朱子―happiness―

 その日――復興した国へ、生き残りの家族が帰還した。



――――――――Shift――――――――



「――つーわけで、故郷へ帰るぞ、イビルッ!」

「……えーと、リューク。大丈夫?」


 数日前の事。

 少女がこの平穏な土地、クレートフーマンへ移住してから十年が経った、そんな節目の年。諸事情もあって、国内の森近くで建てられた一軒家にて。

 赤い髪を一つにまとめた女性と、肌が黒い青年が机を介して話をしていた。


「お水、飲む?」

「いや、そうじゃなくてだなぁ……」


 元少女――イビルの夫であり、クレートフーマンのMHMエムエチエム訓練隊長へ就任したリュークは、子を寝かしつけ終えた彼女に軽快にそう言ってみせたのだ。

 三人の子に恵まれたこともあり、五人と一匹の幸せな生活をしていた彼女にとっては、少しばかり落ち着きのない提案であった。


「禁酒してから何か月だっけ……? アルコール中毒もあるけど、アルコールが足らない中毒も、ある?」

「そ、そんなんじゃねぇよ……ったく、イビルは相変わらずだなぁ」


 わしわしと赤い髪を撫でる男に対し、イビルはむぅと唸る。

 しかし、その背中の翼は僅かにだが揺れていた。彼のその調子は、彼女にとっては決して嫌なものではなかった。


「実はある筋の話でな。どうにも、俺達の国が再興活動を始めたらしい」

「……私たち以外にも、生き残りがいたってこと?」

「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。どちらにせよ、生き残りの俺達が確認するのはアリと考えてる」


 リュークの意見は全うとも言えた。別に、彼はその故郷が自分たちの物であると証明をするわけではない。

 単なる回帰本能。失ったと思っていた故郷が復活したのであれば、戻りたくなるのは人間として当然だ。

 ただ、それに軽く頷けるほどの年月は過ぎていなかった。


「リューク。子供たちがいるわ。それに、あなたの仕事もある」

「仕事は……まぁ、外への警戒もほとんどないし、数か月空いていても文句は言われねぇだろ?」

「そうかもだけど……」

「国の中にあった自然も、今や外に広がりつつある。今後は戦う事よりも、交流を広げるための時代が来るだろうし……一足先に、やっちまおうっていう考えもある」


 加えて、朱鳳しゅほうなら危険性が低いことも理由にあった。空を飛ぶのは、国から解き放たれた鳥達ぐらいであり、あれから十年が経っても危険は少ない。

 そういう意味でも、鳥人型MHMは優位性が高く、安全に国を渡ることができると言える。強いて言えば、食費や道中の生活の不便さが際立つぐらいか。


「子供たちに関してだが……悩むな。アルトん家に頼るのも考えるべきか……」

「迷惑よ。ただでさえ手助けしてもらっているのに……」

「うぅむ……朱鳳のスペース的には?」

「乗れない事はない。けど、これまで伸び伸びと生活してきた子供たちが、耐えきれるかしら……」


 それは親としては当然の不安である。

 二人もまた、貧しいながらも安定した生活をしていた頃があったこともある。それを突然として失い、仕方がなく旅をすることになったのだから許容できたに過ぎない。

 旅はあくまで手段でしかなく。ゆえに、それを子に強要したくないのがイビルの意見であった。


「あー……どうしようか?」

「……そうね。子供たちの意見を聞きましょう。それが一番だと思うの」


 しかし、同時に願うのは彼らが外への好奇心を抱くことでもある。

 二人の生きた時代は国を発展するだけで良かったが、今は外に出て何かをすることも選択肢にあるのだから。

 それこそ、旅人であったとしても。親となった二人は、自分たちの未来を子供達へ託すことにした。



――――――――Shift――――――――



 翌朝。

 リュークは仕事の休みであり、イビルも早々と家事を終わらせて、いつもは仲良く外で遊ぶ三人の子供たちをリビングへ集合させる。

 常に軽快な父と、柔和な笑みを浮かべる母が真剣な面持ちになってることもあり、気丈な長女が重い口を開いた。


「今日はどうしたんです、ママ、パパ」


 齢十歳。黒い髪を伸ばしている長女――ラビィは年長らしく弟と妹の前に立った。多感な時期もあってか、二人が喧嘩でもしたのかと勘繰ったのだろう。その橙色の瞳は、僅かにだが潤っていた。


「あー、ラビィ。パパとママは喧嘩してるわけじゃないから、な? そんな泣きそうな顔で見ないでくれ」

「な、泣いてません!」

「不安にさせてごめんね」


 責任感が強い彼女を撫でながら、その後ろでボーっと眺めている長男と次女へリュークは声をかける。


「リック、イユー。こっちに来な」


 赤髪をおかっぱ状にしている七歳の長男と、黒と赤交じりのツインテールを持つ六歳の次女を、長女共々に父は抱き寄せた。

 二人にとっての宝。自分たちの旅路の最大の報酬こそ、この子供たち。だからこそ、リュークは三人へ問いかける。


「ラビィ。リック。イユー。みんなで、お父さんたちの故郷へ、行ってみないか?」


 子供たちの生活を考えるなら、この旅は延期した方が良い。それはリュークだって解ってはいる。自分たちの旅だって、あの年でも厳しかったのだ。それを、子供たちの年齢でさせるのはあまりにも残酷だと。

 だが、世界は変わっていっている。クレートフーマンの農地は拡大し、今や国の外でも農業作業をするようになった。生産過多。とまではいっていないが、豊作の現在なら食料に困ることはない。


「この旅は、三人からすればツマラナイものになるかもしれない。学校だってどれくらい休むか解らないし、旅は不便なことばかりだ」

「みんなと会えないのー?」

「そうね……イユーは友達多いから」


 次女のイユーが不安げに聞いてくる。こういう部分が出てくるのは仕方がない事だった。

 日常から意図的に離れる事が本来の旅だ。それが安心して行えるなら言うことはないが、この旅は絶対に安心とも言えない。


「でも、お父さんたちの、こきょー? っへ行ってみたーい!」

「リックはチャレンジャーだからなぁ」

「もぉ……お兄ちゃんはレン君とかと会えなくなるんだよ!」

「いつか会えるだろー?」


 快活にして腕白。日焼けが眩しい一家のガキ大将ことリックは、旅への参加は乗り気であった。未知に対しての勇気を持っている。

 次女と意見の対立が起きそうになるのをイビルが諫める。その中で、未だに意見を出していなかった長女が、むぅと唸っていた。


「パパ。学校って、どうなるの?」

「そういえば、その辺り聞いてなかったね。どうなの、リューク?」

「任せな。今回の旅は、新たな交流を求める旅でもある。だから、その辺は免除してもらう算段だ」


 国の中でいち早く立ち位置を確立させた男は、その辺りのチェックは済んでいた。流石行動力の化身だなぁ、とイビルは微笑みながら呆れる。

 とはいえ、これのおかげで学校の問題は解決する。


「……そういえばママ。旅をするってことは、お風呂とかどうなるの?」

「そうね。ラビィも女の子だから気になるわよね?」

「うん」


 それが子供たちの、特に女の子二人の不安要素であった。リックだけはそんなことを考えていないようで、不思議そうな表情を浮かべる。

 旅の最大の難点は、その衛生観念だ。日々の汚れを落とすシャワーもお風呂もない。身は汚れるばかりで、綺麗になれる機会は天然のシャワーこと雨を待つしかない。

 国の中で育ってきた二人にとっては我慢できないだろう。それは容易に想像がつく。

 しかし――リュークの頭脳はその先を見据えていた。


「こんなこともあろうかと、家を建てた時点でその不安は解消済みなのさ!」

「……それってなんで?」

「貯水タンクとかをね、家を建てた時点で置いてるのよ。まさかそういう意図があるとは……」


 イビルは友人のツテで建ててもらった頃を思い出す。しきりに貯水タンクだったり、保存庫だったりを意識していたのはリュークだった。そのせいで水くみ場として森の近くに建てる事になったのは、今や懐かしい記憶だ。

 即ち、家ごと移動しようという算段である。設計時点で、朱鳳と接続して飛ぶことができるようになっているのだ。

 だから、あとは子供たちの選択次第。一人でも行かないと言うのであれば、考えないといけない。


「俺は参加する!」

「私もする。楽しそうだし」

「わ、わたしは……」

「無理に頷かなくてもいいのよ?」

「ううん。やっぱり行く! 帰ってくるんだよね?」

「えぇ」


 この旅はあくまで帰るまでが旅である。それを知るとイユーは元気に頷いてみせた。

 一家の意志が総意になり、子供たちは元気に外へと向かっていく。

 こけるなよ、とリュークは笑った。気を付けてね、とイビルは慈しんだ。

 それが――二人が得た、幸せな日常であった。



――――――――Shift――――――――



「ねぇ、リューク」

「なんだ?」

「私で良いの?」


 それは、クレートフーマンへ辿り着く前の事。朱鳳の中での、二人だけの秘め事。

 少女は問う。こんな私で良いのかと。成り行きで生き残った彼女と彼は、今や自由の身だ。それゆえに――不安の裏返しでもあるが――少女は、今一度、彼に問う。

 本当に愛してくれるのかと。こんな素性の知れない、鳥と人の混ざった醜い自分を。


「私は純粋な人間と言えないわ。この朱鳳の中で生まれた、人間もどき。そんな私で、良いの?」

「……イビル、どうしたんだ?」

「……怖いの。私、幸せを感じるのが。本当に人間として生きていいのか」


 それが本音。彼女は確かに自分を人間と思っているが、世界は決して彼女に優しいと言えないだろう。

 翼があり、その脚も鳥に寄っている。異形極まりない少女が抱くのは、今の幸せを享受するという選択。正しいと信じたいのに、間違いなんじゃないかと疑ってしまう弱い自分の心。

 リュークは僅かに眉をひそめ――数秒もせず、口を開けた。


「お前を愛しているのは俺だぜ、イビル? お前が幸せと感じないなら、絶対に認めさせられるように努力するさ」

「でも、それじゃ――」


 自分がリュークの足枷になっているように感じられて、少女は不安に思う。

 だが、男は軽快にカラカラと笑った。


「不安がるなよ。大丈夫、お前がどんなやつでも結局のところ、俺が好きなのはお前なんだよ。人間とか、鳥とか、そんなのどうだっていい。イビルという女は、お前しかいないんだ」


 その言葉こそ、イビルという少女を救うに値する、誰よりもの言葉だった。



――――――――Shift――――――――



「なぁ、イビル?」

「なに、リューク?」


 見知らぬ土地ではしゃぐ子供たちを見守りながら、青年は問う。


「幸せか?」


 かつての少女は、翼を揺らして答えた。


「うん」


 その日――復興した国へ、生き残りの家族が帰還した。

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