機械―Human―

 今の僕は、言ってしまえばスパイがばれてしまったエージェントだ。もしくは、捕らわれの姫を助けに行くために茨の道を歩む王子様? 冗談。残念だけど、そんな綺麗な存在じゃない。

 僕のような機械なら多少の銃弾なら対抗できる。でも、流石にMエムHエチMエムを出されると堪える物だ。

 管理室から出て、最初の銃撃は同胞からの銃撃だった。それに関しては避ける事はできる。厄介なのは、MHMも行動できるエリアに出てしまった事だ。逃げている間に伝わるアナウンスのせいで、厳戒態勢を敷かれている骨人コツジンは、僕を発見次第銃撃をしてくる。十メートル級の攻撃を躱すのは至難の業であり――今、ここまでの振り返りができたのも、その銃弾の風にやられて吹き飛ばされたからだ。壁にぶち当たり、一瞬だけショートした頭脳を総動員させるが、骨人は嘲笑うようにゆっくりとこちらに近づいてくる。


「身体は生きてる。けど……心が折れかけてる」


 酷い話だ。エメを救いたいと思っているのに、この絶望的な状況のせいで行動が起こせない。

 そんなの、おかしいはずだ。何で、怖いと感じる。怖いという感情は、機械には存在しない。心というオリジナルから与えられた疑似的な物でも、所詮はプログラム。臨機応変に物事に対して動くためのツールでしかない。その中に、無意味に動きを止める指示なんてない。

 これが――僕の欠陥なのだろうか。ならば相応だろう。感情なんてもの、機械には必要がない。それを会得してしまったのだから、こう取り乱すし、自分の無力さを嘆くし、あの時、エメを救う事も無かった。


「は、はは……」


 渇いた声が出る。なんで笑ってしまうのだろう。解らないことだらけだ。

 ――でも、エメを助けられないのは、嫌だな……。

 そんな、生き物だったら涙を流すのだろう事を想いながら、銃口を向ける骨人達を見る。

 彼らは果たして本当に自分で考えてこのような事をしているのだろうか。いいや、そんな事はない。RCタイプと言うオリジナルのレプリカにとって、オリジナルの言葉は全てだ。心を持つがゆえに反感を抱く者がいるだろうが、僕達は首に鎖が繋げられている。だから、これは彼らの意志じゃない。

 悲しいな。僕は諦めを抱き、最後の瞬間から目を逸らす。肉体が弾けるその時を待って――



「ウォォォォォォォォォォォォンッ!!」



 その咆哮は白煙を撒き散らしながら現れた。予想外の音に逸らしていた僕の瞳が、その獣を捉える。

 美しい碧色の装甲に身を包んだ、一匹の狼がそこにいた。青い瞳が爛々と輝き、首元には守るように広がる毛のような物がある。人のような似足歩行の姿ではなく、獣のような四足歩行である部分を除けば、それは彼女が乗っていたあの機体と同じだった。


碧狼ヘキロウ……」


 狼型MHMであるそれは、壁を使い加速しながら次々と骨人のコックピットを、伸びている爪で貫いていた。僕に銃口を向けていた二機は勿論の事、近くにいた数機も連続的に破壊していく。その動きはスムーズであり、骨人には絶対に行えない動きだ。シュミレーションにはない、その特異なMHMに成す術もなく沈んでいく同胞たち。

 あっという間に、このエリア全ての稼働する骨人を倒した碧の獣は、ゆっくりと僕の目の前に立ち塞がり座る。安堵よりも恐怖が勝る。同胞を殺したからではない。まさか動き出すとは思ってもいなかったし、無傷で立つその姿は人間がかつて信仰していた神だと言えば納得もしてしまう。それほど、神秘的に見えたのだ。


「……僕に乗れというのか?」


 胸部ではなく、下腹部にあるコックピットのシャッターを開ける碧狼に僕は従うしかなかった。戦力がない以上、エメを救い出すことは叶わない。自分の手で動かせるかは不明だが、それでも藁でも頼らないと何も始まらないのだから。

 コックピットにどうにか入り込むと、シャッターが独りでに閉まり、操縦席の周辺にあるモニターが点灯し始めた。映すのは碧狼のどこかにあるカメラから映した周辺の風景で、現状は迫る者がいない事が解る。操縦席に腰を掛けると、骨人のコックピットと酷似しているのがよく解る。


「神経接続……」


 操縦席のシートには骨人と同じ神経接続のコードが伸びており、それをうなじにある神経接続口に差し込む。骨人であれば、機体のコントロールがほとんど脳内で行える物であった――が、差し込んだ瞬間に訪れる暗転の感覚はいつも以上に強くて、肉体と精神とが引きちぎれそうな錯覚を覚える。

 激痛は数十秒続き、僕は痛みに歯を食いしばっていると、ふと痛みが無くなった。本当に一瞬のうちに、続くはずの痛みでさえ消えてしまって。そして僕は暗闇の中で幻を見る。


「え……エメ?」


 そこには、緑色の髪を腰まで伸ばした少女がいたのだ。エメ。僕が助けようとしている少女の姿。頭には犬のような耳がピンっと張っていて、ふさふさの尻尾が揺れていた。

 僕がその幻に名を呼び掛けると、エメの表情は申し訳なさそうに歪む。


『いいえ』

「じゃあ、ハンナなのか?」

『いいえ。でも、私は二人を知っている』


 まさか、第三の人格が潜んでいた、というわけではないだろうか。しかし、暗闇の中で浮かぶ彼女は幻のように揺らめいている。実態があるように見えない。

 これは僕が見ている妄想なのだろうか。困惑する僕を見てか、緑髪の少女は自分の胸に手を当てて声を張る。


『私は、碧狼と呼ばれるMHMの疑似人格……制御ユニット、エメを失った際に行動を起こせるように設定された、人間を模した獣です』

「碧狼の人格……だから、エメもいないのに動いて骨人を……しかし、なんでまたエメなんだ」

『……その、話し相手がエメしかいないと、自ずと相手に染まっていきません?』


 彼女……仮に、ヘキローとしよう。ヘキローはこのMHMが独自に生み出した、予備人格だったのだろう。エメという存在が、この機体の制御ユニット――操縦者マスターユニットなのであれば、臨時の時に対応できるようにしていたと考えられる。

 エメの姿をしているのは、彼女の影響を受けたから、でいいのだろうか。納得はいかないが、まだハンナのような見知らぬ存在よりはマシだと見える。


「君は……なぜ、僕を助けたんだ? 僕は敵と同型の機械だぞ?」

『いいえ。あなたはエメと遊んでくれました。エメと話し合ってくれました。孤独であった彼女の――私のような偽物の存在ではない――友達になってあげた、大切なだから』

「人……僕は、人なんかじゃない」

『いいえ。あなたは欠陥を持った機械……エメと同じ、何かしらの欠点を持った人だよ』


 人間の定義が何かは解らない。ただ、総じて歴史を見れば解る事がある。それは、人間には欠点と呼ばれる物がある事だ。忠誠を誓いながら裏切る者もいれば、憶測が違えて滅んだ国もある。肉体が強靭でも精神が弱い者もいれば、大きな功績を残しながら肉体が脆弱ゆえに死んだ者もいる。

 機械からすれば、人間はあまりにも欠点に優れた生物だ。その欠点も多種多様で、あまりにも無様に見える。なぜなら、機械は人間ほどミスを起こさない。欠点が無いわけじゃないけど、その数は必ずしも人間ほど多くはない。


「僕は……たとえ君が人だと言ってくれても、この胸と身体は機械なんだ。人間にはなれないよ」

『いいえ。あなたは、機械にはない心を持っている。人を殺せないのも、エメと話し合えるのも、今こうしてエメを助け出そうと抗っているのも――機械には出来ない。機械は命令に従う、傀儡なのだから』


 そうだ。ヘキローの言う通りだ。僕の欠点、それはあまりにも人に寄りすぎた精神。感情が揺れ動き、正確な行動ができなくなる脆弱な心。そして、たとえそれがオリジナルの言葉だとしても、自身を信じられる間違いのない在り方。


『あなたに、託したいものがある。聞いてくれる?』

「……うん」


 ヘキローはそう言って祈るように手を重ねて瞳を静める。瞬間、暗闇の世界は瞬く間に色を持つ世界へと変わった。

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