恋愛―Person―

 大きな揺れを感じた。ソファに座り、映画の解るツクヨミと談笑をしていたリュークは、咄嗟にその揺れの源へ――施設の出口を出る。

 灰色のカバーで隠された朱鳳シュホウが生気のない瞳で、その異常なる震源の正体を見つめていた。そしてそれは、リュークにも、後を追ってきたツクヨミの瞳にも映りこむ。


「なんだよ……あれは」

「……機人獣きじんじゅう


 ツクヨミはそれを、ある旅人が持つ言葉を呟いた。その対象は、赤き鳥人ではなく、ゆっくりと立ち上がる灰色の巨人である。荒野に溶け込むような灰色の鋼の巨人。その下腹部は空洞になっており、その骸にはぼぉっと浮かび上がる紫色の魂の目。決してそれは人の姿とは言えず、腕は四つもあり、脚も四つある。顔も首から生えるようにもう一つあり、それが如何に異形か解るだろう。

 かつて骨人コツジンと呼ばれていたそれは、人の力を借りずに融合を果たしていた。生きているかも曖昧な骸骨の騎士は、確かに生きていたのだ。


「あいつ、俺達がぶっ潰した奴なのか?」

「可能性としては……そうあってもおかしくはない」


 見せつけるようにある空洞の腹は、確かにリュークが貫いたそれであった。あり得る可能性。操縦席を壊されたMエムHエチMエムが自己の意志を会得して、足りないパーツをもう一機の同型機で補って再生したという事だ。

 ありえない、とリュークは悪態を吐きたかったが、下手に機人獣という物を見てきた彼はそれができない。自分の常識を遥かに超える存在。自分はその力を使ってここまで来たという事実が、彼に冷静な思考をもたらす。

 しかし、場所が悪すぎる。施設の目の前まで来ている状況。リュークは歯を食いしばるしかない。


「朱鳳で迎撃はできるのか?」

「……いや。俺一人じゃ動かせないんだ。あれは……イビルがいるから生きる」

「そうか……」


 イビルの手を汚さないために引き金を握った青年からすれば、彼女がいない朱鳳は寝泊りに最適な場所としか言えない。あれを動かすにはイビルが来ないといけないのだが、先程の振動を感じても出てこない相棒に、リュークは不安を感じる。

 状況は最悪だった。自分の無力さに悪態を吐く青年に、淡い緑色の瞳を持つ少年は口を開ける。


「私達はあれに追われてきた――いや、私達があれから逃げた」

「なに?」

「あれはね、私達のMHMだ。骨人。忌々しき管理者アドミニスターの眷属。私達を縛り付ける檻。達の器だ」


 彼の自分を指し示す言葉が変わったのをリュークは聞き逃さなかった。これまで決まりきった自称が、今この瞬間には確かな自我を表明したのを。


「あれは僕を追うだろう。僕が囮になる間に、朱鳳を動かせるようにしてほしい」

「お前……」

「僕はね、彼女が好きだ。自分と同個体とも言える彼女だけど、彼女が好きだ。たぶんこれが、人間で言う恋なんだろうね。そうだと思うから――僕は行くんだ」


 リュークは目の前の少年の語る言葉の意味を全て理解できるわけじゃない。だが、彼がミレイナを好きであるのは解るし、そのために自分を囮にしようとしているのが解る。

 もし自分とイビルが似た状況になれば、自分だってそうする。だからこそ、彼は無謀なその行動を止める事はできない。だから、最後になるかもしれないからこそ、


「逃げてくれよ。絶対に助ける」

「……あぁ」


 彼の安否を願い宣言する。ツクヨミは年相応の親愛を込めた笑みを浮かべて、そしてかつての乗機を見つめた。リュークも彼から視線を外し、施設の方へ目を向ける。

 二人が動き出したのは同時であった。背中合わせに動き出した、恋をする二人の男は己のするべき事のために真逆の道を行く。一人は己が身を曝す事により、大事な少女を守るために。一人は己の無力さを噛み締めて、大事な少女と共に戦うために。



――――――――Next――――――――



「ん……んん……」

「イビルさん……イビルさん!」


 自分よりも年上な少女の声が、暗闇に堕ちたイビルの意識を呼び戻す。数十秒彷徨う意識は呼びかけてくれた赤い瞳を捉えて、彼女の名前を呼ぶに至る。


「ミレイナ……さん? えーと、私……」

「地震があって、どうやらガラクタに飲み込まれてしまったようですね……あぁ、冷蔵庫に足がとられているようですし」


 イビルの足元にかかる重圧は、例の巨大な四角い箱によるものであった。イビルはどうにかそこから抜け出そうと動くが、うんともすんとも言わない。幸い、脚がそこまで痛いわけではないので怪我はしていないようだが、これでは動く事が叶わない。


「どうしよう……きゃッ!?」


 再び揺れる大地にイビルは頭を抱え込むしかない。大地に伏せているからいつも以上に感じるそれは、イビルにどうしようもない焦燥感を与える。

 これ以上抜け出せないならば、またガラクタの山が崩れてしまい、今度こそ屑鉄の波に飲まれてしまうかもしれない。そう想像すると、イビルは唇を震わせてしまう。


「…………」


 それを、白髪の下で彼女は見つめていた。赤い目は怪しく光り、抜け出そうともがくイビルを見下している。その視線に気づいたイビルは、影に包まれたミレイナの顔を見て何かに気づく。


「ミレイナさん……あなたは」

「……イビルさん。私は、今から私の中にあるに従います」


 彼女の瞳はどこか、何かが違っていた。人間にある瞳とは違い、それは人工的な何かに見えたのだ。

 その証拠に、彼女の瞳は暗闇だと言うのに赤く光っている。そう、光っているのだ。


「そのあなたは、どのあなた?」

「勿論――彼を愛している私です」


 イビルは彼女の存在を理解する。それは彼女の記憶にはない知識によるものだ。朱鳳の場所、扱い方を知っている事と同じ。自分のどこかに刻み込まれている古い知識。

 ミレイナは彼女の冷静な問いかけに微笑んで見せた。手首がグルグルと回る。小さなモーター音が静寂の中で確かに聞こえる。瞳の中にある照準サイトがくるりと回転した。

 イビルに圧し掛かる冷蔵庫が、彼女の両腕によっていとも容易く持ちあがる。彼女の細い身体ではありえない状況だが、イビルは明確な答えを持っていた。


「アンドロイド……」


 重量級のガラクタの呪縛から抜け出せたイビルは、いそいそとガラクタから抜け出しながらも呟く。

 人間を模した姿を持つ機械。傍目では人間にしか見えない姿を持つそれは、人間以上の怪力や視力を有するし、何よりも生きる場所を選ばない。

 発電機があればそれだけでいいのだ。もしかしたら、発電機も必要がないのかもしれない。だから、彼らは便利な技術の結晶であるこの実験施設の産物に手を出さなかった。出す必要はなかった。


「やはり……知っていたんですね」

「ごめんなさい……よく解らないけど、たぶん、そうなんだろうって」


 冷蔵庫を置いたミレイナは、イビルがその存在を知っている事に驚きを覚えつつも、同時に悲しみを抱いていた。彼女がその機械としての自分を見せるとは、そういう行為だ。

 イビルはそんな彼女の悲しむ顔が、どこかかつての自分を想起させる。自身の背中に生えた翼に、細くて硬い脚……それは絶対に人間ではない証拠。リュークと言う頼れる人がいたから、彼女は悲しまずにいられた。だけどふと思うのだ。彼がいなかったら、私は本当に今でも生きていられたのだろうかって。

 彼女は、イビルと同じだった。そこに頭に浮かぶ知識は必要ない。彼女は必死に人間らしくいようとする、夢見る機械なのだ。ならば、そうであるならば――


「ミレイナさん。大丈夫。あなたは人でいられている」


 イビルの言葉に、揺れ動く事しかしない赤い瞳が見開かれる。涙すら出ない彼女を、イビルは人だと言う。彼女はその前例を知っている。記憶に新しい、あの人もまたそうだった。


「あなたは、ツクヨミさんの事を愛している。人でいるために私を助ける事を悩んだ。それでも助けたいと思って行動した。そして――あなたは、悲しんでいる」

「でも、それは――」

「大丈夫。世界はあなたを祝福するよ」


 自然に漏れ出した言葉はイビルの言葉ではないような気がした。でも、それが彼女の本心でもあった。

 世界の全てを知っているわけではない。彼女は新参者の旅人で、世界を語るには未熟な存在だ。でも、機械が人間のようになろうとする事は間違いではないと思うのだ。そうでないと、自分を否定する事になる。

 かつての生物を模した機人獣――マシン・ヒューマン・モンスター――は、今や人の姿をも模倣しようとしている。それは確かな進化であり、当然の成長だ。

 ならば、同じアンドロイドもまた何かに憧れて変化してもいいと思う。それが、イビルが導き出した祝福だ。


「イビルッ!!」


 彼の声が聞こえた。自分が愛する人が自分の名前を呼ぶ。それがどんなに素晴らしい事か、イビルは自身を振り返りそう想う。

 たとえこの身が人ではなくても、たとえ自分が如何に矛盾した存在であっても――リュークがイビルと呼びかける限り、彼女はリュークのイビルなのだから。


「リューク!」


 彼女は答える。自身もまた人間である事を証明するために。

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