実在―Replica―

 軋む肉体を焼く雷撃は、当にこの肉体が受け止めた。

 それを生物で言う順応であるのか、適応と言うかは解らない。少なくとも、先程まで犇めき合っていた焼きつく電影はなく、僕の思考のメモリにノイズは消え去っていた。


「認識は生きている……碧狼ヘキロウの感覚もある……いや、それだけじゃ、ない」


 碧狼の装甲を走る、碧緑色の雷。目の前の獣の母が放つそれではない、己の生命を糧に生み出したエネルギー。

 神が鳴り響かせる力が雷であれば、人が発展のために用いた力を電気と呼ぶ。神の力は、当の昔に人の力に落とされた。

 それゆえに、人となった獣が神より落とされた力を身に宿す。


「応えた……でいいよな、碧狼ッ!」


 全身の力を振り絞る。身体が、先程までと違って生き生きしているようで軽い。全身に走る電流が、碧狼の四肢を刺激し最善の力を生み出している。

 小さく息を吸う――ここからの行為は、自身に残されたラストチャンスだ。奇跡は二度も起こらない。生物の進化は僅かでなければならない。

 それでいい。そのたった一歩の歩みこそ、リシティ・アートの偽物である自分には必要だ。前に進むごとに、自身を彼女が呼んだリシティ・アートに近づけるためにはッ!

 だからこそ、証明しなければならない。

 恋慕に妄執した男ではなく。

 一途ゆえに倫理を失った管理者ではなく。

 果てに、その恋慕すら曖昧になる機人ではなく――今ここに生きる、一人の生命として叫ぼう。


「エメェェェェエエエエエッ!!」


 刹那、心の躍動にその身は全身のスラスターに火を灯させ、迅るように跳躍をする。

 認識を改める――元凶を打ち破った方が効率が良いのは間違いじゃない。だけど、それではこの心は満たされない。

 求めろ、産声をあげた感情を。叫べ、張り裂けそうに錯覚するこの生命を。


『器を狙うつもりか――させんっ!』


 碧腕にある爪を迸らせ、女神の下腹部へ――されど、その女神の伴侶が邪魔をする。

 降り落ちる毛先が身に迫る。だが、そこには先程まで宿っていた生命の信号が消えているのが見えた。


「そうで、あるならばぁぁぁッ!!」


 機械の肢体に纏わりつく静電気を放電させる感覚を思い出し、それを碧狼に繋げる――途端に周囲にプラズマの破裂が浮かび上がる。

 掃き出される碧狼の電熱が髪を焼き払ってみせる。力を失った機械仕掛けの神は、その奪われた力に翻弄される運命にある。


「爪を立てて――」


 レバーのボタンを振り絞り、籠手にある野生の名残を呼び起こす。三つの管から蘇るは、電子を纏う刃――鋭利なりし光の爪。

 出力を振り絞り、その硬さを、熱量を引き上げる。腕が焼き爛れそうな痛みを覚えるが、それは自身が人間に近しい証として受け止める。

 なによりもこの痛みは、彼女を救うために――碧狼にとっての母に反逆するための痛みなのだから!


「引きッ、裂くッ!!」


 両腕の爪が、女神の下腹部に肌を溶かしながら突き刺さる。痛みに震えるように鉄の肌は軋むが、お構いなしに碧狼はこじ開けようと開いていく。

 数秒の抵抗を物ともせず、強引に切開した。エメの姿は碧狼の目には映らなかったが、少なくともそこに彼女がいる事が解る――なぜだろうか? その核心を考える間もなく、碧狼の腹部が開かれていく。

 即ち、コックピット。自分の意志とは別に、それは愛する母と同様に開かれていく。


「――碧狼……っ」


 神経接続が解かれる。意識が碧狼から弾かれる。

 肉体の感覚を取り戻した僕は、一度だけその名を呼び――操縦席を飛び出した。

 上を仰ぐと、オリジナルが操るMHMを抑え込むように、両手を使って敵の手を塞ぎ、頭部の毛の中に隠れていたチェーン――恐らくは機人獣の母から受け継いだ髪という機構の名残でその身を抑えつけている。

 それはまるで、最後の抱擁に見えた気がした。


『クッ……なぜ、雷撃が走らないのだ? なぜ、何を以てして母に反逆ができるのだッ!!』


 管理者の声にハッとした僕は、急いで碧緑の狼から飛び降りた。

 行くべき場所は、その開けた腹部の奥。少女が眠る偽りの子宮。こんなバカげた過去の妄執から解放させるために、僕は、その開けた穴へと右手を伸ばす――



――――――――Shift――――――――



 その運命はきっと決まっていたことだ。

 この世に生まれ落ちた少女は、暗闇の中で短くそう自分の人生を振り返る。

 自分という存在の価値を、私は最初から理解していたのだ。

 この身は偽物の体であり、ある女性のための器である。

 碧狼の中で教え込まれた最初の知識はそれだった。

 だから、私は他の機人きじんじゅうとは違って、全てを受け入れたのだ。


 蛇は本能の赴くままに、この状況に危機感を抱いて逃げ出した。

 蛸は自我を捨てる勇気を持てず、人間という存在に惹かれて消えた。

 鳥はそれでも、と希望を抱いてこの地を飛び立った。

 骸骨は盲目にその役目を全うすることを選択した。

 鬼は未だ人の可能性の中に眠っている。

 そして母は……意志もなく、ただ沈黙している。


『優しい子。あなたは何も悪くはないのに』


 碧狼が語り掛ける言葉の意味は理解していた。

 彼女はただ、私は悪くないと言ってくれた。悪いのは自分である、と。

 わたしは歩むことを止め、停滞した。私はきっと、そうであったとしても自分一人の犠牲で彼を救えるのであれば、と思っていたに違いない。

 この世界に何も感傷を覚えていない私は、そうやって自身をレプリカとした。


「そこの君。どうかしましたか?」


 でも――あぁ、でも。

 その出会いは忘れない。絶対に。これだけは自分の運命だと。これこそが私のオリジナルと言える記憶。

 偶然だった。私は、ただほんの少しのキッカケで、外へ出ようと思ったんだ。その時に出会った。初めての人。初めて、私が私として出会った、大切な人。

 とても機械的で、なのにどこか人間的で……あぁ、最初は敬語だったっけ? それが嫌で、私が口調を直すように言った覚えがある。それが嬉しかった。贋物である自分にとって、ただ一人でも無邪気に会話ができる事が。

 ――真実を知れば、それは当然だったと気づかされる。彼はRCタイプ。私のオリジナル、ハンナを蘇らせようとするリシティの機械的なクローン。私が彼に惹かれるのは、間違いじゃなかった。


「手を伸ばせッ! そして掴んで!」


 でも、それだけは確かに私だけが得た記憶。オリジナルが知り得ない、エメという少女が掴んだ泡沫の感触。

 人間ですらない。私は、機人獣のパーツ。人間に極限に似せて作りながらも、獣の遺伝子を組み合わせることで自然的に近づけた、魂の揺り篭。

 その事実が、私に躊躇いを覚えさせた。


『私の名前はハンナ……厳密には、この碧狼に組み込まれた遺伝子の断片』


 碧狼が――いや、碧狼の中にいたハンナは、私の口を借りて私のリシティにそう伝えた。

 それが決定的だった。私はそこで後悔をした。

 知らなかったら良かった。どうせ私は終わりが決まっている者だと、そうして黙って終わっていれば……あの時、あなたに出会わなければ、こんな悲しみを知らずに死ねたのに。

 胸が痛い。こんな想いは初めてだった。彼が眠ってから、しばらくして本物のリシティが私に告げた。時は来た、と。その言葉に、私は畏縮してしまった。


『そう……あなたはそうやって、今を諦めるのね?』


 彼女との接続が切れる直前、碧狼はそう問いかけてきた。

 諦めたくなんてなかった。私は、私の中にあるこの想いをまだ彼に伝えていない。

 それはあまりにも稚拙な感情だ。あまりにも無邪気が過ぎる本能だ。それはあまりにも恥ずかしい願望だ。

 それでも、それでも――伝えないと、何も始まらない。

 でも、現実は非情だ。時間は待ってくれない。何百年も待った風化する願いを前に、この刹那の望みは敵わない。

 私はそんな最悪な未来を前に、碧狼の問いかけの答えを返す。


「……生きて、みたいな」


 曖昧な、望みとしてはあまりにもありふれた答えだったと思う。

 彼女の答えが返ってくるよりも先に、私は本来の肉体ともいえる機械の女神へと移動させられた。碧狼の胸部の居場所と同じなのに違う、私の居場所。

 私はここで再構成される。魂を、表出したハンナに置き換えられる。肉体から獣の要素を取り除き、完全なる人間として蘇る。

 ハンナの再臨を前にして、私は死ぬ。それは、最初から知っていた事実なのに、今はただ残酷な現実だった。

 私という全てが終わるその時、鉄の子宮の中で私は誰を想うのか。きっと、色んな光景を思い出すのだろう。それでも、あぁ、それでも。

 私が欲しかったのは、たったひとつ。あの時、掴んだ、あの――




「エメッ!!」




 それはきっと、確かに聞こえた声。

 あの時、初めて見たひかり。

 レプリカという殻を打ち破った、唯一無二の、あなた。

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