『白髪の旅人』

 国立の図書館、その大量の本に囲まれて僕は、しばしこの世界に想いを馳せる。

 世界が管理者アドミニスターと呼ばれる存在に支配されて、二世紀が経つとされる。人は壁に包まれた、国と呼ばれるコミュニティに属している。この地域は、管理者の眷属とされる髑髏型のMエムHエチMエム――管理するマネージメント人を模したヒューマノイド機械マシン――が侵入してこない安全地帯なのだ。

 そこで人々は何代も積み重ねて国を作り上げてきた。概ね、これが僕の知る人の現在の在り方だ。他の国があるかは解らない。少なくとも二世紀前には、他にも国と呼ばれるコミュニティがあり、そこに人が住んでいたらしい。今の自分達があまりにも恵まれた存在なのか、それとも普遍的で壁に閉じこもった蛙なのかは解らない。僕達、国民は外を知らないからだ。


「……確か、ここに……あった」


 読み終えた資料を直して、次に求める資料に目を通す。色彩豊かな絵が乗っており。かつてのとある画家の作品集だ。

 平穏が続く国の外は、かつての光景と違っていた。過去の絵画は緑や青といった鮮やかな世界が広がっていたと伝えてくるが、僕らの瞳には灰色しか見た事が無い。勿論、黒や白といった小さな陰の違いはあるが、それでもその世界はあまりにも味気ない。

 加えてそこには、童話に出てくるような骸骨の騎士のようなMHMが徘徊しているのだから恐ろしい。時折目に見える、その人の頭がい骨を模した空洞の中の紫色の光は、まるで外へと出た人間がいないかを探す鷹の目だ。鷹と言う動物は、残念ながら僕はこの目で見た事はないが。


「静寂はいい……頭に文字が入り込む」


 ひとりごちにそう呟く。周りに人はいない。国立の図書館は素晴らしい建造物であるが、僕のような好奇心の塊は稀らしい。もしくは、僕のようにかつて・・・に想いを馳せるのが珍しいのかもしれない。

 僕達の世界はここだけだ。そう結論付けて、僕達だけの世界に想いを馳せないといけない。親達や、国民達の意志に反する思春期は終わりを告げて、彼らと同じように自分達の安寧だけを追い求めるようになる――それが当然であり、自身の反抗は未来を形作らない。

 選択の時であった。自分に外へ出る勇気はない。想いを馳せて、妄想するしかない。たまにしている、かつての作家たちを真似て作った物語製作も、所詮はそれを現実に起こして満足しているに過ぎない。


「はぁ……幼年期は終わって、過ぎ去りし日々の光に想いを馳せる、か」


 両親は優しい人達だ。同い年の皆が好奇心を殺して、国の今後の繁栄という現実を見定める中、未だ燻る自分を笑顔で送り出してくれるのだ。たまに父が仕事の疲れに現実をぼやくが、それでも強要してくるわけじゃない。

 だけど、現在いまを見なくてはいけない。今年で十六となる僕は、父のMHM整備技師を受け継ぐ必要がある。早急にはないが、それでも父と同等か、それ以上の技術を持たないといけない。

 タイムリミット。その言葉が頭に過ぎり、小さな溜め息が図書館に響く中――


「――なんだ?」


 その疎らに聞こえる――大量の本に囲まれたこの巨大な空間でさえ――たくさんの人々の動揺の声に、僕は見ていた資料を元の場所に直して、図書館の外に通じる窓から声の発信源を見る。

 丸まった国の壁。その巨大な建造物には、門と呼ばれる外界との繋がりがあり、いつもは厳重に封鎖されている。だが、今日はなぜか開いており、数機のMHM――我が国の兵器、緋蝗ヒコウ――が剣を開けた門に向けていた。

 そして、開けた門から何かが現れる。


「あれは――」


 緑……いや、碧色というべき独特な装甲を持つ、まるで絵本に出てくる狼男のような姿をした――


「MHM――?」


 獣と人の姿を併せ持った機械だった。



――――――――Next――――――――



 図書館から出て、父が作ってくれた原動モーター機付ホイール二輪車マシンに跨り、国の舗装された道を走る。ざわざわと、いつもよりも増して耳障りな民衆の雑音が聞こえる。乗っているバイクの音すら掻き消してくれない。人の力、恐るべしだ。

 向かうのは勿論、門。あのMHMはとても珍しいタイプであった。図書館にはこの国が生産したMHMの記録があるが、その中には記録されていない形だ。増してや、狼の姿だ。虫の生態イメージを模して作りあげている我が国では、絶対にありえない姿だ。

 好奇心は猫を殺す、なんて物騒な言葉もあるけど、まぁそれはそれ。猫なんて動物、見た事がないのでいまいち実感もない。勿論、図鑑には目を通しているけど、やはりこの手で実感がないとね。


「あっ」


 そんな事を考えていると、父の後姿が見えた。やはりいたか、という少し残念な想いと、そちらの方が話が進みやすいと言う考えが頭に過ぎる。

 父はMHM技師でこそあるが、同時にMHMの扱いのプロフェッショナルだ。なのでこのような何かしらのアクシデントの時には呼ばれる事が多い。以前あった、国の外で骨人コツジンが倒れているのを発見した時も呼ばれていた。


「父さん」

「ん? あー、少し待ってくださいね」


 いつものガサツな返しではなく、礼儀正しい敬語を話す父の言葉は、自分ではなく話をしていた相手に向けられたものであった。ボサボサだけど気品があるようで、透き通るような白髪。その下にある血のような赤い瞳が、何かとても綺麗だった。女性……かもしれないが、見た事のない人であった。

 父が手招くので、原付から降りて、手で押しながら近づく。よく見れば、その白髪の人の腕には、藍色の帽子を深く被った緑髪の少女がしがみ付いていた。どこか、二人とも浮世絵離れをしていた。


「ライト。どうした? 本の虫のお前が、図書館から出てくるなんて」

「興味がある物が見えたからね。それで、そのお二人は?」

「あぁ……旅人、だそうだ」


 その言葉を父は言い辛そうに言った。当然だ。その言葉を一度も発した事はないだろう。もしかしたら、その意味も理解できているか怪しい。けど、僕は知っている。図書館にあった小説で読んだ事がある。

 旅人。旅をする人。旅は、自分の住んでいる場所から遠くへ行く行為を指す。だから、今のこの世界では絶対にありえない存在だ。それは即ち、あの危険な鋼の荒野を渡ってきた事なのだから。


「すまない。紹介させてくれ。息子のライトだ」

「ら、ライトです……よろしくお願いします」


 父が旅人を自称する二人に対して僕を紹介する。そんな事されれば、礼をするしかない。かけている黒縁のメガネが落ちかねないほど深くお辞儀をした僕に、旅人の一人が細やかに笑みを溢す。


「ライト君、ありがとう。顔を上げてくれ。僕達にそこまでする必要はない」

「えっ、あ、はい……」


 上ずった声を返しながら、僕は視線を上に上げる。男性の声だった。中性的でこそあるが、女性にしては耳に慣れた感覚であった。美しき白髪の持ち主は男性であったようだ。


「僕の名前はリシティ。リシティ・ア-ト。腕にしがみ付いているのは、エメという」

「リシティ……」

「聞いた事でも?」

「いえ。なんか変わった名前だなぁって」


 父が横でコラッと耳に痛い怒号を上げるが、リシティと名乗った男性――というよりは少年は、いいですよと父の怒りを諌める。知性的な人だ。

 一方で、エメと言われた少女はずっとリシティにしがみ付いていた。警戒されているのだろうか。そんな強面なわけでは無いはずなんだけど……。


「旅人って、あの旅人ですか?」

「……君の知る旅人かもしれないね」

「知っているのか?」

「うん。図書館で見た」


 父が目を丸くするが、僕は頭に穴が開いたような感じだ。好奇心は猫を殺すか、と言うけど、たぶん人も射殺すなのだろう。実感を持った答えを、僕は彼から得てしまったのだ。

 そうとなれば僕の頭は、その好奇心を更に深めようと画策する。


「リシティさん。今晩の宿は?」

「……残念ながら、まだ門だからね。旅人、という文化がほとんどないのだから、最悪は碧狼ヘキロウの中で就寝かな」


 そう言いながら、彼らの後ろにいた緑色の鉄の壁に目をやる。いや、碧色だ。それにそれは鉄の壁と言うよりは、機械の脚と言った方がいい。僕が見た、狼男の姿をした、MHM――名は、碧狼。


「リシティさん。是非とも、僕達の家でお休みになってください!」

「えぇ!? いや、待て。母さんに連絡が――」

「大丈夫だって! ねぇ、リシティさん。いいですよね?」


 必死に誘う僕に、父はどうしたのだ、という目で見てくる。そんな事、一つしかない。

 僕はこの人に、興味が湧いたんだ。だからこそ、最も話し合える環境が欲しくなって、自分の家を宿として提供する方法を思いついたに過ぎない。

 リシティは、しばしの沈黙の後、よろしくお願いします、とお辞儀を返してきた。交渉成立。言うまでもなく、僕の心と頭は飛び跳ねていた。好奇心を勝ち取った僕は、猫をも殺すかもしれない状況を嬉々として待ち望んでいたのだから。

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