『蛇に飲まれた国』

 図書館の帰り道によく寄る喫茶店に二人を連れて入る。この喫茶店と呼ばれる飲食施設も、元々は図書館の資料にあった文献から作られたと聞く。父曰く、国内の生産部門が文献を漁って見つけた嗜好品の――コーヒー豆や茶葉、砂糖菓子など――生産が成功した事によって、僕が幼少の頃に建てられたらしい。堕落の一歩だな、と父は言っていたが、利用者であるため説得力はない。

 リシティとエメはそれを見てあまり驚いた様子ではなかったので、もしかしたら別の国でも、このような施設はあるのかもしれない。


「おじさん、カフェオレ一つ。あとは……」

「なら、僕はコーヒーを。エメはどうする?」

「ミルク」

「で、お願いします」


 対応の速さからしてどうやらあるらしい。実は密かにこの国独自の物だと思っていたので、少し残念。逆に言えば、この文化はおかしな物ではないという事だ。嗜好品は絶対に必要な物ではない。作業員の効率を上げたりなどには利用できるが、誰もがこの嗜好品を愛しているわけでもない。

 嗜好品生産に関しては、誰もが判断に困ったらしい。過去の人間はなぜこのような不必要な物を嗜んだのか、と口煩く反対していた人もいた。結局、過半数が求めたのでやってみると、浸透したようだ。


「さて――先に聞いておこう。君は、外の世界について知りたいかい?」

「っ……はい!」

「そうか……」


 バーのカウンターに座った僕の横に、リシティ、エメと並んで座る。エメの身長を考えると乗れるか不安であったが、どうやら運動神経は良いようで苦も無く乗る事に成功していた。

 彼はマスターが淹れている間に、そう問いかけてきた。透き通るような白髪の下の瞳は、とても美しい赤であったが、どこか別の場所を想うように渦巻いているように感じられた。我ながら、彼を見過ぎているよう思えるが、惹かれる物があるのだから仕方がない。


「では、質問がほしい。何もかもを知っているわけではないけれど、何を言えばいいかが解らないからね」

「もしかして……あんまりお話をしたくない、ですか?」

「いや、そういうわけじゃないんだ。僕は受け身でね。聞かれたら答える、が一番やりやすいんだ」


 そう言われると考えるしかない。ただリシティの言葉に救われた部分は確かにある。彼は何でも聞いてくれと言ってくれているようなものだ。

 思考を巡らせる。いざ何でも、と言われると悩むのが僕の優柔不断さだけど、一番最初はやはり最初に感じた疑問だろう。


「その、死んでしまった国って……どういう国だったんですか?」

「そうだね。一つは外的要因で、MエムHエチMエムに襲われた国だ」

「外のMHMって、あの骸骨の?」

「いや、これは特例中の特例だ。外の髑髏のMHM――僕は、あれを骨人コツジンと呼んでいるけど、あれは規則性のある動きしかしない。その国を襲ったのは、蛇のMHMだった」


 蛇の、というのは所謂、生物学的な蛇なのだろうか。あの地面を這う、細長い姿をした動物。生物図鑑で見た事はあるけど、MHMは人型のイメージが強い。骨人もそうだが、我が国の緋蝗ヒコウも人の形をしている。それが一番扱いやすいからだ。人体の構造は、人ゆえに把握している。だからこそ、MHMは人型、というのが暗黙の了解のはずだ。

 ……しかし、思えば二人の乗ってきたMHMは、狼の姿を無理矢理に人に見立てたような姿をしていた。決して馬鹿にしているわけでは無いが、あの姿はとても歪に思えたのだ。緑色の肉を持った、四足歩行の狼が、人の様に二足歩行で歩いている姿は――あまりにも異常だ。


「突然変異、という言葉を信じるかい?」

「それって、生物がある日突然、あり得ない形に進化する事でしたっけ? 信じてはいます。というより、図書館の記録が、あれは真実だと言ってますし」

「そうか。それが機械で起こる、とは思う?」

「いいえ。機械は、生き物じゃありません」


 と、口で当然の様に言ったのはいいが、そこにあるのは小さな疑問であった。

 MHM。その起源は、あの図書館にはない。僕達の国での起源としては、骨人の脅威に怯え、あれに抵抗できるようにと造られた。けど――なぜ、MHMなのだろう。

 思えば、緋蝗はある虫をモチーフにあるとされている。骸骨騎士も、元を辿れば人の骨だ。あの狼男も、生物がモチーフになっている。なぜ、純粋なロボットではないのか。SF小説に出てくる、機械の塊ではないのか。その内に沸いた疑問に、リシティの口は告げる。


「いいや。あれは生き物だ。機械が生き物の姿をして、生き物が機械となった姿だ。僕はあれを、機人獣きじんじゅうと言っている。人に関わりし機械の獣。それが、MマシンHヒューマンMモンスター


 リシティの見解は、正直なところ突飛的に思えた。それは自身の思考の限界を意味している。自分の頭の中のMHMは、そういうロボットだと認識していたのだから、その真逆に近い自論は僕の頭を揺さぶるには十分だ。

 しかし、それが正論に思えるような部分も確かにある。全てを鵜呑みするつもりはないが、それでも、どこか信じたくなるお話だ。


「その蛇は、人を介せずに動く機械の獣だった。人と言う存在をどう捉えていたかは解らないけど、とにかくそれが国の壁を越えて入り込み、国民を喰った」

「く、喰う!?」

「あり得ない事じゃない。君が何かを食す事と同じだ。それが自分と同じ人種だというだけ……」


 想像もしたくない、グロテスクな話だ。本当に、酷い。妄想癖のある自分からすれば、その光景は抽象的でありながらも――いや、自分のいるこの国をベースに想像してしまう。喫茶店の窓から見える壁の超えて、人を喰らえる機械の蛇が現れるのだ。それが、家族を、友人を、ましてや自分さえも襲い掛かってくる。

 恐らく、顔が真っ青になっていたであろう僕を見兼ねてか、赤い瞳は優しく垂れ下がる。それは、希望の瞳だ。


「唯一の希望は、生き残りがいた事だ。彼らは逞しかったよ」

「いたんですか!?」

「いた。少し頭が弱い印象を覚えたけど、彼らはこれからを生きていくんだろうな……」


 それを聞いて僅かに安心する。生き残りがいるならば、国の再興も夢じゃない。全てが滅んだら終わりだが、その光景を知っている者がいれば、国は元通りに戻るはずなのだから。

 そう、希望を信じた僕は、ふと思い至る。その生き残りは、果たして何人だったんだ? 浮かんだ疑問を口に出すと、白髪は小さく揺れた。


「二人。男と女」

「じゃあ――」

「君の想像通りだ。二人だけじゃどうにもならない。子を産むにしても限度があるし、何より栄えていた時代を知る者にとってはあまりにも酷だ。大地も死んでいたし、あの国に救いをもたらすにはあまりにも人が足りない」


 救いなんて、なかった。蹂躙をする蛇の所在は解らないが、恐らく、人をたらふく食べてから別の場所へ移ったのだろう。なんて酷い。なんて惨い。あまりにも、その二人が哀れに思える。

 リシティは用意に手間取っているマスターを睨みながら、最終的な希望を語る。


「例えば、大多数の人間があの国に訪れたとして、そこに価値を見出したのであれば、もしかしたら国は生き返るかもしれない」

「でも、それは……もう、その元の国じゃありませんよ」


 二人ではなく大多数の意志が混じれば、かつての国は失われてしまう。

 それに、そんな大多数の人間が現れるわけじゃないんだ。人は、人と人によって産まれる。決して自然から発生する現象じゃない。この旅人が珍しいと思える自分からすれば、国に訪れる人なんていないのだ。

 マスターはやっと淹れ終えたのか、湯気が立つコーヒーカップをリシティと僕に、エメには白い飲み物が入っているカップを手渡した。

 決して、外の世界が平和じゃないと知った。それでも、僕は絶望はしなかった。この時はまだ、そういう国もあるんだと思っていたのだから。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る