産声―ogre―
気を許したのか、前髪を人差し指でくるくると巻きながら、イムカはリシティ達に国の案内をしてくれるようになった。エメは相変わらず帽子を深く被り、イムカへの警戒心を解かないが、リシティはイムカと談笑をしつつ彼女のオススメのスポットを数日をかけて歩いて回る。
勿論、イムカが自分達の監視だとはリシティ達は気づいていたが、やましい事などするつもりもなく、気軽に案内人と客人として接していた。
国とはいえ、その規模はかつての都会より少し広いぐらいだ。国全てを回るには一日以上はかかる。けれども、逆に言えば三日もいらないのだ。
これが人間の世界。壁に囲まれた箱庭で人は一生を過ごし、外を知らずに死んでいくのだ。
「――そして、ここが私達の一番重要な場所! 資源鉱山」
「へぇ……ここまで大きな鉱山、初めてです」
「おーきー」
三日をかけて回り続けた国探索の最後は、彼らが誇りにしている資源の鉱山であった。壁を超えるほどの高さを持つ大山。人類の最上の宝と言っても過言ではない。
複数の同型
「好きなの?」
「えぇ。自然豊かな場所が好きで、ここは人の手も加えられていますから」
国の外は瓦礫の荒野であり、自然など在りやしない。リシティがはしゃぐのも頷ける事だ。人の営みとかつての自然の共存の図なのだから。
そんな中、イムカは目を丸くしてある黄岩を見つめる。その視線の先の岩の巨人は動きを止めて、その胸部から一人の
「れ、レイグ隊長! おはようございます!」
「おはよう、イムカ。そしてリシティ君、エメちゃん」
「おはようございます、レイグさん!」
「おはよーございます」
元気のいい若者に老人は微笑みを浮かべた。かつて鬼の男と言われていた老練、レイグは国内と国外の治安部隊の隊長をしているのと同時に、この鉱山の作業管理人でもあった。一人で様々な役職を背負っているのは、彼ほど生きている人間が少ないからだろう。
むしろ、彼ほど生きている人間がこの世界に何人いるであろうか。資源豊かなこの国でさえ、平均寿命は六十ほどである。かつてあったとされる医療技術は衰退し、残されたのは痛みを凌ぐ技術しかない。世界を探せば一つぐらいは現存しているかもしれないが、少なくともこの国の限界はそれだ。
対し、彼は七十ほどの齢であった。決して健康的な生活を送っているわけではなく、酒は飲むし、仕事人間であるから不眠不休も当たり前。だが、彼は奇蹟的に生きている。だからこそ、若人に頼られるのだ。
「イムカ、彼らと仲が良くなったようだな」
「……はい。彼らの話は、私より若いというのに学がある物です。貴重な経験をさせてもらっています」
「そんな、僕達は普通な事を」
「その普通が、私達にとっては貴重なものなのだよ」
レイグは口回りの皺を深めた。軽快な笑みを溢す老人だ。リシティが信頼できるのはこういう人柄ゆえだろう。イムカも最初こそ緊張をしていたが、今はその雰囲気にのせられて気分が落ち着いているようだ。
「しかし、鉱山作業にMHMを用いるのですね」
「あぁ。
この国の人達にとってのMHMは、
だからこそ碧狼は彼らとは違う。機人獣は作業など行えないし、そもそもの在り方が違うのだ。だからこそイムカは警戒し、レイグもまた興味を示した。
「隊長が作業に参加しなくても……」
「老体でもMHMを使えば変わりはない……ん?」
「レイグ隊長。お話しの中、失礼します」
レイグを呼ぶ一人の作業員がやって来て、三人に話が聞こえないように耳打ちをする。皺が更に深くなった。言葉を言い終えた作業員は焦っている様子ですぐさまに別の場所へ移動する。
細くなった瞳はイムカにぶつけられる。
「イムカ。お前の黄岩はどうしている?」
「えっ。確か、第二格納庫で整備中ですよね? まだ頭が付けられてないって」
イムカはあの戦闘の後に、第二格納庫なる場所に使用する黄岩を置いていた。戦闘で外れてしまった頭をくっつける事をしていたはずであるが、それを聞いたレイグは眉間の皺を更に深めた。
リシティは何がどうなのか解っていない様子であるが、エメだけはそんな二人を見てエメラルドの双眼を暗めていた。
「無くなったそうだ。MHMは操縦主がいないと動かせないはずであるが……」
「そんな! 私、動かしてません」
「それは今理解した。しかし、それでは――」
思考を妨げるように、その地響きは轟いた。
鉱山の内部、その天井から石や砂塵がパラパラと降ってくる。リシティは咄嗟にエメの緑色の髪を覆うように手を伸ばす、彼女を抱きしめる。怖いわけではない。彼女を守るためにしているのだ。
「何があった!?」
「一機の黄岩が、鉱山の作業場に突撃を繰り返しているようです!」
「……全作業員、撤退だ! 一度外に出ろッ!」
レイグの大声に、作業員達は出口に近い方から次々にMHMで撤退していく。鮮やかだ。混雑などせず、連携の取れた動きである。隊長の彼も黄岩に乗り込み皆を扇動しようとする。
リシティ達も危険を考えて脱出しようとするが――
「イムカさん!?」
彼らの隣にいたイムカが皆とは逆の方向へ歩いていくのだ。ゆっくりと。ゆっくりと。徘徊する浮浪者のように。その眼光は大きく見開き、作業場の奥を見つめている。
その時、それは確かに唸りを上げたのだ。獣が吠えるように。人が操るべき機械が、意志の産声を上げるように――もしくは、自分の操縦主を見つけたように。
「イムカ!」
「レイグさん、脱出します!」
レイグがMHMで虚ろな目の彼女を助けようとするが、出口から出たリシティの叫びで歯を食いしばる。彼女を助けるよりも先に自分が死ぬ可能性が高い。先程から落ちてくる岩も大きくなってきた。倒壊の可能性が高い。
彼女の名を叫びながら老人は出口を出た。瞬間、落ちてきた大岩で出口が閉じられる。イムカの姿は、もう見えない。
「ッ……なぜだ。なぜ、あの子は……」
「きじんじゅー」
後悔の言葉を漏らすレイグを余所に、エメはリシティに抱き着きながらそう呟く。その単語の意味を彼は理解していた。その証拠に、あの咆哮は止まらない。空洞である作業場に反響するように、あの叫びは歓喜に満ちていた。
作業員の皆が不安がる。獣の叫びは確実に彼らの意志を削いでいた。何よりも、皆を先導するべきレイグが俯いている限り、彼らが動き出す事はない。
だからこそ、リシティはいつもの心弱い自分を押し壊して大きな声で叫ぶ。
「みなさん! 何か武器は!?」
「ッ!? 作業のために置いてきている。格納庫ならあるかもしれないが」
「なら、急いで持ってきてください。ここから一番近い格納庫から!」
見も知らない白髪の少年の叫びは、彼らに動揺を与えるだけだ。何を心配しているのか。彼らには理解できていない。リシティの思考は、常識の差異のせいで伝わらない。
「早く! このままじゃ――」
「くる」
えっ、とリシティが言葉を漏らした瞬間、その出口を塞いだ巨大な岩が粉々に吹き飛んだ。リシティはその繰り出された風に抵抗しながら、近くにいるレイグの黄岩を壁にして岩からエメを守る。
レイグもまた、岩の弾丸を腕で守り事なきを得る。しかし、その焦点はある機体に集まっていた。
「
いや、それはもはや黄岩ではない。その顔は無く、両腕は酷く肥大化していた。脚部も黄岩と比べても大きくなっており、何よりも胸部が一番の変貌をしていたのだ。
大きく開かれた口のような形状。端には牙を模した鋭利なパーツがあり、そこには岩の残骸が付着している。そしてその中央部分には、
「機人獣……」
それは獣であった。岩人形とは呼べない。もっと相応しい言葉がある。人に似た姿をしながら、体色は人とは違い、人を喰らう化け物。顔はないから判断しづらいが、それはきっと禍々しい角を有していただろう。
「
エメがそう呟いた。警戒するように。まるで敵を見やるように。
リシティはその同じ名を有するそれの意味は理解できなかったが、危険な状況であるのは理解していた。鬼岩は鉱山の出口から出ようとしてくるだろう。
「レイグさん! 皆に指示を」
「し、しかし……イムカが」
「このままじゃ、皆死んでしまう!」
「ッ!?」
その言葉に愕然としたのか、レイグは目に溜まりかけた滴が吹き飛んだ。異常な状況の中、リシティとエメだけは冷静にレイグに呼びかけている。作業員達は動こうにも動けないようであった。
イムカを喰らったMHMはそのまま胸部を閉じた。彼女は最後まで瞳を開ける事無く、身体を機体に預けていた。まるでMHMと神経を接続するように。
「あれは、操人機じゃないのか!?」
「えぇ。あれは機人獣……碧狼と同じ、獣です」
MHMは
そしてそれを人は真似た。だから、MHMの意味合いが変わる。人が操る機械は、本来は人に似せた獣の機械なのだ。ゆえに、操機人が機人獣に変貌するのも、可能性としてはゼロではない。先祖返りだ。
「そんな……イムカは……」
その獣に喰われてしまったと思ったのだろう。実際、のっそりと動く鬼の姿は異様な物で、そう思うのも仕方がない。
「たぶん大丈夫です。あの子は生まれたばかり。自分の
「抱きしめる?」
「僕が碧狼に選ばれたように、彼女も選ばれた。でも、あのままじゃいけない。子は、親を抱きしめたままじゃ生きていけないんだから」
リシティの赤い瞳が彼女を見た。深緑の瞳は優しく微笑む。二人の意志は完全に一致した。慈しみの瞳を受け、決意の眼差しをレイグにぶつける。
「レイグさん。あれは暴れん坊の赤ん坊です。抑えていてくれますか?」
「どうする気かね?」
「止めるんですよ。僕達で」
茶色のロングコートが揺らめく。その瞳はいつもの優しい彼でのものではなく、何かを決めた一人の男の瞳であった。隣にいたエメも、強く鬼岩を見つめる。
若人の決意に老人は握っていたレバーを強く握り改める。
「信用する。イムカを助けてやってくれ」
「はい!」
その言葉を聞き届け、リシティとエメは相棒がいる格納庫へ走り出す。背後に感じる重量のある風を受けながら、必死に、必死に。慌てだす人々を押しのけて、彼は必死に相棒の元へ進む。
彼女を救うために。産声を上げた新たな生命のために。産まれた意味を知る彼は、それを知るキッカケとなった彼の名前を叫ぶ。
「碧狼ッ!!」
眼前に聳え立つ碧色の鋼鉄の狼。その双眼が開かれた。青色の瞳。かつて世界を見つめていた青空に近いスカイブルー。生命が生まれたオーシャンブルー。
エメが装甲の間を上手く使って胸部まで登っていく。開かれた胸部は、どこかあの鬼に似ていて、中央に座席が置いてあった。他にはクローゼットやら色々あるが、何よりも座席の後ろには碧に輝く光があった。彼が生きている証だ。
膝をつき、降りてきた左手に乗り、リシティもまた下腹部のコックピットに乗り込む。その最中に、あの鬼が鉱山から離れていない事を確認する。
「おはよう、碧狼」
座席に座り扉を閉めたリシティは、肘掛に繋がるレバーを握りつつも呼びかける。すると沈黙していたモニターが光を取り戻し、起動し始めた。
背部にある神経接続コードをうなじに刺しこみ、意識を碧狼に預ける。エメもまた同じようにして碧狼の中にいた。二人の意識は絡まり合い、碧狼に還元される。
「僕はお前だ」
「私はあなた」
碧狼の瞳が赤く染まる。格納庫を出るように足が一歩前に進み、空を仰ぐ。
「我ら一心同体。求めるは遥かなる生存」
「一秒先の未来――始めよう」
リシティの声に合わせて碧狼はもう一歩前に足を出した。赤き瞳に見える鬼。その姿を確認し、身を低く屈め――大きく跳んだ。
「彼らの生存闘争をッ!!」
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