闘争―Survival―

――――――――Shift――――――――



「――エメッ!!」


 伸ばした右手の先に、少女が眠っていた。御伽噺を母に教えられる童女のように。少女の表情は、健やかに、安らかに。

 灰色の球体の中。壁から伸びる数多もの鉄のへその緒。神経接続を意味するそれは、少女を縛る生命の鎖。


「目を覚ましてッ、手を伸ばせ!」

「……リシ、ティ?」


 頬を伝う少女の雫。濡れた翡翠色の瞳が、ゆっくりと僕に向けられる。

 それを見て、僕は一つの確証を手に入れる。だが、それが本当にエメなのかは解らない。オリジナルが求める女の器こそがエメだ。だから、同じ名前を持つ僕に向ける眼差しだけでは解らない。その中身が、僕の知る彼女であるかは。


「なんで……どうして……?」

「君を助けに来た。だから、早く手を伸ばして!」

「でも……」

「――エメッ!!」


 躊躇いは、少しあった。

 でも、時間はない。それに、伝えるべきことだと思ったから。それが例え、彼女でなかったとしても。

 名を呼び、彼女は僕の言葉の続きを待つ。涙で煌めく鮮やかな瞳を見る。それだけで、胸の中にあった躊躇いはスッと消えた。


「僕は、君が好きだ。エメ」


 緑色の髪をした少女は、僕の告白の意味を理解するのに時間を要した。


「え、えぇッ!?」

「大好きなんだ、エメ! この心は偽りなんかじゃない。だから、君を助けに来た!」


 茹で蛸のように顔を赤らめる少女を見て、更に強い確信と熱を覚える。慌てふためく、彼女にしては珍しい表情は、ここまで躍起になって来た甲斐を感じてしまう。


「ひ、卑怯だよ……そういうの……こっちは、辛い気持ちでいっぱいだったのに!」

「ぼ、僕だって恥ずかしいんだよ! でも、伝えなきゃ、と思ったんだ」


 失うと解ってから気付いたこの気持ち。言葉にしなきゃ伝わらないこの想いを。

 いやその……機械と言ったって、一応ある人間のクローンみたいなものだから、顔がとても熱いし、胸が痛い。


「君を知ってから、僕は変わった。ただのオリジナルのクローンではなくて、僕は僕というリシティ・アートになれた。それは君が、僕に笑いかけてくれたからだ」

「でも……それは、当然のことだよ。私たちの元となった二人はそうなるようになっていた。二人の現し身である私たちのこの感情は、きっと本物じゃない」


 エメが懸念することは僕だって同じ考えだ。

 過去の残滓の再現である僕たちは、映画の役者みたいなものだから。与えられた脚本に沿うように行動し、想い、演じる影法師なのだから。


「あぁ。オリジナルの記憶を持っているからかもしれない。君はハンナという女性の遺伝子を持っている。僕はオリジナルの遺伝子を持っている。だから、この感情は偽りかもしれないって……ここに来るまでずっと悩んでいた」


 それでも、確信を得た。

 兄弟とも言える同族を殺し、自身の肉体にも近い碧狼で駆け抜けたあの熱情は、決して誰かに譲り受けた想いなんかじゃない。

 少女の姿を見て、ここまで躍起になれた自分への疑問が晴れた。


「それじゃあ……」

「でもね、エメ。僕が惹かれたのは、やっぱり君だったんだ」


 オリジナルと同じ記憶を、真実を得てもなお、この感情のざわめきは一人の少女に向けられている。

 それがハンナに成り代わっていたら、僕は彼女を殺していただろう。それほどに、僕はオリジナルと乖離している。それを知っている。

 だから、僕は、僕の言葉として君にこの心をむける。


「君と出会って、話し合って、遊んで、笑ったあの日々は、確かに仕組まれたものなのかもしれない。でも、そこで得た感情は本物だよ」

「そうだとしても、私たちは人形だよ……そして、人になった瞬間、私は別人になる」

「それは、いままで、だろう?」


 グッと、伸ばしていない左手が拳を作り上げる。より一層に右手を伸ばすために身を傾ける。

 焼き痕を握る左手を熱くて痛い。


「これから、を僕たちは作り上げることができる。これまでが筋書き通りであっても、ここからは僕たちが作り上げる物語だ。何せ、僕は管理者から欠陥だとお墨付きだし、ね! だから——」


 左手の痛みを無視して、僕は笑みを浮かべてみせる。


「この選択は僕が選んだ。オリジナルの意志を無視して、僕は君を救うためにここまで来た。これは、僕の物語だ。そしてこれからも——君は、どうしたい、エメ?」


 僕の言葉に困惑する彼女は、しかし俯くこともせず、真っ直ぐと僕を見つめる。

 それは確かに、あの日、僕が手を掴んだ時に見た、煌めいたあの瞳だった。


「私は……生きたいと願ったから。ハンナではなく、エメとして生きたいと想ったのだから——」


 力なく降ろされた右手が持ち上がり、僕の右手に触れる。同時に、彼女に繋がる数多ものへその緒が外れていく。

 まるで花咲くようだと——そう思えた。


「リシティ。あなたはそこにいるのね?」

「あぁ。エメも、そこに生きているんだね」


 手と手が重なり、力が籠り、掴み合う。

 触れたその瞬間から、存在の重みを知る。

 熱は彼女の生きている証明であった。生命の熱を持たない僕は、決して生き物ではないかもしれない。だけど、確かにここにいる。熱はなくとも、ここに存在するのだから。


「ねぇ、リシティ。何から始めようか?」

「そうだね……まずは、終わらせよう。この世界を。僕達の過去を」


 引き揚げながらそう言うと、エメは慈しむようにはにかんだ。綻ぶ自分の表情が解る。

 そうだ。僕は、この笑顔のために、ここから生きると誓ったのだから。



――――――――Next――――――――



『なぜだ……なぜ、動けんッ!』


 オリジナルの嘆きが頭上から聞こえる。悲痛にも思えるしわがれた叫びを、碧狼が自分の肉体と、頭部から生える白毛の中から出た鎖で抑えつけているのだ。

 腹部のコックピットは開いたままであり、碧狼はこの態勢で僕達の帰りを待ってくれていたのだ。


「エメ。いける?」

「うん」


 エメの手を握りながら碧狼へ飛び移り、操縦席に座った僕は、すぐさまに神経接続口へケーブルを繋げようとする。

 だが、その光景を見ていた管理者の嘆きを聞き、その手は止まる。


『器が……ハンナの肉の器が、なぜっ、なぜ……』

「…………」


 あれは、本物の自分だ、とレプリカであるリシティ・アートは再確認する。

 自分がエメを失ったのであれば、僕は恐らく彼と同じ慟哭を漏らすだろう。

 嫌な話だけど、彼の気持ちは痛いほど解るのだ。この胸に宿る心の種は同じだ。ただ芽吹くための世界が違った。

 彼は選択してしまったのだから。恋い焦がれる少女のために――世界の全てを敵に回しても、たった一人になったとしても――生き続けたのだ。


「彼の嘆きは、決して間違いなんかじゃない」

「うん。それを、私達は知っている」


 閉じたコックピットの中、僕の声に抱き着くエメは答える。

 その軌跡を、僕達は忘れない。ある男の長すぎた一生を。

 その在り方を、僕達は否定しない。ある女への長すぎた恋心を。


「リシティ。私も一緒に戦うよ」

「……うん。その間、ほんの少しだけ、お別れだ」

「うぅん。碧狼の中で会えるよ。この手が触れていなくても、この目があなたを見つめていなくても、私達は碧狼を通じて存在を分かち合えるのだから」


 エメはそう言って、コックピットの上部ある蓋を開けて、その細道を登っていった。恐らくは、胸部に繋がっているのだろう。

 彼女がいなくなって、神経接続をする前に、僕は悲嘆を言葉にする本物へと言葉を送る。


「あなたの命は僕が引き継ぐ。だから——」


 神経接続口にコードが繋がり、僕の意識は碧狼の中へと誘われる。そこにはエメがいて、いるはずの彼女はいなかった。

 ヘキロー——いや、ハンナの幻はもう、この機械の中にはいない。残っているのは碧狼の幼い本能だけだ。


「接続完了――意識領域の改変を認証……戦闘モード移行。リシティ、認識コードを!」


 少女の言葉の意味を僕は知っている。

 これは、宣誓だ。大地に立ち、歩くことを選択した僕達の。


「僕は君だ」

「私はあなた」


 この命は二度と離さない。そのための誓い。

 二人の命を内包した人の姿をした獣——碧狼と共に、この暗くされど美しき世界を終わらせるための誓い。


「「我ら一心同体! 求めるは遥かなる生存。一秒先の未来!!」」


 生きるために。その存在を感じるために。

 遥かなる一秒先の未来こそ、僕達が進むための道筋。

 ゆえに、


「始めましょう、リシティ。私達の生存闘争を」

「終わらせよう、エメ。彼らの生存闘争を!」


 この言葉を以って、リシティ・アートという存在と、エメという存在の証明は完了する。

 生きるために抗う彼らの道筋こそ生存闘争。

 そのために、目の前に生き縋る、生存の闘争者を殺すのだ。

 

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