恋慕―Deception―

 夢を見ている。それは絵画の如き記憶であった。僕の知る鋼の荒野ではない、自然豊かなかつて人が住んでいたとされる生物の世界。人が行きかう世界の中で、その男は一人の少女しか見ていなかった。

 少女は男よりも一つだけ年上で、しかしどこか幼さを残す。彼女を幼馴染とする彼にとっては目を離せない大事な女性であり、たった一人だけの運命の人だった。

 彼女は所謂、芸術家気質で絵画や歌、小説に映画製作などに手を出していた才女であった。一方で、男は遺伝子工学と機械技術の勉強に専念するようになる。


「小さなキッカケだ。自分はただ、彼女に生きてほしかっただけなのだ」


 生き急ぐように若干二十歳ながら様々な分野で結果を出す彼女は、自身の命があまり長くない事を彼に伝えていた。彼女は気丈なふるまいを見せ、笑顔すら作ってみせたが、彼女に恋い慕う男にはそれが虚実である事は理解できていた。

 それは彼が十歳の頃。十一歳の彼女が教えた命の期限は、自身の命の価値を計れない少年の運命を決定づけるには十分だったのだ。彼女の才能はこの頃から発揮されており、何もなかった彼は努力で彼女の生存の道を探し始めた。

 医療ではなく、遺伝子技術に手を出したのは、彼女の病の原因は遺伝子にあると知っていたからだ。延命ではなく、彼女の完全なる人間にするために、その元を断とうとその分野に入り込んだ。遺伝子の置き換え技術に、クローン技術、果てには遺伝子を複合させるという禁忌なる技術にも手を出した。


「それでも問題は解決しない。一つの遺伝子を変えたところで、変異した他の遺伝子を変える事はできない」


 遺伝子は情報だ。生物を構成するあまりにも精密すぎる。だからこそ無から遺伝子を作り上げる事は難しく、生きる彼女の遺伝子に手を出すのも難しい。皮肉にも、彼女を治すための技術は、彼女の死後にしか成立しない、という結論に至ってしまう。

 だからこそ彼は、今度こそ彼女の延命に走る。遺伝子技術の研究の最中、彼が手を出したのは進出し始めた機械工学――ロボット技術だった。クローン技術には欠陥ともいえる肉体の脆弱性が解決しておらず、それ以上の強靭な肉体を求めていた末に発見した物であった。


「人型の機械。そこに遺伝子技術の埋め込みをすれば、生命と機械の狭間に位置する存在になり得る。そう私は確信していた」


 それがあまりにも独善的な思考だというのは彼だって気付いていた。それに実現しようにもあまりにも理論を飛躍しすぎている。当時の技術は、確かに進んでこそいたが、それでも新たな生命を作り上げるほどの技術は有していなかった。

 それに、彼の思考は一度ここで死を迎える。いや、ハンナと言う唯一無二の少女を愛する少年はここで死んだのだ。キッカケはそう――ノイズに塗れて見え辛いが――とても些細な、人類が何度も起こしてきた過ち。


「争いが起きた――身勝手にも、理不尽にも、凄惨なりし――争いが起きた。それは世間一般ではテロなどと言うのだろうが、そんなのは詭弁だ。人は彼女を殺したのだ」


 病の死でもなく、彼女の自殺でもなく――他者により殺された。厳密には昏睡状態に陥った、という方が正しい。奇跡的に彼女の肉体は無事であったが、意識だけは消えていた。他者から見たら、それはあまりにも綺麗な死に様であっただろう。一人を除いては。

 彼女の死が病であれば、無力感に浸れたであろう。自殺であれば、後を追う覚悟はあったはずだ。なのに、彼女の死には他者が絡んでしまった。生まれるのは必然として――復讐心。

 だが、その対象は殺した相手でも組織でもなく、その種であるのが彼と言う人物の視野の狭さが解る。元より、記憶の最初に映るのが親でも友人でもなく、彼女だけなのがその証明だ。


「人という存在は過ちを起こす。ハンナの死は過ちだ。彼女はここで死ぬべき存在ではなかった」


 ハンナの綺麗な亡骸を抱きかかえて彼は吠える。これが管理者アドミニスターたるオリジナルの誕生。彼は、ハンナのいずれ死にゆく肉体から遺伝子情報を抜き取り、亡骸を冷凍保存し新たな作業を始める。ハンナの意識は、遺伝子に眠ると信じて。

 ここからの彼の活動は二つに分かれる。人類を敵と見なし、されど同種故に下等なる存在と捉え管理する対象と見なす復讐鬼。そして、ハンナの復活を望む蘇生技術への追及。

 復讐鬼の辿る道は凄惨の一言だ。何せ、最初に復讐したのは自分であったのだから。


「人の種を管理するのであれば、それは人であってはならない。人よりも上位に位置する、過ちなどしない完璧なる存在――」


 自身の遺伝子のデータはそのままに、彼は肉体を機械へと変えていった。感情に揺れる脆弱なる脳を始めとし、目、臓器、腕、脚……と。図らずも、彼がハンナに実践しようとしていた、人間と機械の狭間の存在に彼はなっていた。

 第三の存在となり得た彼は、まずは生物の環境を破壊した。生命の九割を殺す事を目標とし、実際にそれをやってみせた。それに用いたのは、遺伝子融合技術を応用した第三の存在の巨大なる体現者――MエムHエチMエムである。

 生物のように自我を有しながら、獣のように人を喰らう本能を持つ。巨大な姿はあらゆる生命を喰らうために進化したから。鋼鉄に包まれているために破壊は難しく、各々で動きやすいように最適化したために機動性もあり、それらは認識の最適化を経て生物を餌と見なすようになった。その姿は、人間の相棒と言われる犬であった。


「ハンナの遺伝子情報……そこから病となる情報を排除……MHMに接続……」


 一方で、ハンナの遺伝子の情報は順調に進んでいた。機械になった事により生命の有限性から解き放たれた彼は、生命の淘汰を作り上げたMHMに任せて、研究に没頭する。ハンナの遺伝子の問題をクリアし、自身と同じように機械化を施したハンナの肉体で再生を試みたのだ。

 結果は――失敗。自身が絶対と信じた可能性に裏切られた瞬間である。


「肉体がもはや駄目なのか? ハンナの肉体が限界……? しかし、クローンは問題が解決していない……解決する事はない。であれば、あれば……」


 通常、複数の人がいて成立する研究を彼は一人でこなしてきた。しかし、限界を迎えつつあった彼は、自信に絶対服従であり、自身の理想を共感し、自身の頭脳に匹敵する聡明さを有する存在を求めた。人類の九割が貪られる中、そのような存在がいるわけがなかった。たった一人を除いては。

 クローン技術は確かに脆弱だが、そこに機械が混じれば強靭なる肉体が手に入る。その事に気が付いた彼は、自身の遺伝子を使い自身のクローンを構成。それらを全て機械化させ、人型のMHMとして完成させた。RCタイプ。記憶は剥奪し、知識はそのままに、制御できるように思考に調整がかかったそれは、彼の手足となり研究を手伝う。


「この技術を使えば、ハンナは――」


 クローン技術と機械化技術の複合。それこそが新たな可能性であった――が、失敗。

 まるでハンナが復活を拒んでいるような、そうとさえ思える結果に彼は頭を抱える事となる。この時点で、彼の中にあるハンナへの恋慕は、執着と妄信に変化していた。

 そのようなハンナ再生計画の裏で、環境は死に絶え、鋼の荒野を作り上げていた。全て、戦いの後だ。MHMが次の時代の支配者とでも言わんばかりに、世界は彼らの住まう環境に即するように変貌していく。

 だが生命は生きていた。僅かながら残されたそれらに、MHMを介して管理者として彼は宣言する。


『――人類は一度、その存在証明を失いかけた――』


 それは人類への勝利宣言であり、管理者としての管理宣言であった。混乱した人類は、人間の視点で物事を語るその存在に理解を求めるようになった。MHMから聞こえているというのに、その声は確かにまだ人間であったからだ。

 何よりも彼は民を扇動するような発言を何度もした。そこにはハンナを復活できない事への諦めと、僅かに残った人間としての良心があったのかもしれない。結果的に、彼らは管理者の指示に従い、植民地コロニーでの生活をするようになった。


「復讐は終わった……後には何も残らない……ハンナもまだこの手にはない」


 全てが終わり、彼はただ喪った目標を見つめて管理者として活動をする。RCタイプを量産し、遺伝子を組み込まず、パイロットがその遺伝子の代わりとなる骨人コツジンを開発し、灰色の大地を巡回させるようにした。自身の拠点は最適化と工夫を勝手にRCタイプが行い、まるで国のようになっていく。

 その中で、彼はまだ諦めきれずに再生計画を続けていた。ハンナの遺伝子のみでは再生は不可能と考えた彼は、遺伝子複合技術を利用し、他生物の遺伝子とハンナの遺伝子をかけ合わせて、他生物の本能で無理矢理にでもハンナの意識を喚起させようとした。


「肉体も必要だ……クローン技術を応用し、生物の生産能力に準ずる機構を設ける……機械が人と獣の合いの子を産むか……」


 それらは機人獣きじんじゅうと呼ばれるようになった。

 四機まで製作されたそれらは、様々な生物が重なって生まれた。一体目のタコ型は、意識の会得こそできたがハンナは喚起されず。二体目の鳥型は、肉体の生成と意識は生まれたがハンナは蘇らず。三体目の蛇型は論外であり、四体目の狼型も二体目と同じ結果で終わった。

 しかし、三機を失った今、エメが最も可能性のある存在であった。ハンナの復活のカギを握るのは彼女だ。男はただ願う。ハンナの復活を。最終計画、マザーハーロットの中で、ただその時を待つ。



――――――――Next――――――――



「……終わった」


 長くも短い男の一生の光景を、僕は垣間見た。それは自分の存在を形作っている半身であるのと同時に、自分に馴染む記憶の流れ。僕の中に彼の遺伝子があるなら当然の感覚だ。


「……なんで碧狼にこんなものがあるんだ? 誕生の経緯は解ったけど、エメには必要のない情報だ」

『いいえ。後年の管理者の様子、見ましたでしょう? 彼にとって、今やハンナは恋い焦がれた女性ではなく、自身の目的と化している……自身が辿ってきた道筋を、ハンナの生まれ変わりの可能性があるエメに見せつけていたのです』


 それは、自身のオリジナルながら気持ちの悪い行為だ。生き様の強要。相手に在り方を押し付けている。彼が自分のオリジナルだと思うと、とてもじゃないが受け入れる勇気がない。


「最悪だ……」

『えぇ、最悪です。こんなもの見せられたら、エメが可哀想でしょう? だからこそ彼女は外の世界を求めた。そしてあなたに出会ったのです』


 その間に何かがあるのは事実だけど、少なくとも彼女と僕と、そしてハンナとオリジナルの関係は大体繋がった。オリジナルにとってエメは、ハンナの復活のために生み出したに過ぎない。ハンナの復活を確認して、彼は次の行動に動き出したのだ。


『……リシティ。あなたはエメを救いたいですか?』

「えっ!?」

『あの記録はあなたのオリジナルの記憶です。私が危惧しているのは、あなたがそれに同情しないか、という事ですよ』


 ……そりゃ、少しの同情は覚える。彼は結局、ハンナという女性のために人生を捧げた。結果的にこうなってしまっただけで、彼の行為は支持する事はできないが理解はできる。

 でも、


「救うよ。彼の記憶を知ったからハッキリ言える。今の僕は、彼と違う」

『……そう』


 エメの顔をした彼女は、慈しむような笑みを浮かべながら暗闇に消えた。

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