力―unnecessary―
貨幣文化が生きているのはその文明が退化していない証拠である。
「このズボンとか似合うと思うけど」
「えー、しっぽきゅうくつー」
「……だよね」
大国の
十四歳の彼からしてみれば、是非ともエメには年相応のオシャレをしてほしいのだが、紺色のぶかぶかの帽子を被っている少女は機能性と自由性を優先する。この帽子だって、世話になっているレイグからいただいた物で、最初はとても嫌がっていた。少年は、いらぬ不安を隠すためだと理解はしていたが、少女からすると蒸れるのが嫌なのだろう。
そんな帽子も、今や彼女は気に入っている。帽子をもらってから二時間、今はむしろ屋内でも外さない徹底ぶりだ。だからこそリシティとしてはズボンを穿いてほしいのだが……
「あきたー」
「えぇ……」
久しぶりの国なのだから、何かしらの買い物がしたいと思っていた少年に、無慈悲に彼女は宣言する。十歳ほどの歳ゆえか、まだ色気より食い気なのだろう。
リシティは深い溜め息を漏らしながら、たんまりとある金貨を羽織っているロングコートのポケットの中に入れる。貨幣文化は
「エメ。転ばないようにね」
「うん。ぶーん!」
両手を広げながら深緑色の髪のエメは、どんどん人の垣根を越えて先へ進んでいく。少年からすれば、娘か妹に近い存在である彼女が元気なのはいい事だ。流石に一か月間も碧狼の中でジッとしていたのだから仕方がない。それに、ここまで人の交流が多く文明が維持できている国は初めてなのだから。
少し気持ちが浮かれているのはリシティも同じだ。前に訪れた国は酷い有様で、貨幣ではなく物々交換で成り立っていたし、人口もこの国の十分の一ほどだったはずだ。
「一か月も移動したんだ。環境が劇的に変化するのは仕方ないか……」
自分達が最初に訪れた地域がいかに寂れていたのかを知ったリシティは、安堵の息を吐いた。そんな彼の肩を叩く者が現れる。
「もし。少しいいですか?」
「あなたは?」
リシティが振り返ると、そこに薄茶色のウェーブが肩に垂れ落ちている女性が悔しげに見つめてきていたのだ。どうしてそんな表情をしているのか見当のつかない少年は、声をかけようにも言葉を詰まらせてしまう。
リシティの淡い美意識の中でも彼女は美麗であった。目元は垂れているが輪郭は凛々しく、佇まいから生真面目な人だとよく解る。だからこそ、少年はなぜ彼女が悔しげにしているのか解らなかった。
「あーっ! リシティ、このひとー!」
「え、あっ、エメ。どうしたの? この人知っているの?」
何時の間にかリシティの背中に張り付いていたエメが、まるで威嚇するように女性を見つめた。エメが嫌悪感を示すのはよくある事だ。だからこそその理由を少年は知りたかった。
リシティの右腕にしがみつきながら、そーっと女性を覗き込みながらその理由をエメが語る。
「このひと、ライフルのひとだよ。うってきた」
「あぁ……なるほどね」
入国前、
一人あわあわとするリシティを余所に、エメは目を細めつつも八重歯の光る口を大きく開いた。
「ねーねー。どうしたの、おねーさん」
「……その、だな。正直、あなた達をまだ信じられていないから、こういうのもなんだけども……」
「はっきりと!」
「すみませんでした!」
エメの強い言葉に驚いた瞬間、思い切り頭を下げる女性にリシティは首を右往左往してしまう。より一層強く、それこそ胸が感じられるぐらいには抱きしめられて。一方ではポタポタと滴が垂れながらずっと顔を下げている女性……仮にも十四歳の少年にはあまりにも辛い状況である。
周りを歩いている人からの視線がリシティに集中する。傍目から見れば、大の大人が子供二人に全力で謝っている図なのだ。加えて、エメが少年を強く抱きしめるせいで、妄想豊かであれば修羅場にも見えてしまうだろう。
――それは不味い。非常に不味い。
「えーと、とりあえず顔を上げてください! 詳しいお話は……そこのカフェでしましょうよ!」
「ずず……かふぇ?」
鼻水を吸いながら、リシティが指さす喫茶店を見つめて小さく頷く女性。額から垂れる冷や汗に、リシティは嫌悪感を示しつつ、自分に抱き着いてくる少女にも嫌悪感を示す。
「エメ、離れて」
「やだ」
「カフェなら美味しい物もあるよ?」
「……パフェ」
「……はい」
お金の持ち主である少年は少女の駄々に弱い。リシティは前髪を弄りながら、再び深い溜め息を吐きながらカフェへ向かう。
カフェという嗜好品を提供する施設がある国は珍しい。食事処などはあっても、嗜好品を専門とする国はこの時代にはそうはない。何せ、嗜好品は管理者の管理下にはない。栽培、生成は真に人だけが行っている事なのだ。
もしかしたら、この国こそ最後の楽園なのかもしれない。リシティは本気でそう考えていた。
「コーヒーで」
「チョコパフェー!」
「ズビーッ……ココアで」
各々の頼み物を店員に頼み、リシティは本題に入るために気を引き締める。女性の方も落ち着いたようで、今は数枚目のティッシュで鼻をかんでいる。
最後に黒い溜め息を吐いて、キリッとした表情に変わる。これが彼女の本来の表情なのだろう。
「お見苦しいところを見せました。私、国の治安部隊員のイムカと言います」
「僕の名前はリシティです。こっちにいるのが」
「エメー」
「です。彼女の言った通りに、あなたはあの時のMHMに乗っていた人でいいのですよね?」
小さく頷くイムカは、あの状況を思い出したのか少し不服そうな表情を浮かべた。彼女のあの悔しげな表情は、戦いで負けた相手に出会いたくなかったからなのだろう。
「まずは謝りに来た。あなた達の言葉に耳を貸さずに戦闘をしてすまない」
「あ、いえ。こんな時代ですから仕方がないでしょう。そりゃ、話し合いで解決できるなら、それに越したことはないでしょうけど」
殺すか殺されるか。生存競争のランクが下がった人類でも、そのルールからは逃れられないのだか。ましてや、生物のほとんどが滅んでいる現状、競争相手が少なくなっているのだから自ずと、人は同種を攻撃する。隣人が果たして一生の味方であるのか。それすらも解らなくなっているのが現状だ。
店員がコーヒーとココア、そしてパフェをテーブルに置いて去って行った。エメがスプーンをグーで持ちながら器用にアイスを口に運んでいく。リシティは匂いを堪能しつつ、イムカとの会話を続ける。
「そして二つ目に……これは私個人の考えだ。どうか、強さの秘訣を教えてほしい」
「強さの、ですか?」
予想外の言葉にその鮮やかな赤い瞳を丸くする。それは、彼が一度も考えた事がない事柄でもあったのだ。
秘訣などない。碧狼という特殊なMHMを二人がかりで使用しているに過ぎないのだ。だから、あえて言えば
困った事に、リシティとエメの関係は特別だ。攻撃こそリシティがしているが、移動はエメが担当している。リシティ一人が強いわけではないのだ。
「……正直、自分達が強いだなんて思った事はありません」
「そんな! だって――」
「確かに、あなたには勝った。たぶん、戦闘の経験が僕達の方が積んでいるからでしょう。でも、この町で暮らすには必要のない力です」
リシティ達は、旅をしているから自ずと戦闘経験を積んでいった。別の支配者が住まう地域を臆することなく進み歩いた。それがいかに危険で愚かしい行為かをイムカは想像するのが難しいだろう。
何せ彼女――いや、国の中に住まう者達は管理者の眷属と戦闘をした事がないのがほとんどだ。必要ないからだ。外交の手段が断たれても生きていける。文化は存続していける。ならば、支配者に挑む必要も国を出る必要もない。力など、不要だ。
「この国から出たいわけじゃないでしょう? だから、強くなるよりは人に良い事をした方がいいと思います。そちらの方が、皆が喜びますし」
「……そう、なのか?」
「はい。イムカさんは銃の扱いは上手いですけど、生活の中では役に立ちませんし。強いて言えば管理者からの攻撃への抵抗でしょうけど、それもほとんどありませんし」
国が管理者によって滅ぼされた、という話はリシティは聞いた事がなかった。滅んだとしても、人が人と争って崩壊しただけにすぎない。キッカケは管理者でも、結末は人の自滅だ。
だからこそ重要なのは、力を持つ事ではなく如何に存続するか。争いではなく、共存の道を長く歩めるか。この国なら、それは可能だと思うから、リシティは彼女にそう説くのだ。
「イムカさん。そんなに焦らなくていいんですよ。僕達の様に外で生きている人はほとんどいません。僕達の来訪は、一生に一度はあるかどうかの奇蹟なんです。だから」
「――そうか……」
イムカは目の間に垂れ落ちた自分の髪を掬い上げながら、感慨深く呟いた。
リシティの気持ちが通じたのか、イムカの表情は少しだけ和らいだ気がした。パクパクと横で食べている音が終わる。話の間にエメが口の回りにチョコを塗れさせるので、イムカはリシティにティッシュを渡す。小さく会釈をして、エメの口回りを拭く。
エメが嫌がる中、イムカがクスクスと小さく笑った。リシティも小さく笑みが漏れた。昼が過ぎてゆく。曇天は続くが、確かに人々の輝きはそこにあった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます