朱鳳―Ryuk―

 決して俺の国が裕福であっただなんて思うつもりはない。

 だが数日前に、ある生意気な年下の先輩に告げられた他の国の内情を聞くと、どうしてもまだマシだったんだと思ってしまうのだ。

 少なくとも、貧富の層があった。俺、クレジット家はそのうちでは裕福な方であった。とはいえ、最高に裕福であったかと言えばそうではない。中より上、というべきであったか。

 おかげで、貧富の差で誰かに恨まれる事はなかった。それが普通と感じていたが、あの白髪の奴が注意深く俺に旅のイロハを教え込んでくれたおかげで、それが普通じゃないという事を意識せざる負えなくなった。


「リューク。お前はとても幸福な世界で生きてきた。だからこそ、これから進む旅路は最悪と思っていい。人のどす黒い部分も見るだろうし、理不尽が襲うだろう」


 そいつは、俺の人生の在り方を聞いて冷静に、躊躇もなく旅をする事の危険性を語る。

 彼自身も決して長年のベテランというわけではないらしいが、その言葉遣いは十数年は旅をしてきたかのような厳かな雰囲気を纏っていた。それが同時に、俺のこれからを必死に考えていてくれる証拠でもあった。


「けど、同時に最悪の中には僅かな光もあるはずだ。これから進む道に、決して絶望してはいけない。どんなに世界が終ろうとも、この世界には確かに希望があるんだから」


 リシティと自称した奴は、そう言い残してこの国を去った。最後の一言は、これから旅をする新人旅人への祝福の言葉と捉えるべきだろう。最初こそはすごく嫌がっていたが、最後には生意気だが真面目に俺を案じてくれたので、俺はあいつの事が嫌いじゃない。

 話を戻す。言ってしまえば、彼が辿ってきた国々からすれば、この国は俺と同じぐらいの立場だったらしい。一つ前の国があまりにも裕福だったらしく、話を聞く限り、俺の国の数倍の人口がいるっぽかった。

 俺の国は食文化こそ恵まれて、食糧調達に困る事はなかった。問題は国の大きさが狭い事と、やはり国の管理が疎かになっていた事だろう。資源採掘が難しく、老朽化していく壁を放置せざる負えないほど、酷いありさまだった。

 娯楽も数少ないもので、一番人気であったのは旧時代の生き様が映されている映画と呼ばれる物であった。とはいえ、これも現存している物が少ないため、保持者が有料でそれをある組織に提供していたらしい。それらは俺達の灰色の心に小さな色を見せてくれた。

 そのうち、クレジット家はある作品を一つ有していた。タイトルは擦り切れてしまい、尚且つ言語体系が違うために読めなかったが、復讐劇物だ。娯楽というにはあまりのも刺激的な作品だから、その映画館という組織に寄贈する事ができなかったらしい。


 ――それが俺の人生の在り方を変えた。


 俺は映画館に頼らず、ずっとその作品を見ていたものだ。

 勿論、見比べもするためたまに映画館へ赴いたが、決定的に違うのは色だった。自分が有する映画は色はない。白と黒で描かれた、二色の世界。

 それが何か特別に思えて、俺は成人とされる歳まで見耽っていたのだ。そのフィルムも、朱鳳シュホウの業火に焼かれたと思うと、少し勿体ない気がする。

 復讐劇の内容はここでは語らない。あれから数日経った今、思い返すと俺があの国でした事と同じ事だったから。フィルムに縛られていたらしい。そう思うと、付き合ってくれたイビルには感謝したい。


「どうしたの、リューク?」

「あぁ、いや。何でもないさ」


 イビル。俺が恐らく、初めて意識した異性。これまで同じように見えてきた国の人々とは一味も二味も違う、無味の自分とは比べ物にならないほど綺麗な赤毛の少女。

 そして、誰もが有さない翼と脚を持つ変わった女。次第に慣れていったとはいえ、最初は化け物を見る目で見てしまったのは誤魔化せない事実だ。


「あなたは、だれ?」


 十代前半。復讐劇を見耽っていた俺は、休憩がてら外に出るとそう呼びかけられたのだ。

 木の上で少女が俺を見つめて不思議そうな表情を浮かべていた。俺は彼女の特異性に唖然として答えられなかったが、たぶん、そこには一目惚れも入っていたと思う。

 彼女はイビルと名乗った。後に、この国の管理している人の養子である事が判明するのだが、厳密には外で倒れていた女の子を匿っただけらしい。だから、国の皆は権利者に媚を売るために、一目では別種の存在に見える彼女を受け入れた。

 イビルは聡明であった。人と世界の見る目が違った。自分が灰色なら、彼女はかつて世界を照らしていたとされる太陽の赤だろう。そんな彼女がたまに頬を赤らめる様を見ると、自分もその色に染まれる気がしてならなかった。


「私ね、秘密があるの」


 俺が二十代、成人になり、彼女が十代中盤になる頃。長い付き合いになっていたイビルが、珍しく沈んだ表情を浮かべて俺にそう言ってきたのだ。その憂鬱な表情もいいな――なんて馬鹿げた考えは置いておいて、彼女は自分が外からやって来たと語った。

 外にある、ある施設で自分は目覚めて、何も解らないまま近くにある国へ歩いたらしい。それを養父が助けてくれ、自分はここにいると感慨深く語った。


 ――どうして俺なんかに言ってくれたか、それは今でも聞いていない。


 聞く勇気も、聞く必要もないと思っている。彼女が自分を頼ってくれた、そう思うだけで当時の自分は舞い上がっていたのだから。

 成人し、スーツを身に纏い国のために仕事をし始めていた俺は、彼女のために休みをとり――幸い、生真面目な性分だったもので許可はすぐに出た――危険な外へ出る事にしたのだ。家族や、皆から反対されたが、子供の頃のイビルが歩けるぐらいなら大人の自分がいれば大丈夫、と根拠のない説得で突き進んだ。

 結果的に、この行動が自分の生存に繋がったと思うと皮肉だ。まるで自分だけ生き残るために外へ逃げたように見える。


 ――その日、あれは来た。


 リシティが茶蛇サジャと呼んでいたそれが、老朽化した国の壁を破壊して入り込んだのだ。その衝撃は外のある施設に入り込んだ俺達にも響き、探索を一度取り止めて、国を確認したほどだ。

 蹂躙した様はこの目で見ていない。だが、人の十倍はあるそれが国の中に入り込んだのだ……生き残った人間は、いたとしても僅か。結果的に皆死に、残っていたとしても気まぐれに喰われなかった屍しかいなかった。

 俺の頭に復讐劇が過ぎる。なまじ何度も見続けた作品だから、そのストーリーラインはびっしりと俺に影響を与えていた。怒りで右腕を震わせる俺に対し、イビルは小さく呟く。


「リューク。私と一緒に、あれを殺さない?」


 いつもとは違い、どこか冷酷な彼女の発言。だが、怒りに満ち溢れていた俺はそんな疑問も抱かずに彼女に手段を問い質した。

 彼女はある手段を提示した。赤い姿をした、たぶん何かの生物を模した機械がそこにあった。二つの翼、硬く特徴的な脚が、どこかイビルに似ていた。


「CP-74 朱鳳。ただいま。あなたに命を吹き込む人を連れてきたよ」

「どういう事だ?」

「この子はね、生きているの」


 彼女の言葉に朱鳳の頭に相当する部分の瞳が光った。確かにそれは生きていた。機械は誰かが乗り込まないと使えない。だというのに、誰かが乗っているわけではない。彼女がそう言ったのだから、そうなのだろう。

 俺はイビルの言葉に従い操縦席に乗り込んで、彼女が別の場所に乗り込んだことを知ると少し残念な気持ちになる。自分がどうしようもなく男なんだな、と思ってしまうがそれは置いておこう。

 彼女はそれの事を鳥と呼ばれる生物を模した機械、と語り、同時に復讐を行うための手段として語る。使い方も、彼女は逐一俺に説明してくれた。


「お前……なんで」

「朱鳳はね……私の姉妹みたいなものなの。だから、道具としては見ないであげて……」

「…………」


 イビルに恐怖を感じていないわけではなかった。だが、彼女に恋をしてしまった以上、俺は彼女の語る言葉を鵜呑みにする。それがたとえ、どんなに酷い在り方であろうとも、どんなに歪んでいたとしても――俺は彼女を愛する事に決めたのだ。


「行くぞ。イビル、朱鳳――復讐をするぞ」

「――うんッ!」


 だから、彼女がこの鳥の機械を姉妹のように扱えというのであれば、俺はそうする。イビルは聡明で、確かにどこか変わっているけど――俺はそんな彼女と共に生きている事に高揚感を感じていたのだ。

 彼女の歓喜を含めた声が聞こえて、俺の口角は醜く歪んだ。自分が色欲に冒されている事も重々承知だ。我ながら一途に過ぎる。だが――心はどこか澄んでいた気がした。

 それが好きな子と一緒に何かをする事への興奮か、復讐をするという行為への正当性を保つためか、それともあの国から解き放たれたからか――どちらにせよ、俺は彼女が伝えてくれた目覚めの言葉を口から放つ。


「さぁ、目覚めろ、朱鳳。俺はお前を認知し、理解し、共に生きる道を探す」


 真っ暗であった眼前のモニターが歓喜を示すように点滅を繰り返す。生きている、という実感を得る反応。復讐心が前に出ているはずなのに、俺は密かに何か未知なる物に手を出した事に冒険心が刺激されていたのかもしれない。

 明るく、さっきまで見ていた施設の光景が映し出される。かつて映画館で見た、ロボットと呼ばれる機会に乗り込んでいるようだ。いや、たぶんそうなのだろう。

 モニターに映ったMエムHエチMエム――マシンヒューマンモンスターという文字は、どことなくかつて見たロボット作品のように感じられたのだから。


「飛翔しろ――朱鳳ッ!!」


 復讐の怒りを内在した鳥は曇天の空を貫く。これこそが、俺とイビルと朱鳳の出会いだったのだ。



―――――――Sequel―――――――



「というわけだ。大体解ってくれたか?」

「えぇ。素晴らしい話ですよ。創作意欲が増す増す!」


 ある旅先で知り合った友となった男に、事の経緯を放すとその丸眼鏡をギラリギラリと光らせてテンションを上げていた。眩しい。そこからビームが出てきそうな眼光だ。

 映画という文化にも精通しているそいつは、俺達とは違う方法で旅をしている男だった。歳は俺より下。だけど、その気弱な外見とは裏腹にやる時はやる奴で、助けられたのは一度や二度ではない。


「その国、一度行ってみたいですねぇ」

「おいおい。もうあそこは無いようなもんだぞ」

「いえいえ。だからこそですよ。人という文化はそうは消えません。僕は、たとえ失われても、そこに何かがある事を信じているんですよ」


 たまに、こいつの言い分が解らない時がある。こればかりは価値観の相違、環境の違いだろう。悪い奴じゃないのだから止めやしない。むしろ、こいつであればあの国へ行っても大丈夫だろう。

 執筆家ライターと名乗った自動二輪乗りライダーとは、この国でお別れだ。


「ではリュークさん。また、いつの日か」

「あぁ。俺も頑張ってみるよ。じゃあ、いつか」


 彼は小さくニッと笑った後、ヘルメットを被ってMモーターHホイールMマシンに乗って行ってしまった。俺の旅路は終わっている。これからは、俺のような争いではなく、彼のような何かを生み出す者が旅をする番だ。

 長くなってしまった。帰ろう。帰るべき場所があるのだから。

 伸びてしまった無精髭を気にしながら、俺は彼女の元へ帰る。

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