僕―I―
「エメ……君は」
「大丈夫だよ、リシティ。ここでなら、伝えたい事も伝えられる」
幼さを残していたはずの少女の雰囲気がどこか変わっていた。肉体の変化はない。十歳かそこらの身体だ。しかし、言葉にあった拙さは消え、どこか知性を宿した話し方は、少なくとも数時間前の彼女のものではなかった。
玉座に座っていた彼女は、私を手招くような仕草をする。未だにエメの乗る機体に乗っていないのだから、当然の行為だ。しかし、そこに僅かな躊躇いを覚えるのもまた当然である。
「躊躇わないで……」
「あっ……すみません。少し驚いて――」
「敬語もやめて。あなたらしい、言葉で話して」
彼女の憂いを含んだ瞳にドキリとさせられて、思わず謝ってしまうと、今度はそんな事を言われるのだから困ったものである。うーむ……これでもいつものように話をしているのだが、こう要望されてしまうと自分とは何ぞやと考えてしまう。
「具体的には……?」
「私じゃなくて僕。できるだけ男の子っぽく」
「へ、変に精密ですね……」
「そっちの方が似合ってるから」
……困った。自身のアイデンティティを侵されている。しかし、トップシークレットと言われているのだから、無下にするわけにもいかない。加えて、そう言われてしまうと、そうせざる負えないというか……そっちの方が合っているような気がしてならなくなる。
抵抗するより、いっそ受け入れてしまうのが正しい気がする。私じゃなくて、僕、か。僕、僕、僕……僕はリシティ。う、うーん……慣れるしかない。
「えー、では……こほん。エメ、どうして君はそんなに知性的になったんだ?」
「それって、元は馬鹿だったと言いたいの?」
「いやいや、そうじゃない。明らかに雰囲気が違う。下にいた頃と、今の君じゃ」
そう指摘すると、エメはむむむっと言った微妙な表情を見せてくる。別に馬鹿にしているわけでは無い。あくまでわた……僕が感じる、彼女の変化に違和感を抱いただけだ。
「……この子と繋がっているとね、ちょっとだけ頭が良くなるの」
「この子……
「そう。さながら、私はこの子の一部。離れてしまうと、年相応の事しか頭に無くなるの」
それは、碧狼という
MHMは戦闘能力を有する兵器だ。だというのに、そのような使い方ができるとは聞いた事が無い。
「だから、あなたとお話がしたくて、ここにいるの」
「……それで、僕にこのような話し方をさせるんだね?」
「あ、やっと僕って言ってくれたー。嬉しい」
ま、マイペースが過ぎる……。この我儘な少女は、そう言いながらニヘヘっと満面の笑みを僕に向けてくるのだ。ズルいな。そんな満足げな笑みを浮かべると、少しばかり喜んでしまう。
「エメ。君が僕に何を求めているかは解らないけど、僕は機械だ。人間である君に、満足のいく話ができるかどうか……」
「リシティ。あなたは勘違いをしているわ」
「何を?」
「私、人間じゃないもの」
そう言う彼女は、やはり僕から見ては人間のようであった。触れた彼女の右腕には熱があった。彼女との会話は、どちらも意志が籠っていた。彼女の瞳は、僕のような無機質ではない。
「君は人間だよ」
「でも、耳も尻尾も生えてる」
「それぐらいだ。僕のような、無機質で冷たい無機物じゃない」
「でも、食事をした事はないよ」
その言葉に、僅かに眉を潜めてしまったのは、彼女のその発言が自分にとっては大きな意味を持たなかったからだ。
僕達、RCタイプは人間に限りなく模して出来ているが、それでも機械である宿命からは逃れられない。人間は食事をする事でエネルギーを補給するが、僕達はMHMから得られるエネルギーで稼働している。コーヒーはオリジナルから繋がる趣向品で、例外的にエネルギーの補給に繋がるらしいが、それでも僕達に食事など必要ないのだ。
だからこそ見逃しかけたが、それでは彼女がなぜ生きているのかの理由にはなっていない。
「いや、人間であるなら食事は必須なはずだ」
「碧狼の中に入ればね、碧狼がご飯をくれるの。私と碧狼は繋がっているから、そうやって私は碧狼に育てられたの」
「MHMに……? 狼に育てられた子供じゃあるまいし」
「その子供だよ。だから人間じゃないの。私は、MHMから生まれて、MHMに育てられて、MHMに生かされた、化け物なの」
エメはそう俯き、体育座りをしながら淡々と言う。視線はこちらに向けてくれない。まるで今の表情を見せたくないようだ。悲しみを抱く表情を? それとも、化け物と自称するから?
解らなかった。今の彼女は聡明に思えるが、それでもやはり年相応のか弱さを持っている。自分の存在の定義が、彼女の知識の中にある人間と程遠い事が、彼女の負い目になっているのは確かだ。
だからこそ解らなかった。自分が人間でないからか、人間という物に何も価値を見出していないからか。どちらにせよ、僕はもう彼女の事をエメという認識しかしていなかったのだろう。
――――――――Next――――――――
その後も彼女との交流は続いた。あの碧色の狼の下に赴くと、彼女は胸部を開けてこちらに手招くのだ。そして彼女の遊びと称して、旧時代の娯楽道具であるチェスだったりをして遊ぶ。勝敗は僕に分があるが、彼女も中々の手練れだった。
僕は
だからこそ、か。再三のアナウンスで呼び出された僕は、彼女の頭を撫でて、
「行ってくるね」
「行ってらっしゃい。戻って来てね」
「うん。絶対に戻って来るから」
そう、彼女と約束を交わす。僕の中に、確かに彼女と離れたくないという気持ちが生まれていた証拠であった。
何度も通った廊下を通り終え扉を開けると、そこには機械に包まれた
『それで、彼女の様子は?』
「元気ですね。今日は僕とのチェスで、三回中二回、勝ち越されましたよ」
『チェスか……私も昔は嗜んでいたが……』
「今は?」
『やらなくなったな。やる相手がいなくなったからな』
抑揚がないというのに、どこか萎んだような声に聞こえたのは気のせいだろうか。オリジナルはその赤いモノアイの光をチカチカと点滅させている。涙……の表現ではないだろう。どうにも、チェスは彼にとっては苦い思い出があるように思えた。
流石に彼の事が気の毒に思え、彼に一礼をして去ろうとすると、ふと管理者は先程とは打って変わり、こちらを探るような冷たく低い声質で訪ねてきた。
『彼女は、ハンナという名前を口に出した事はあるか?』
「……いえ」
『そうか』
それだけであった。オリジナルの興味は失せたようで視線を感じる事も無くなり、僕は管理室から退室する。思考に反響するのは、その名前だ。ハンナ。聞いた事が無い、にしてはあまりにも馴染むような耳触りがした。
オリジナルはその名前に何か想うところがあるのか。そしてなぜ、エメがその名を口に出す事を期待しているのか。なんだか、キナ臭い気がする。
「調べて、みるか」
その時点で、僕の中には小さな亀裂が生まれていたのだと思う。
オリジナルに対して怪しいと感じるその心、そしてハンナと言う名前に対する興味。何よりも、エメがその事に関わっていてほしくないという事が、この行動の真意である。その事に、まだこの時の僕は気が付いていない。
かくして、運命の日が始まる――
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