『知識の大国』

 未知という物は恐怖を感じるものだ。そういう意味では、今の僕は怖いもの見たさで彼を誘ったのかもしれない。そう実感するのは、家に連れてきて正座をさせられている状況だからだろうか。


「あのね、ライト。決して悪いと言うわけじゃないけれど、せめてお母さんに一言あっても良かったんじゃない?」

「……はい」

「アポなしはよくないな」

「あなたもよ、お父さん?」

「……へい」


 目の前で明らかに人が放ってよくはないオーラを噴き上げる、仁王立ちの女性こそが僕の母である。赤色のエプロン姿で、僕と同じ茶色の髪を伸ばしている、今年で四十になるお人だ。家に旅人の二組を連れ帰ってきたら、案の定怒られた。父共々、正座をさせられているのである。

 ただ国の人には、アルト家が責任を持って旅人の食と住を提供すると言ってしまったので、どうしようもないのが現状である。それぐらいは聡明な母でも解ってくれているようで、苦労を思ってなのか溜め息を吐く程度で済ませてくれた。


「さぁ、とりあえず外で待ってくださっている旅人さんを家に上げないとね」

「うん」


 母に言われて、家の外で待ってくれているリシティ達に声をかける。リシティとエメは、広がる国を見渡していた。彼らからすれば珍しい光景なのだろう。僕にとっては見慣れた――見慣れすぎた世界を、彼らは楽しんでいる。それがどこか羨ましく思えた。


「リシティさん、エメさん」

「うん。ありがとう、ライト君」


 僕の手招きに白髪の美少年と緑髪の少女が、家の中へ入る。その時に、エメのひらひらなスカートからあふれ出る髪と同じ毛色のふさふさが目に入る。さーて……どうしたものか。これが一番の問題だ。


「初めまして。旅人のリシティです。隣にいるのは――」

「キャーッ!! ふさふさー!」

「……エメです」


 エメのお尻――厳密にはそれより少し上ぐらい――に生えるモサモサの尻尾に母はメロメロであった。他の人には見られないパーツだ。生物の図鑑を見たからこそ解るが、あれは、犬や狼といったかつての陸上生物の尻尾に酷似していた。色はエメの髪の色と同じであったが。

 母は可愛い物が好きなので、それがたとえ自分とは違う種の物であっても抵抗はないのだろう。もしくは、旅人と言う外からやって来た未知なる生物、と思っているのかもしれない。それなら、同じ人間ではなくてもある程度の対応は覚悟できる。

 エメは明らかに嫌な表情を見せていたが、リシティはそれには気にはせず、正座を止め立ち上がった父にこれからの話をし始める。


「あの奇怪なMHMは、我が国のMHM置き場に置かせてもらいます。使用の際は、国を出る時、でよろしいでしょうか?」

「解りました。この国を周ったりは?」

「その時は……ライトに行かせます。いいか?」

「え、うん」


 父の急な言葉に小さな驚きこそあったが、それでもそれは願ったりな事であった。それほど、旅人と同じ時間を共有できる。それは、彼らのお話を聞ける事に繋がる。

 赤目の瞳は僕を見つめて、少しだけ眉を細めていた。そして、隣で母にいいように遊ばれているエメの助けのために彼女に近寄る。

 親に受け入れて良かったと思う反面、僕は未だにリシティの表情を理解するのに戸惑っていた。果たして彼らは何を考えているのか。それが、本当に、解らなかったのだ。



――――――――Next――――――――



「えーと、ここが図書館です」

「図書館……」

「はい。大昔の書物や、最新の国の記録まで……見ていきますか?」


 頷くリシティに僕の頬が緩むのが解ってしまう。旅人と言う存在と触れ合うの初めてだが、ここまで興味を抱く人とは思ってもいなかったのだ。

 父に言われてリシティ達に国を紹介して回っていた。やはり一度騒ぎを起こしてしまったせいか、皆、旅人に気はあるようであったが、やはり未知の相手。誰も話しかけてこようとはしない。おかげで紹介はスムーズに進んでいるので、この状況には感謝しないといけない。

 エメはリシティに着いて行く、と言った方が正しい。どうにも国の内景には興味が無いらしく、リシティの興味に合わせて動いているようだ。そう言う意味では、少しばかりリシティに依存をしているような気がする。


「なるほど。多いね」

「多いんですか?」

「うん。ここまでまともな書物を、しかも多く貯蔵する国は初めてだ。知識の大国なのだろうね」


 本をぱらぱらと読んでいく姿は、どこか様になっているように感じられた。彼は国を知識を秘めた国と言ったが、リシティの方がよほど知識を内包する賢者に見える。幼さを残すはずの輪郭は凛々しく見えるし、それでいて貪欲に知識を吸う無垢なる人にも見えるのだ。


「しかし、人は少ないようだ」

「えぇ……ここにあるのは基本的に、かつての記録です。国の繁栄に活かす方法はほとんどありません」


 建国の頃は、国の安定のために何度も過去の記録に目を通し、それを実践していったらしいが、国の運営が確立されてしまった今となっては使いようは少ない。たまに別の方法を模索しに来る人もいるが、僕ほど過去を貪ろうとする者はいない。

 しかし、かつての記録は大事な物であるため廃棄はされないらしい。少なくとも、建国の際には国を救ったのだ。排除される由縁もなく、本が好きな自分にとってはありがたい話である。


「勿体ないね。安定を求めるのは間違いないではないが、そこに向上心が無ければ人は停滞したままだ。ここにはその苦心の記録があると言うのに、目を通す者が少ないのは悲しい事だ」

「そんなに悲観する事なんですか?」

「あぁ。停滞は、進まないという事だ。しかし終わりは近づいてくる。人はその終わりから逃げないといけないのに、止まってしまえば終わりに食われてしまう。そういう者は、悲しい結末しかないよ」


 少し解り辛い言い回しだったけれど、喩えを使うなら簡単だ。一つの道があり、真ん中には人が走っている。後ろからはそんな人を食べる化け物がいる。それから逃げるために、人は試行錯誤をして走り続けるはずだ。止まってしまえば食い殺されるのだから。

 自国は、その試行錯誤が無い。安定した日常を得る代わりに、決定的な進歩がない。そうとなれば、いずれやってくるかもしれない終わりに近づいているのだろう。試行錯誤の方法は、この図書館にある資料にあるとリシティは語った。


「この国の次に豊かだと思う国があったけど、あそこは記録こそなくとも、進歩はしていた。少なくとも、その可能性の片鱗は見た」

「可能性の片鱗、ですか?」

「うん。僕はあれを見て、人の可能性を信じられるようになったよ」


 まず、自身の国以外に国がある事に驚きであるのだが、それ以上にリシティの言った、可能性の片鱗とは何なのかが解らなくて、僕はその驚きを覚えるのに遅れてしまう。

 思えば、この時に自覚したのかもしれない。舞い上がっていたから忘れていたけど、この人は外の世界を知っているのだ。この国の誰もが知らない事を、知っているはずなのだ。


「リシティさん。この国の外って、どうなっているんですか?」

「うーん……少なくとも、君達のような人が、この国のような国を作って籠っているよ」


 それは、僅かながらも経験に基づいた意見であった。自分達と同じようにして生きている人々がいる。それはとても素晴らしい話だ。二世紀越しの新情報に、一国民としては嬉しい話である。

 だがリシティの顔は少し影が差していた。


「だけど、中には死んでしまった国もある」

「死……それって」

「外的要因、内的要因で滅んだ国がある。嬉しいだけじゃないんだ」


 やはり――そういう国もあるのか、と他人事ながらそう思う。自分達の国は安定しているが、いつ滅んでもおかしくはない。中には、安定を求めすぎたせいで滅びに抵抗ができない国もあったのだろう。


「この手の話は別の場所でしよう」

「なら、お茶ができる場所に行こうか」


 頭の中に浮かんだ喫茶店を考えながら、僕は思う。

 僕が知るこの世界は奇蹟で成り立っているんじゃないかと。勿論、彼がほら吹きならそこで終わる話だが……少なくとも、この時には、僕は彼を信頼していた。あの時の――滅んだ国に対するリシティの顔が、あまりにも悔しそうで、忘れる事はできなかったからだ。

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