転校生とオーディション
第10話 厭な予感と高い理想
その日。
奏は朝から不穏な空気を感じていた。
厭な予感とでもいえばいいのか。
奏のカンは、よく当たる。
以前にも、なんとなく不安を感じて綺音の家に行ったとき、誘拐されかけていた美弦の泣き声を聞きつけることができたのだ。
奏は隣を歩く綺音を見た。
数日前から、彼女は機嫌が悪い。
どうも西澤から現代音楽の課題を出されたことが、その原因のようだ。伴奏もないヴァイオリン独奏曲。彼女は、その曲がお気に召さないようで、ここを重音にする意味がわからない、とか、ここで三拍も無音にする意図が汲めない、とか、ぶつぶつと文句を繰りだしていた。
優美で華やかな曲を好む彼女からすれば、とても骨ばった、つまらない曲に思えるのだろう。前衛的な曲を、むしろ彼女は嫌う。ぶつ切りで血なまぐさい、とすら言うのだ。
「綺音」
まだ学校は遠い。
「なに、奏ちゃん」
「学校に着くまで、ぼくから離れちゃダメだよ」
真剣な表情と声に、綺音は驚いたが、彼のカンがよくあたることを知っているので、異論なく頷いた。
「うん。ただ、いつも、そうしてるでしょ」
奏は少しばかり脱力した。
「いやいやいや、綺音さんは猫を見ると、勝手に駆けだしちゃうでしょ」
綺音の頬が染まる。
「だってぇ。可愛いんだもん。うち、動物は飼えないし」
楽器が傷むからだ。
動物の爪と牙だけでなく、毛も恐ろしい。
それは、奏の家も同じだ。
「うん、だから、今日は駄目だよ」
「わかった」
そうして緊張しながら登校した。
学校に着くと、ようやく安堵する。
「おはよー、綺音、奏くん」
クラスメイトの咲子と昇降口で会った。
肩までの黒髪に、まだ小学生かと思うほどの幼げな顔立ちをしている。そう思うのは、彼女の身長が低いせいもあるだろうが。
「おはよ、咲子ちゃん」
「おはよう、中村さん」
上履きに履き替えていると、後ろから声がした。
「あ、おはよぉー、綺音、奏くん、咲子!」
「おはよ、美月ちゃん」
既に鞄を教室に置いてきているらしい、てぶらの少女がやってきた。長い黒髪をひとつに束ね、なかなか整った顔立ちをしている。綺音がいなければ、学校一の美少女だろう。
「おはよう、
「おはよー、美月」
女子に囲まれるのも、奏は慣れている。
そのまま四人で教室に向かった。
「ねえ、知ってる?」
道すがら、美月が楽しげに訊いてきた。
「今日、転校生が来るんだって」
咲子が首を傾げた。
「なんか、時期外れ」
「そうね。でも、期待して。すっごい美形の男の子だってさ」
咲子が息をのむ。
「えー、なんで知ってるの?」
「職員室、ちょっとした騒ぎになってたよ。みっちゃん先生や、さやか先生、高見せんせまで、るんるんだったって」
「誰が言ってたの?」
綺音の問いに、美月が笑って答える。
「
美月の従兄である、
「知臣くんから見ても、すごい美少年だったって。美弦くんがいたら、いい勝負になるだろうって言ってたよ」
綺音たちは中学2年生。美弦はまだ小学6年生だ。当然、学校が違う。しかし、両親が長期不在になるときは姉を迎えに来る美弦は、既にこの学校内でも有名人だ。大人びて、紳士的な態度をとる美弦には、女子中学生のファンも多い。
その美弦と、いい勝負になるだろう、少年。
奏は厭な予感が具体性をもってくるのを感じた。
「ふ~ん」
気のない返事をしつつも、綺音の両眼がきらきらしている。
彼女は美男美女の両親が憧れで、かなりの面食いだ。
父親と同じレベルの男でなければ相手にしない、と、明言している。
奏が想いを抱えたまま秘密にしている理由の一つである。
「まあ、見た目だけじゃね」
「それが、成績もいいみたい。まえの学校では、テストでいつもトップだったんだって。スポーツはあんまりみたいだけど、ピアノの腕前も、美弦くん級らしいよ」
「美弦と? じゃあ、前にどっかのコンクールで会ってるかも?」
綺音の顔色が変わる。
「かもね。隣の県から引っ越してきたみたいだから」
教室に着く。
綺音の席は、奏よりも後ろだ。窓際の一番端。隣に誰もいない環境をフルに生かして、彼女は退屈な授業のとき、楽譜を読んで過ごしている。
綺音はヴァイオリンをロッカーにしまうと、鞄から教科書とノートを机にしまい、席に着いた。もうすぐ朝礼だ。
前の席に着いた美月が、振りかえって、にやりと笑った。
「よかったじゃん、綺音。きっと、美少年転校生は綺音の隣の席になるぞぉ」
綺音は大きな目をさらに見開いた。
「ええっ?」
「あ~、羨ましい。あたしの隣なんて、
「悪かったな~」
隣の席の少年が、ぶすっとして話に入ってくる。
そうはいっても、誰に対してもフレンドリーな美月は、この少年とも気軽に話ができる。
「ごめん、ごっめん。美弦くん級の美少年と比べちゃ、いかんよね~」
「えっ、なに、
「アホか。支配されるわけないっしょ」
「ちょっと女子を馬鹿にしすぎかなぁ、藤田くん」
盛りあがっているところに、自分の席で荷物を片付け終わった奏が近づいてきた。
「おはよう、藤田」
「おう、
「なんか盛り上がってるね」
「聞いたか、美少年転校生だってよ」
「うん。ぼくらの受難の時代の始まりのようだね」
藤田がにやりと笑う。
「まあ、いいんじゃね。うちの学校には、美少女はいても美少年はいなかったもんな。榊原さんの弟も、入学してくるまで一年近くあるだろ」
「余裕じゃない、藤田くん」
「まぁな」
「こいつ、彼女いるから」
綺音と奏は美月の言葉に驚いた。
「ええーっ、彼女いるの、藤田くん!」
「おまえ、そうだったの!?」
すると、彼は得意げな表情を作った。両肘で体を支え、のけぞってみせる。
「へへん。同じ小学校から上がってきたからな。登下校も一緒だぜ。ていうか、気がつかなかったん?」
「しらなーい。いがーい。信じられなーい」
無邪気な綺音の言葉に、藤田が苦笑する。
「失礼なやつだなぁ、いつもながら。それより、お前らこそ付きあってるんじゃないのかよ。毎朝毎夕、一緒だろ」
「あ、それ、あたしも気になってた」
美月も身を乗り出す。
けらけらと綺音が笑った。
「ない、ない。奏ちゃんは兄妹みたいなもんだもん。一応、しっかりしてるから、兄として見てあげるかーって感じ。お世話になってるからねぇ」
笑みを浮かべながらも、奏はしっかり傷ついた。
──そんなに明るくキッパリ否定しなくても。
「そうなの?」
「うん。美弦とセット」
そう言って、可愛らしく笑む。
「そんなこといって、傍にいないとダメな人って、恋人になったりするもんよ?」
美月が人差し指を立てたが、綺音は眉を顰めた。
「やめてよー。綺音はパーパぐらいの人じゃないとイヤ。奏ちゃんはヴァイオリンでは合格だけど、パーパには遠く及ばないもんっ。それに、奏ちゃんには好きな人、いるみたいだよ?」
「えっ」
「えっ」
「えっ」
三人の声が重なった。
「は?」
「は?」
「いや……」
綺音はどこまでも無邪気だ。
「ね? 奏ちゃん。そー言ってたもんね」
にこにこと訊いてくる。
美月が気の毒そうな目で、藤田は憐れむような目で、奏を見つめてきた。
(ていうか、それ、綺音のことなんじゃ……)
美月は喉まで出かかった言葉をのみこむ。
「……まあ、わかる。綺音のお父さん、信じられないくらい超絶かっこいいもんね。あんなひとが四六時中、傍にいたら、理想も高くなるもんだわ。まあ、お母さんもスーパーウルトラ美人だけどね」
「え、そうなのか?」
「そっか。藤田は別の小学校だもんね。すっごいんだよ、綺音んちの家族。全員、絶世の美男美女。授業参観で皆、ざわめく、ざわめく。美弦くんなんか、お母さんとウリ二つ」
それを聞いて、藤田が興奮した。
「まじか。あの顔の母!」
「そう。美しすぎでしょ? 綺音はどっちかっていうと、お父さん似よね。それでも充分、美しいか」
「まーね」
「少しは謙遜せんか!」
「だって、ウソつけないもん」
けろり、と綺音が嘯く。
3人は苦笑した。
「……とにかく、綺音は理想が高いのよね。噂の美少年転校生が、どのくらい健闘するか、楽しみね」
奏の厭な予感は、高まるばかりだった。
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