生きる―Struggle―

 碧狼へきろうの赤の瞳から与えられる、巨大な女神の姿は項垂れているようであった。

 搭乗者である管理者アドミニスターの心情を表しているように見えるそれは、もはや抵抗の術を持っていない。碧狼は自分の頭部から伸びる黒鉄の鎖を使って、強引に壁へと押さえつけていたのだ。


『くっ……なぜ、なぜこうなる……ッ!』


 碧狼は十メートルほどしかない。それに対して、百メートルはあるであろうその姿を、鎖と自身の肉体で押さえつけているのは異様な光景である。


『何が狂わせたのだッ! 何が私を邪魔するのだァッ!!』


 それゆえに、反撃を予想していた。しかし、母聖獣ぼせいじゅうは一切の動きを見せない。微動だにしない、が正しいだろう。何が原因か、先程まで自在に操っていた髪の毛を模したワイヤーも意気消沈したままだ。

 だからこそ、この瞬間こそが好機でもあった。


「リシティ。レバーがあるのは確認できる?」

「できるけど……何か、手はあるの?」

「うん。碧狼には、あの巨体を撃ち抜くだけの技があるから」


 肉体の右手が、コックピット内のレバーを握りしめて感触を確かめる。

 胸部へと上ったエメの声は、神経接続したことにより僕の頭へと直接響く。初めての感覚であったが、むしろ彼女が自分の知覚の中で存在していることが喜ばしく感じられた。

 提案した方法は、碧狼の内部を通じて僕の脳へとイメージが伝わる。碧狼が本来持っていた、エネルギー放出機構。口内から放たれるそれは、時間を鑑みても確かにこの状況下における必殺の一撃だ。


「……それを以て手向けとしよう」


 感覚が碧狼に埋没する。

 この近接した状況であれば、敵に攻撃を与えるのは容易い。その攻撃を行うには、この距離はあまりにも危険だ。

 必要なのは――距離と、時間。全身にあるエネルギーを口部に一極化させ放つ一撃には、それ相応の時間が必要となる。


「なら――ッ」


 最後の抱擁を交わした母と獣は、僕の意志で弾き合う。


「チェーンカット!」


 母聖獣ごと抑えつけていた、後頭部から生える鎖は僕の意志をもってその繋がりを断つ。

 碧狼は大きく後方へ跳躍する。聖母の姿をした鎖付きの囚人の焦げ付いた右手が、さ迷うように碧狼を追う――が、それは届くことはない。

 大地に着地し、靡く鎖は足場に碧狼を囲うように突き刺さった――これにより、固定が完了。碧狼はゆっくりと、その項垂れた管理者を見上げる。


『心かッ! 人の心が、また私の邪魔をするのかッ!?』


 管理者の声が聞こえる。それはもはや、目の前の反抗者である僕達に向けた憎悪ではなく、この期に及んで成果を残せぬ自分を責めるように聞こえた。

 碧狼のエネルギーの充電は始まっている。母聖獣は動きを見せない。男の独白が、静寂の中で響き続けている。


『そうだ……愛とか、絆とか、そのような見えぬ物を、なぜっ信じ抜いた! 人は、なぜ、そのような物のために自身を捧げられるのだッ』


 たった一つの大切な者のために、自身の道を歪めてここまで生きてきた。

 管理者という人間は、そんな曖昧な概念を信じてここまで生きてきた。

 もはや人かも曖昧になった彼は、機械として自身に定義する。

 その道は、今歩む道は、この選択は、正しかったのか、と。


『どんなに手を伸ばしても、形無き者に触れることなどできやしない……だというのに、形になった瞬間、心が私の邪魔をする!』


 捨て去ったはずの感情を持つ人形は、皮肉にも彼の求める器のために戦っている。

 その事実こそが、彼の屈辱だ。そして奪われた。手中に収まっていたはずの事柄が、全て彼を裏切っていく。

 自身の複製リシティも。製造した機械へきろうも。彼女の記憶を持つエメさえも――最後のその瞬間に立ち塞がる。

 嫌な話だ、と僕は思う。当然だ。彼ほどの歴史を持たない僕でも、それは最悪な事であり、彼が取り乱すのも解るのだから。

 ――それを知っていても、僕は、僕の選択をする。


「リシティ……充填、完了したよ」

「……うん」


 感傷に浸るのもここまでだ。碧狼に走る稲妻のパルスは、僕の身にも伝わっている。

 レバーを握りしめる。引き金を引くのは、僕だ。だから最後に――


「さようならだ、管理者リシティ。心を捨てたその日から、あなたはもう、人から外れたんだ」


 この世界の生命の父へ言葉を述べ、この世界を終わらせるために、僕は全ての未練を投げ捨てた。

 全身を走る白い電流。全体が痺れる感覚に襲われながらも、碧狼の口がゆっくりと開く。


「生存闘争の果て――」


 エメは語る。

 管理者が行った、一つの生命の生存を望んだ闘争の行く末を。


「人は果て、機は栄えた――」


 僕は語る。

 その結果、人口は激減し、機械だけが栄えた現在の世界の情景を。


「そして、獣は生まれ――」


 エメは語る。

 その中で生まれた、人の遺伝子を持ちながらも機械であり、そして獣でもある新たな生命。そこから生まれる新たな時代への展望を。


「「今ここに、集いの光が生まれる」」


 そして――僕とエメは共に語る。

 機械でありながら人として生きる男と、獣でありながら人として生きる女と、機械でありながら獣として生きる物の物語を。


最終指令機構ラストトリガーを、あなたに」


 彼女の言葉を聞き届け、僕は握ったレバーに力を込めた。

 震える心を抑えつけて、最後の咆哮を母に捧げる。そのために、


「引き金を、引こうッ!!」


 言葉はそのまま実行となる。

 碧緑色の獣の口に生まれるは、電流の収束体。即ち、電流で作り上げる光線である。

 これこそが碧狼の持ちうる最大の一撃――電光粒子砲。

 大気を切り裂くかのような音が響く中、碧狼の口から飛び出した電光は真っ直ぐにハンナの肉体に直撃する。


『ガハッ……クソッ、クソッ、クソォ……!!』


 衝撃。それによって溜まり切った毒を吐く管理者の声が聞こえる。

 碧狼の目から見ても、マザーハーロットの肉体が光を反射してしまうせいで、その全景は見えない。だから、その声だけが、確かに僕とエメには聞こえたのだ。

 その声――聞きなれた気がする、誰かの声が。



――――――――Shift――――――――



「動け……動けぇ……動いてくれッ! あともう少しなのだ。私の、私が、この手で、あの子を……彼女を、救うのは……ッ」

『……ねぇ』

「ッ――君、は?」


 悲痛な嘆き。それに応える、女性の声が聞こえた。

 男はそれを見てか、愕然としたかのように、声が続かない。


『私のことを、覚えている……?』

「その姿を知っている……忘れるものか! は、その姿を追い求めて、ここまで来たんだ!」

『……そうね。知ってるよ』


 縋りつくような声。男は捨て去った過去に手を伸ばす。


『機械の中から見ていたの。何百年も。私は、あなたを』

「そんな……君の肉体は、もう……」

『遺伝子はアートよ、リシティ。螺旋が織りなす生命の図版なの』

「そうだ……あぁ、そうだった。君は、君なんだ」


 それは死に際に見せた幻か。

 それとも、本当に彼女がそこにいるのか。

 声だけしか聞こえない少年と少女には判断できない。


「そこにいたんだ……こんな、こんな近くにいたんだ……」

『うん……長い、長い時の中で』

「時間が必要だったんだ……君ともう一度出会うために、この世界を作った」


 人を淘汰し、鋼の荒野を作り上げた男は、光の中で告白する。


「僕は……それだけのために、ここにいた。生き、続けた」

『後悔、しているの?』

「……かもしれない。人の命は、こんなに長生きなんてしてはいけないのだから」

『そうね……人の命は短い。だからこそ精一杯に何かを遺そうとするの』


 彼女は生前を想い、決して喜べない終わりに微笑んで見せた。


「そうか……それに気づくのにこんなに時間をかけてしまった……僕はやっぱり、馬鹿だなぁ」

『いいえ……でも、もう終わりにしましょう?』

「終わり、か……死ぬのは嫌だな……でも、死なないと、君ともう一度、出会えないな」


 それは彼女にしか漏らせない弱音だった。

 一人で選び、良心の呵責を嬲り続け、麻痺をしていく炉心に火を焚べ続けた男が、その最果てに吐き出した当然の本音。

 命の終わり、時代の終わり、世界の終わりの瀬戸際になって、リシティ・アートは辿り着いた。


「僕は、遺せただろうか……僕が信じた何かを」

『えぇ。人の命は続いていくもの……あなたは確かに、彼らに繋げたの……私達の遺伝子を』


 夢を見る少年を諭すように、その優しい声は語った。

 その言葉に男は満足したように頷き、最愛なる者へ微笑んだ。


「あぁ……なら、きっと僕は、君を選んで――」


 光は、止んだ。



――――――――Shift――――――――



 全身から噴き出る汗は、碧狼が排出する水蒸気であった。

 纏った稲妻は熱を生み出し、空気を白煙と共に歪める。

 僕とエメの意識は明瞭であった。だから、光の中で管理者が何かを――誰かへ――呟いていたのは聞こえていた。


「――震動ッ!?」


 その言葉の意味を問おうと意識を向ける前に、碧狼が感じ取ったのは崩壊を思わせる連続的な震動であった。

 壁からは付着した埃が落ち、天井からは亀裂から落ちる塵が舞っている。


「一撃が、強すぎたのか?」

「そうかも……早く、跳ばないと!」


 本来なら遠距離から殲滅するための粒子砲を、相手が巨体とはいえ閉鎖空間内で全力で放ったのだ。叩き付けられた衝撃は、この地下空間全体を響かせるには十分である。

 幸い、碧狼の脚力なら地下空間からの脱出は可能だ。だから、この排熱が終了した後に跳躍する。


『……そうか、もう、繋がっていたのだな』


 巨大な女の像は沈黙していた。

 最後の一撃は胸を穿ち、女を模した顔には亀裂が走っている。忙しなく動いていた髪は熱でチリヂリに変形し、腹部は切開されていた。

 これが、この世界の神の最後だった。


「…………」


 愛した女の胸に護られた老人にかける言葉はない。もはや意味さえ解らない、か細い言葉を紡ぐ彼との縁は断ったのだから。

 排熱を終えた碧狼は、生存するために脚に力を込めて跳躍する。天井の亀裂が大きくなった。入ってきた穴を突破は容易だ。しかし、その後は崩落するだろう。


『生きろ……』


 ふと、跳躍の一瞬――彼とすれ違った瞬間に聞こえた言葉が耳に入り、僕はそこから続く言葉を聞いてしまった。


『世界を、見よ……世界は君達を、祝福する……ッ』

「――言われなくてもッ!」


 それが生を勝ち取った者への呪言なのか、それとも祝言なのかは解らなかった。

 ただ、そう言わないといけなかった。そんな当然の事が、僕にとってはあまりにも大きい課題なのだから。

 天上へ突き進み――その果てに、僕達は世界の空気に触れた。


「ねぇ、見て、リシティ!」


 エメの言葉と共に碧狼の目線は動く。その瞳の先は地平線を見ていた。

 眩く光る満天の星空。あまりにも珍しい、雲以外の世界。鋼色の荒野は天上の明かりに当てられて、鈍く、しかし確かに光っている。


「……すごい」


 その日、世界を見た。

 自分の視界だけにしか映らない、この世界にとっては一部だろうけども。

 それでも、世界を見た。新しい、僕達の知らない世界を。

 だから、世界は生きている。そう僕は感じられたんだ。



――――――――Shift――――――――



 崩落する大地は、機械仕掛けの聖母像を汚していく。

 残された老人は地に塗れた空を見上げる。

 沈黙した彼女の肉体。だけど、一つだけ光るパネルがあった。


『さ、行こっか?』


 寂しそうに、しかし楽しそうに少女は催促する。

 ここからの道は、かつて達成されなかった二人だけの旅路だ。


「あぁ。君と一緒なら、僕はどこへだっても行けるよ」


 老人は子供のように、優しそうに微笑んだ。いつかのように、心から。


 パネルの光は消えた。彼の笑みは消えた。

 しかし、彼は夢を見ていた。達成された、彼の原初の夢を。


 人の命の長さの中で、世界を見つめる一組の少年と少女。

 それこそが彼の夢見た、願いの憧憬だった――。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る