットで参加できそうだし、いいんじゃないかな」
「部活紹介を手短にすれば、アンコールの分も時間はとれるよね」
「どうかな、部長」
咲子、奏が美月を見やる。
「うーん」
美月は少しのあいだ、考えた。
「……美月ちゃん。お願いっ」
両手を合わせた綺音が拝む。
再生されている音楽が高まっていく。目を閉じて考え込んでいた美月が、ぱちりと目を開いた。
「ん~……まぁ、そういうことならっ」
ぽん、と綺音の肩を叩く。
「そうね。一曲くらい、あたしたちも参加できた方がいいもんね! この曲にしましょう、アンコール!」
一気に綺音の表情が華やぐ。
「うわぁ、本当! やったぁ!」
喜ぶ綺音を奏も晶人も微笑んで見守ったが、真理絵と咲子はちらり、と視線を交わしあった。
──でも、それって全員、練習の負担が増えるってことだよね。
奏も美月も、それについては気がついていないようだった。まだ、今は。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます