碧色―Green―

 彼女の事を報告しようとする意志がなくなったのは、自分の中に芽生えた変化を受け入れたからである。私はどうしても、彼女を許容しようとする自身の感情に違和感を覚えていたのだ。どうして、私は彼女を愛おしいと感じたのか。そのような感情は、抱いた事も無い。感情の意味は解る。誰かを、何かを、自分が、愛と呼ばれる一種の情欲的感情を覚える事だ。

 私は機械だ。人の姿を似せた、管理者アドミニスターをオリジナルとした機械人間アンドロイドだ。だというのに、この感じた事も無い感情を得る。


「……どうしたの?」

「いや。何でも無いよ」


 あの緑色の狼の下で彼女と会話をする。エメを名乗る人間の少女は、よく見れば後頭部には犬のような耳を有していた。ひらひらとした簡易的なスカートからは髪と同じ色の尻尾を持っていた。

 獣人。それが一番適切だろう。そのような種が、かつての生命にいたという記録はないが、記述された物語にはよく登場している。空想的な生物。しかし、彼女は確かにそこにいるし、その要素を除けば人間だ。

 彼女はこの緑の狼型MエムHエチMエムの中で過ごしていたらしい。しかし、ある時に外の世界に興味が湧いて、いざ飛び降りて周辺を動き回っていると、私に出会ってしまったのが事の経緯だそうだ。彼女がそこにいた理由や、飛び降りた事、長い間その空間にいたのになぜすぐに動けるか、などの疑問点は沸々と湧いてくるが、彼女という存在のイレギュラーでは仕方がない、という事にしている。


「あそこにもどれたらもっと、おはなしできるのに」

「あの狼?」

「うん。へきろうっていうんだよ」


 へきろう……碧狼だろうか。まさか壁ではないだろうし、あそこまで獣の姿をしているのに狼以外はないだろう。なるほど、そう言われてみれば緑と思っていた部分も、むしろ碧のように青混じりに思える。

 しかし、彼女の戻れば、という部分は理解に苦しむ。しかし、彼女がそう言うのだからせめてどうにかしてあげたいのだが……。


『RC.640。RC.640。至急、管理室へ来なさい。繰り返します――』

「……呼ばれた、私が?」


 建築物に響き渡る電子音声に目を細めてしまう。このような事は初めてだ。いや、アナウンスに関しては過去何度もあるが、このような名指しはそうそうない。

 少しばかり名残惜しい――そう思ってしまう自分に小さな驚きを覚えつつ、エメにしばしの別れの言葉を漏らす。


「すまない。少し行かなければならないようだ」

「そう……また、あえる?」

「うん。大丈夫だよ」


 上目遣いで私を見つめる彼女の頭を撫でると、エメは瞳を閉じて嬉しそうにニヘラと笑みを浮かべた。仕草があざとい。なるほど、かつての人間が子供を愛する気持ちが解る。もしくは、妻を愛する気持ちか。もしくは――異性を愛する気持ちか。

 あぁ、ダメだ。これは欠陥が酷くなっている気がする。どうにも必要のないプログラムがインストールされている気がする。

 彼女の元を離れて、頭の中がぐっちゃぐちゃになっている私は、そのまま呼ばれた管理室へ向かう。管理室――管理者がいる、国の玉座へ。



――――――――Next――――――――



 白髪の青年に通されて、私は管理室の中へ入る。無機質で殺風景。白い大理石の壁に覆われて、床はモニターで敷き詰められている。天井は一面、光に塗れており眩しい。そして、私が入室した事により閉じられた扉の先に、その存在は鎮座していた。

 管理者。私達からすればオリジナルとも言える存在か。かつては人間であったとされている、今は機械に身を変えたかつての世界の生き残り。同時に、かつての世界を崩壊させた破壊者。その破壊者が今の世界を支配しており、私達はその尖兵と言えるのだろう。


『来たか』


 何かしらのエフェクトがかかった声が聞こえた。しわがれた声にも思えるし、無理矢理声を振り絞っているようにも聞こえる。何かを見ていた彼は、現れた私の方へ振り返る。

 その姿は私と似ても似つかない。顔には光るモノアイだけがあるマスクを被っており、白髪は伸びていない。服こそ来ているが、そこから覗く両手は鋼色に光っている。かろうじて、モノアイの色が赤なのがオリジナルの肉体の証明と言えるか。機械人間でもある私でも、その姿はあまりにも醜く思える。


「RC.640。参上しました」

『うむ。心的器官に欠陥を抱く、ハンドレッドナンバー……噂には聞いていた。しかし、私が呼んだのはその程度の事ではない』

「と、申しますと?」

『……彼女と、出会ったな?』


 淡泊な声が、私に訪れた変化を冷静に指摘する。管理者ゆえか、地獄耳だ。たった二時間前の事を、よくもまぁ見出す。

 だが報告の手間も省けた。何よりも、その管理者の物言いは彼女の事を知っているようだった。彼女の存在について、聞いておくべきだろう。


「彼女は、どのような存在なのでしょうか? 明らかに人間ですが、それでいて獣のようにも見えます」

『……あれは、この国のトップシークレットだ。しかし、まさか動き出すとはな……』

「トップシークレットですか?」

『そうだ。しかし良い。だからこそ、彼女と触れ合ったお前を呼び出したのだ』


 よほど重要な存在らしい彼女の勝手な行動を、オリジナルはマスクの下でほくそ笑んで見せた。そして、その行動を見せた彼女を唯一見つけて、話し合った私に期待を寄せる様な眼差しを向けてくる。モノアイが爛々と輝いているように見えるのは、そう言う意味なのだろう。


『あの子の世話を頼めるか? 私にとってあの子は……娘のようなものだ。それを君に託したい』

「……ありがたいですが、なぜ私に? 私は心に欠陥を持つ機械人間ですよ」

『だからこそだよ』


 厄介払いと言う意味だろうか。なるほど、トップシークレットという彼女を世話するには相応しい人材というわけだ。十分に働きのある機械人間の方が運用のし甲斐がある。私のように、人間を殺せない・・・・・・・機械人間にはそちらの方が良いと、彼はそう言っているのだ。

 悔しい思いがある一方で、どこか安堵した気持ちに浸る。それは欠陥に溺れるという事か。……違うと思いたい。自分を欠陥と思う一方で、自身の行動は間違いではないと思ってるのだ。この安堵は、自身の手で嫌悪に値する行動をしなくて済むようになった事によるものだ。


『あぁ、あと、彼女を碧狼の中に入れてやってくれ。まさか飛び出るとは思わなくてな……足場はこちらで用意する』

「解りました。その任、受け持ちます」

『頼む。私にはできない事だ』


 その言葉は抑揚がなく、どういう意味を持った言葉なのか判断できなかった。

 オリジナルとの謁見が終わり、私は彼女の元へ向かう。どうにも、戻る事に少し嬉しく思えるの自分が複雑であった。機械である私が、人間の少女にそのような感情を抱くなど、変だ。

 溜め息が混じる中、彼女の元へ戻ってみると、そこには車輪が付いた階段状の足場が置いてあり、開かれた胸部は閉じてあった。そして狼少女の姿はない。十中八九、あの中であろう。


「……仕方がない、ですね」


 階段を上るという行動は時間がかかるので面倒なのだが、そうあるのだから仕方がない。一段一段、同じようなリズムで上っていく。単調だ。せめてタップダンス程度には面白いリズムは刻めないだろうか。

 そんなどうでもいい事を思考していると、やっと胸部までに辿り着いた。上を見ると、狼の顔を模したヘッドパーツがある。滑稽に見えるが、これが動くとなると圧倒感は凄いだろう。


「エメ。開けてください」


 私の声に、碧狼の碧色の胸部は、構成する幾つものパーツが後方へスライドしながら開かれた。骨人のコックピットの構造とは似ても似つかない。面倒な造りだ。

 そこにいたのは、碧色に煌めく鉱石で出来た椅子に座る少女の姿だった。緑色の髪は、透き通るように美しい。その幼さを残す輪郭は、触れたくなるほど可愛らしい。その伸びる獣の耳と尾は、妖しいというのに艶めかしい。

 エメだ。その髪にも鉱石にも負けない、深淵を覗かせる緑の瞳を私を見つめている。


「リシティ。来てくれたんだね」


 その言葉に、拙さはほとんどなかった。

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