第18話 憂い多き お嬢さま
昼食が済むと、綺音は友人たちを楽譜庫に案内した。
ここなら、楽譜とともに、コンパクトディスクとプレイヤーも揃っている。曲目を選ぶのに、ちょうどよいだろう。
結架の沢山お食べなさい攻撃をかいくぐってきた彼らは、満腹で重たい身体を各々ソファや椅子に沈めた。
「いやぁ~、とっても美味しかったけど、こう食べ過ぎると、眠たくなってくるね」
美月がぼやく。
一同は同感だと思った。
「この部屋、飲食禁止だから、ここにいるかぎりマンマの攻撃は来ないと思う」
ぼんやりした表情で綺音が言うと、ほぼ全員の口から、大きな吐息が発せられた。
「……それで、曲目は?」
ひとり、平静さを保っている晶人が問う。
「いまは考えられないよぅ」
綺音が愚痴る。
盛大なため息を聞きつけて、奏が身を起こした。
「とりあえず、いくつか聴いて、考えよう」
慣れた手つきでディスクの並んだ棚の扉を開く。
ずらりと並べられたディスクの中から、ヴァイオリン曲集の一角をとりだした。
「うわぁ、すごいコレクション」
真理絵が棚のなかを覗きこんだ。
「楽器ごとに分類してあるのね。さすが、ピアノとチェンバロが多いわ。うわぁ、オーケストラも沢山ある」
「パーパがオケで吹くこともあるからねぇ~」
ソファに身を沈めたまま、綺音が返事を発する。その声はいつもより緩慢で、まるでしどけない。
「マンマも、たま~に協奏曲でオケと共演するから~」
「ピアノも弾かれるんだね」
晶人が姿勢を正して問う。すると、綺音は得意げに、ふふっと笑った。
「もともとはピアノ奏者だったからね」
そういえば、と真理絵が身を起こす。
「どうしてチェンバロに転向なさったの?」
しかし、綺音は首を傾げた。
「さあ。訊いたことあるけど、縁があったからよ、としか教えてくれなかったわ」
それ以上のことは、綺音も美弦も知らない。
「……出会いが、あったのかな」
晶人が呟く。
「そうだね」
「それより!」
美月がディスクを眺めながら言った。
「曲目を決めなくちゃだわ。どうするの? バッツィーニは、綺音がイヤなんでしょ?」
綺音は背伸びをしながら答える。
「んん~……モンティの『チャールダーシュ』をやるなら、さらにバッツィーニは派手すぎるでしょ。超絶技巧ばっかりでも引かれるっていうのもそうだろうから、穏やかな曲がいいな」
「『チャールダーシュ』を最後のクライマックスに持ってくるのはどう?」
「それは賛成。きっと盛りあがるよ。『チャールダーシュ』で五分くらいだから、そんなに長い曲は出来ないね」
咲子の提案に皆は頷いた。
「部活紹介の部分もあるでしょ。美月ちゃん」
「それね。寸劇にしようかと思ってる」
「寸劇?」
美月がうふふと笑うのを、奏と咲子、真理絵はぞくりとして聞いた。綺音と晶人は気づかない。それで当然だろう。ふたりは楽器演奏だけに専念できるのだ。
「昔、綺音のお祖父さんが貸してくださった衣装を着て、学芸会の劇をやったでしょ。また、お世話になれないかな?」
「ああ、撮影スタジオの貸衣装ね。大丈夫だと思う」
綺音の祖父は国内外にいくつものホテルを経営しており、ホテル内の記念写真スタジオでは、老若男女にドレスやタキシードなどの衣装を貸している。榊原グループ。全国的に有名なホテル王だ。祖父は、そのトップに君臨している。
綺音たちが小学生のとき、『シンデレラ』の劇をした。その際に、生徒たちの衣装としてそれらが提供されたことを、美月は覚えていたのである。
ただし、祖父の職業について、綺音は皆に詳しくは語っていない。それこそ、語って、お嬢さま扱いされてしまうのが嫌だった。
しかも、今ではホテルの経営だけではない。旅行会社やリゾート施設、海外の有名アニメーション会社と提携した巨大遊園地などの経営もしている。サカキバラ・コンツェルンの総帥。それが、綺音の祖父なのだ。その財嚢は、はかり知れない。
「……でも、ドレスとかタキシードなんて、皆に引かれるよ?」
「それだけじゃね。でも、着ぐるみもあるんでしょ」
「えっ、着ぐるみ?」
巨大遊園地の着ぐるみは、生きていることになっている。持ち出しも貸し出しも禁止だ。大体、そんなものを持ち出したら、せっかく隠している祖父の正体も知られてしまうだろう。
「ないない! 着ぐるみはない!」
「えー、そうなの? イベント関係の撮影スタジオなんでしょ? ありそうなのに」
そこでようやく、綺音は美月の求めている着ぐるみが、商店街で見かけるレベルのものであると気がついた。
苦笑いとともに、
「わかった。訊いてみる」
「ありがと! よろしくね」
わいわいと賑やかに、話し合いは続いた。
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