祝福―Ray―

 その鬼は、岩の巨人を元にして産まれた怪物であった。


「グッ……」


 巨大な岩の腕は、元となったMHM――マニピュレイトヒューマンマシン――の物を遥かに超え、それは人外の域に達していた。かつてのその腕が岩を掴めるならば、鬼の腕は岩を粉々に砕き潰せるだろう。


 駄々をこねた赤ん坊の様に、鬼岩オーガンはレイグの乗る黄岩オウガンに拳を振り下ろす。両腕でコックピットを守るように攻撃を受け止めるレイグであるが、威力が段違いであるために次第に押されていく。


『隊長!』

「私に構うな! 国民の避難を優先させろッ!」


 レイグという男は、長く生き過ぎたからこそ、自分が犠牲にならねばならないと自覚している。自分と同年代の友人は死んだ。同僚は死に、自分より若い妻も先に亡くなり、子にも恵まれなかった。


 だからこそ、この部下を飲み込んだ怪物をどうにかしないといけない。しかし、人が作り上げた機械は鬼に敵わないのか。攻撃を受け止めるしかできない。


「イムカ……ッ!」


 優秀な部下とは言えなかった。銃撃センスは高いが、相手の話を聞かない悪い癖があり、マイペースな部分も多々ある。だが、彼女の向上心は本物であり、レイグを慕う心も嘘ではなかった。


 彼女を自分の娘の様に感じていたのは、レイグの勝手な妄想であろう。しかし、若人にこれからを期待している彼にとっては必然的な想像だ。だからこそ、救いたい。救いたい……のに――


「クソッ! おいぼれがァッ!!」


 思わず出た悪態に、レイグは自分の老いを感じボヤいてしまう。大きく振りかぶった一撃、それを諸に受け止めたレイグのMエムHエチMエムが背面に叩きつけられてしまったのだ。舞い散る粉塵。粉々になる木片。曇天の中聳え立つ、鬼。


 レイグは黄岩を必死に操縦するが、うんともすんとも言わない。自分と同じで、いや皆と同じで自分より先に相棒が死んでしまったのかと思ってしまう。レイグは苦虫を噛み潰すような形相で、鬼を見つめる。


 鬼岩は、今まさに倒れ仰ぐレイグに向かって拳が振り下ろされて――


「ゥグゴォォォォォォォォンッ!?」

「な、なに――!?」


 その拳諸共、ある勢いに押されて吹き飛ばされていくのをレイグは見た。認識が遅れ、レイグは見知ったそれの正体を見出すのに遅れる。


 碧色の獣であった。狼と呼ばれる生物の顔を象った頭が威圧感を与え、その獰猛な鋭利な手は全てを破壊せんとする災厄のようにも感じる。


「格納庫から……跳躍したのか……」


 鉱山から最も遠い格納庫から跳躍し、鬼岩を蹴り飛ばした碧狼は全身から噴き出る白煙を排出しながら、その獣の顔を曇天に突きあげる。


「ウォォォォォォォォォォォォンッ!!」


 白き水蒸気の中、獣が赤い瞳を光らせながら唸っていた。煙のせいでその姿は黒の影に映り、まるで自分達を護るのではなく獲物を喰らうためにやって来たと錯覚してしまう。


 一方で、下腹部のコックピットの中でリシティは虚ろな目を向けながら口を開く。


「思っていたよりも軽い?」

「岩だから。鉛より軽いわ」


 エメの冷静な一言になるほど、とリシティは納得する。碧狼の馬力の高さを知っているからこそ納得できることだが、通常のMHMではありえない光景である。


 煙が晴れて姿を現した碧狼を、吹き飛ばされた鬼岩は身体を戦慄わせてその胸部の口を開き叫ぶ。


「ガガガガガガガガァッ!」

「グルルルルルルルッ!!」


 鬼の咆哮に合わせて、狼男もまた吠える。


 化け物同士がお互いの怒りに呼応している。片や玩具の邪魔をされた赤ん坊の如く。片や操縦主マスターの意志を背く鬼を止めるために。


 国の内で育ったレイグにとって、その野蛮で獰猛な二匹の獣の対峙は、生まれて初めて見る。レイグはコックピットから這い出て、叫びあう二機の獣を見つめるしかない。その光景をリシティは確認して、安堵と共に指示を送る。


「レイグさん! 門を開かせてください」

『門だと?』

「ここでの戦闘は人々に被害が出ます。外でなら、どうにか」


 リシティの意志を汲みとったレイグが動かなくなった黄岩から飛び降りて、避難誘導をしている作業員の元へ向かった。約束したのだから、リシティは小さく口を歪めて笑みを作る。


 瞬間、戦闘が始まった。


「敵は鈍足!」

「こちらは俊足!」


 動きを始めた鬼岩であるが、元が黄岩である事もあってかその移動速度は決して早くはない。重量感を感じさせる粉塵撒き散らす進撃に対し、碧狼は前屈みの体勢を維持しながら回りこもうと動く。


 同じく鈍重である黄岩ならともかく、脚力に自信がある碧狼に追いつこうとしても鬼岩が振り向いた先には碧狼はいない。


「光の爪でッ!」


 その隙を縫って、碧狼は両腕に装着されているトンファーから光の爪を形成し攻撃を加える――が、大したダメージは入らない。右腕部を爪で切り裂いたはずなのに、そこに走るのは一閃の傷跡だけだ。


「岩だから、熱が通しにくいの!?」

「いえ。たぶん、あれは複合装甲」

「……岩と金属の性質を有しているわけか」


 金属を簡単に裂く光の爪は、多量の熱量を有する。元来であれば岩など簡単に破壊できるが、ナノサイズでの融合を果たした金属と岩の複合体は、熱を分散しているのだ。


 勿論、それだけではない。機人獣となった鬼岩は生きているのだ。同じ力の持ち主に対しても抵抗がある。攻めるにもあまり激しい動きはできない。


 何より、中にいるイムカを救わなければならないのだから。リシティは鬼岩の周囲をぐるぐると回り、時折振り回される攻撃を避けながら必死にその時を待つ。


 そして、その赤い瞳に天に上った赤い光が映る――


「リシティ!」

「オーケー!」


 エメの指示を借り、碧狼はその両腕から光の爪を展開しながらも鬼岩の懐へ突っ込む。これまで逃げ回っていた敵が遂に自分の間合いに入って来たと確信した鬼は、単純にして明快な一撃を喰らわせるために右手を振り絞る。


 地上を走り、攻撃の間合いに入り込んだ碧狼に、鬼岩は嬉々として一撃を繰り出そうとするだろう。それこそが道理。知識を有さず、本能に従う鬼は自分の得意とする状況に喰い付く。


 それこそが、操縦主あたまがいるのといないの違いだ。


「――スタートッ!!」


 リシティの声に合わせて、碧狼の背部に位置する噴出口スラスターが同時に点火した。両腰も、両腕のスラスターも、両肩も、全て――ただでさえある碧狼の脚力も合わさって、その速度はゆうに鬼岩の思考を超えた。


 懐に突きつけられる六つの光の爪。その痛みに悶えたのか――それとも大事な母を守るためなのか、身体を捻じらせようとするがもう遅い。その一撃が始まった瞬間、鬼岩は浮いた。


 黄色の鬼と、碧色の狼が宙を舞い風を貫く。放たれた信号弾が大地に落ちる前に、開かれた門すら突き進み外界へとその怪物達は戦場を変える。


「タァァァッ!!」


 突き刺した光の爪を無理矢理に酷使し、碧狼本体の手も使って鬼岩の胸部の装甲を剥ぎ取る。爪が食い込んでいたおかげで装甲を溶かしきれたのか、胸部はすぐさま吹き飛んでいき、そこにいるイムカを見つけ出す。


 加速の中、エメに操縦を託したリシティは、下腹部のコックピットから身を乗り出して、彼女へと手を伸ばす。


「イムカさん!」

「…………」


 反応はない。強制的に神経を接続されているのか、意識は当に飲み込まれてしまっている。


 加速が終わる。国に影響がない辺りまで突き進んだ碧狼は、スラスターの火の代わりに白煙をまき散らしながら鬼岩を必死に抑え込む。


 その瞬間こそが白髪の少年にとっての、最後のチャンスであった。リシティは意を決したようにコックピットから飛び出して、身体を揺さぶる鬼岩の装甲を登っていく。エメほどではなくとも、彼とて旅をする者。その動きは素早く繊細だ。


「神経接続……されてないか」


 むしろ好都合であった。胸部に乗り込んだリシティは、彼女を座席から引きはがし、彼女をお姫様抱っこをしながら碧狼の元へ飛び込む。碧狼の視線が、どこか嫉妬に揺れた緑の目をしていたが、そのコックピットに無事戻ると、急激に後方へ跳躍する。


「エメ、早いって!」

「……ぶー」


 勢いでコックピットから弾き出される恐怖に包まれる中、どうにか着地をして頭を打つ程度に済んだリシティは、痛い頭を押さえずにコックピットの扉を閉めた。


 胸元で深く眠っていたイムカの瞳が揺れるのを感じたリシティは、いつもの神経接続をせずに彼女の覚醒を待つ。鬼岩は離れていった碧狼を忌々しく見つめてゆっくりと立ち上がった。


「わ……たし、は?」

「イムカさん。よかった……」

「あの子、強く、なりたいって……」


 イムカの揺れていた瞳に水滴が集まる。その意味を悟ったリシティは、漏れていく彼女の言葉を遮る勇気はなかった。


「自分が……弱いから、もっと、もっともっと……強くなるために、あの子は……一生懸命、強くなろうとして……私、私は……」

「もういいです。ゆっくりと、今は眠って」


 でも、その瞳の水滴が溢れそうになり、リシティは彼女にそう呟いた。初めての、無理矢理な機人獣の操縦に意志がもう限界だったのだろう。彼女は涙を落としながら瞳を閉じた。


 鬼岩は母を求めるかの如く、両手を伸ばしながらゆっくりと歩いてくる。それがどこか、立って歩く事を覚えた赤ん坊のよちよち歩きに見えて、リシティの罪悪感は増す一方だ。


「でも――」

「やらなきゃ」


 リシティが漏らした決意にエメが応えた。再び神経を接続させ碧狼と同化する。緑の瞳は赤に戻りリシティの視線を碧狼と一緒になった。


 ここから先は後始末だ。暴走をする赤ん坊を諌めるために、碧狼はその頭部から生える緑色の毛を逆立てる。するとそこから錨のついた鎖が現れ、大地に突き刺した。まるで、身体を大地に縛り付けるように。今から行う己が罪を、先に贖罪するように。


 レバーを握ったリシティは、その虚ろな赤い目を彼に向ける。


「生存闘争の果て」

「人は果て」

「機は栄えた」

「そして獣は生まれ」

「今ここに、集いの光が生まれる」


 エメが最初に言葉を放ち、そしてエメが最後に言い遂げる。


 碧狼の後ろ髪が緑から白に変色し、バチバチと電気が溢れだす。そして頭部にある口が、大きく開かれた。そこにあるのは、歯でも舌でもなく――大きな空洞であった。その空洞には白い光が集まり、そしてそれが巨大な光と電流の収束体を造りだす。


最終指令機構ラストトリガーをあなたに」

「引き金を引こう――一秒先の未来に祝福をッ!!」


 彼らの言葉が終わった瞬間に、リシティは無意識に近い反射でレバーの引き金を引いていた。電流迸る碧色の狼は、その色を光の白に染めながらも、口に生まれたエネルギーを放出し、巨大な光線を作り上げる。


 瞬間、世界は一瞬だけ真白に染まり――生誕した機人獣を包み込んだ。


「おやすみ。大丈夫、世界は君を祝福するよ」


 その声は誰のものであろうか。もはや、リシティとエメと碧狼は、解らなかった。

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