さいせいの地――Revive Earth――
終点―limit―
少年と少女、一機がクレートフーマンを去ってから数時間が経っていた。
灰色の空は青空へと変わっていた。本当に僅かだが、何羽かの小鳥が空で踊っていた。
鋼の荒野が広がっていたはずなのに、少しずつだがその屑鉄の合間から若い芽が伸びてきていた。
骸骨の巨人――
「暇だねぇ」
「……暇だね」
碧緑の狼――
機械の獣人の腹部にいる少年は、カセットレコーダーからテープを取り出してそれを眺めていた。何度も使用されたせいか、それとも元から劣化が進んでいたのか、擦り切れたそれはテープとして寿命を迎えていた。
「どしたの? リシティ」
「……いや、何もないよエメ。眠たいだけだ」
そっとそれを片付ける。
リシティと呼ばれた少年、エメと呼ばれた少女にとっては忘れるわけにはいかない人の声が刻まれたそれは、もう二度と音を出すことはない。
ましてやカセットテープという文化が風化した時代だ。空となったレコーダーも、その役目をまっとうしたと言える。
「しかし……風が独特なものになってきたね」
「粘っこいねぇ」
碧狼と感覚を共有している二人は、その空気の質がこれまでと違って何かが混じっているように感じていた。
これまでは無機質で、生命の味気もない空気であったというのに、今は匂いがあり、纏わりつくような軽い嫌悪感がある。
「あの国みたいだ」
黒い蛸の機人獣が支配していた国を思い出し、リシティはその感覚の正体を考える。
同質であるが、蛸によって汚染された穢れた水気とは違う。管理者の記憶があるリシティは、あれがヘドロなどの水質汚染のようなものだと認識していた。
対し、これはもっと自然的で、澄んでいる空気である。
「……そうか、潮気だ」
「潮気?」
「あぁ……海だ」
それは、旅の区切りを意味していた。
最東端の故郷から、大陸を横断してきた二人にとって海とは、最西端に至った証拠である。
未だ聞こえぬ潮騒。されど、その味は確かに塩が混じっていた。
――――――――Next――――――――
「うわぁ!」
一時間もしないうちに、十メートルもの巨体を誇る碧狼の目は、青色の空に彩られた澄んだ水を確認した。
それは地平線にまで広がっており、波を作っては音を立てている。そこから生まれた塩の匂いは一層強くなり、大地はいつの間にか砂へと変わっていた。
「……最西端、着いたんだ」
無邪気に驚くエメを余所に、リシティはそう呟いた。
幾つもの感情が綯い交ぜになった言葉であった。
感動は――ある。広大な海は、この生きた世界の母とも言える。ましてや生命を生み出したのは海であるのだから、リシティにとっても感慨深い出会いなのだ。
落胆も――ある。リシティは世界を知るために旅を始めた。だが、最西端とは世界の端である証拠でもあり、旅路の終着点を意味しているのだから。
「ここが最西端……この大陸の、最も故郷から離れた場所」
「あー……そっか」
リシティの発言で、エメが気付いたようにその無邪気さを潜める。
世界を知る旅。だが、そこに別の目的があるとすれば自由のためであった。リシティとエメを生んだあの故郷から遠のくことで、自分たちは世界の一部であると知るための旅路。
その果てに辿り着いてしまったことで、旅人は選択を迫られる。
「管理者の記憶には、この大陸以外の大陸は確認されていない。見つけていない、可能性もあるけど……」
「ハンナの記憶も、そう言ってる……薄れてはいるんだけど」
「大丈夫?」
「うん。もうハンナのことはほとんど覚えてないから」
エメは力なく笑った。母であり、ある意味では前世でもある女の記憶は、この旅路の中でゆっくりと忘却されていく。
一方でリシティは、父であり、正当な意味で前世でもある男の記憶は消えることがなかった。
「どうしよっか……?」
「どうしようかなぁ」
互いに大きく溜め息を吐く。それに合わせて碧狼も、その口を開いて排熱をした。二人と一機の溜め息は、すぐさまに潮風に溶けて消えていく。
鬱屈した中、変化を起こしたのは獣であった。突如として二人の意志を離れ、胸部と腹部の操縦席の扉を開けたのだ。
「え、なんで!?」
先程まで感じていた潮風が、今度は生身の身体へと吹き付けられる。リシティは何が何だかと困惑しながらも、ゆっくりと碧狼の腹部から外へと出る。
「……うわぁ」
機械越しに見た絶景を、少年はもう一度、今度はその赤い瞳で見た。
彼の瞳が写す世界は、どこまでも広がっていた。故郷で見た満天の星空と違う、明けた世界の輝き。
空は青く、太陽は明るく、海は清らかに流れている。長い間、人の手から離れていたであろう海は、鮮やかなエメラルドグリーンを描いていた。
「リーシティー!」
「あ、エメ」
「登って登ってー! ぜっけーだよー!」
同じように胸部から出てきた少女は、ぴょんぴょんと跳ねながら少年を呼ぶ。
思わず微笑を浮かべるリシティは、碧狼の手に乗って、
「ごめん、碧狼。肩までよろしく」
と、慣れた口調で声をかける。本来の蒼の瞳に戻った碧狼は、頷くとゆっくりとその腕を折り曲げていき、少年を自身の左肩へ誘った。
すっと飛び乗り、碧狼の肩部で待っていたエメと一緒に並び座る。少女は、いつしか譲ってもらった帽子を被って海を眺めていた。
「まるで、海で世界を繋いでいるみたいだね」
「……そうだね」
エメの満足げな言葉にそう短く返すリシティ。
長い旅路の果てに待っていたのは、次の世界を予感させる自然の光景だ。これが少年と少女の選択の報酬。あの世界の終わりの光景であった。
「リシティ。どうしたの?」
「…………」
「気づいているよ? リシティは、今とってもつまんない気持ちになってるって!」
少女の攻め立てるような言い方に、白髪の少年は流石だなぁと渋い笑みを浮かべた。赤い瞳は、青い世界を見つめながらも虚空を見ていた。
「……自由を得た旅人は、その終着点へ至った……僕は、これ以上、何をすればいいのか解らないんだ」
彼が自身に刻み込んだ目標は、逆に言えばそれだけを目指していた曖昧なゴールであった。大陸の果てへ辿り着く日なんて、考えないようにしていた。
目標を見失った旅人は、今こうして世界を眺める事しかできなかったのだ。
世界を見た。色んな人と出会った。それはとても有意義なものだったはずなのに――まるでゴムのように味気のない思い出に変わっていくような気がして。
「綺麗な光景を前にしているのに、確かに感動を覚えているのに、なんでこんなに心が気持ち悪いんだ!」
口から出るのは、そんな感じたこともない靄のような言葉だった。
心に宿っていた熱が急激に冷めていく。火にくべる薪が見つからない。故郷を去る時に得た、ワクワクはいつの間にか灯となって消えていた。
だから漏れるのは、燃えカスのような煤塗れの感情ばかりだ。
「ごめん……ごめんね、エメ……こんなこと、口に出しちゃ、いけないのに……」
「……大丈夫だよ。大丈夫だから、ね」
子供のように吐き出す弱音を、エメはその頼りのない身体で抱きしめる。
空を飛ぶ海鳥の鳴き声が、碧緑色の獣の耳へと届いた。
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