手続―confidence―

 管理者によって定められた場所で住まう事を義務付けられた人類は、彼らとの関わりを最小に抑える手段を用いて国を閉鎖した。即ち、MHM―マシンヒューマンモンスター―以上の高さの壁である。緑もない、灰色の荒野から目を逸らして、人類は自分達の世界に籠ったのだ。


 赤目が思わず細く歪む。白い髪弄るリシティは、その人類の選択を懸命だと思う一方で愚かだとも思っていた。何せ、それは停滞。かつて多くの人間が、多くの文化と干渉して進化していたというのに、その交流の手段を自分達から閉じてしまったのだ。結果、彼らの世界は色に満ちているというのに、どこか味気ない物であった。


「エメ。着替えといてよ。しばらく僕が動かすから」

「うん、わかったー」


 コックピットにあるスピーカーから聞こえる少女の陽気な声に、リシティは呆れを覚えつつも彼女が操っていた碧色の獣人型MエムHエチMエム――碧狼の操縦を替わる。首元にある神経接続口に座席にある神経接続用コードを突き刺して、一時的に碧狼の身体に同化する。


 碧狼の前には岩を無理矢理人型にしたような、黄岩オウガンと呼ばれるMHMが先頭を歩いている。後ろには、先程首を吹き飛ばされた銃を持った黄岩が、取れた頭を大事に両手で持ってトボトボと着いてきていた。


『しかし、リシティ君のような旅人なる存在が未だおられるとは……。てっきり、御伽話だけのものかと思っておりましたよ』

「よく言われます。命知らずとも、無価値で無駄な人生の使い方とも言われましたね」

『はははっ。そういう輩は、自分から空を飛ぶ覚悟のない雛鳥なんでしょうな』


 軽快な笑いを見せる先頭の黄岩――その操縦主マスターである老齢と思われる男性は、リシティにとっては楽に話せる相手であった。同性であるのもあるが、何よりこの世界では貴重な余裕を持った人物だからだ。


 国は外からの刺激に敏感だ。ゆえに、リシティ達のような旅人ストレンジャーは忌避される。管理者の大地を歩いた事さえ恐ろしい事なのに、それ以上に旅人なる存在を国民は知らない。未知に挑めるほど、人間は柔軟ではない。


 だからこそ、後ろについてくる彼女のような手を出すのが早い人もいる。仕方のない事なのだ。


『客人だ。手続きをしたい』

『ハッ? ……いえ、解りました』


 国の壁の前までやって来た老齢の男性は、黄岩に乗りながら壁にある門の前で外を監視している兵士に命令をする。兵士こそ最初は困惑の言葉を漏らしたが、老人の言葉は絶対なのか、ゆっくりと門を開けた。


 リシティが先導してくれる黄岩の操縦主が偉い人だと認識する中、碧狼は国の門をくぐる。十メートルほどのMHMも入れるほど大きな門は、大きな音を立ててゆっくりと閉まった。


『リシティ君。すまないが、MHMの格納庫に来てほしい。いいかね?』

「はい。降りる準備しますね」


 碧狼を操作し、ゆっくりと後退する。狼男を模した機械が、岩人形を模した機械に指示されて直立状態でいるのは中々滑稽な姿だ。


 リシティは神経接続を切り、コックピット内部にあるスイッチを押す。すると、碧狼の下腹部が縦に開き、リシティの視界に光が差し込む。外は、煉瓦で作られた町並みが広がっていた。


「おぉ、君がリシティ君か」

「あっ、お初にお目にかかります」


 碧狼がそっと伸ばしてくれた左手の平手に飛び降りるリシティに、先程の先導してくれた黄岩の声の主が地上から声をかけてくる。白髪で目尻には皺が寄っていて、だが厳かで精気溢れる雰囲気を纏っている老人だ。リシティは、碧狼の手に任せてゆっくりと地上へ降り立った。


「今、確実に信じる事ができたよ。正直、半信半疑だった」

「何をですか?」

「君が本当に人間かどうかだよ」


 茶色の長袖のコートに身を包んだリシティは、訝しむ。仕方がないとはいえ、疑われるのは嫌なのだ。老人はそんな彼の表情を読み取ってか、すまないと素直に謝罪した。


 老齢だからか、もしくは人間として生き続けてきたからか。彼の様に正直に謝罪の言葉を言える人間は数少ない。それを知っているから、リシティは安心して碧狼に呼びかける。


「エメ。出てきたら?」

『んー、でるー』


 すると、胸部の装甲が開く。下腹部が縦に開いたに対して、胸部はまるでその部分を覆っていたように、全方向からロボットアームを利用して開かれたのだ。そしてそこにいたのは――深緑色の髪を持つ少女だった。


「あそこにも、コックピットが?」

「……まぁ、そうですね」

「しかも、あの子……十歳にも満たないのでは?」


 実際、その少女の背丈は十歳と言えたらいいぐらいに低かった。大きなエメラルドの瞳は彼女の幼さを助長させている。短いオーバーコートを身に纏い、そのせいで白い柔肌とおへそが丸見えだ。かろうじて下半身は隠れているが、ひらひらのスカートだから場合によれば見えてしまいそうだ。


「露出が激しくないかね!?」

「あー……僕も困ってます。動きやすいのがいいらしいんですよ」


 リシティはちょっとだけ顔を赤らめて溜め息を吐いた。その間にエメは、碧狼の装甲を上手く伝って地上へ降りていく。細い腕、小柄な身体に対して、運動神経は非常に高いようだ。


 膝部の装甲から何度も回転をし、無事に着地するエメにリシティは拍手を送る。だが、後ろにいる老人は怪訝な表情を浮かべ声を掠らせるしかない。


「しっぽ……耳?」


 老人が警戒心を抱くのは仕方がないだろう。人間である以上、エメという存在は自分達に似た何かにしか見えない。何せ、彼女の頭には獣のような耳、そして尻にはふさふさの尻尾が生えているのだ。それ以外は人間と同じなのに、それだけが人間と違う。


 彼女がスカートを好む理由の一つでもある。ふさふさのしっぽの自由を確保するためだ。


「そういう種もいるというわけですよ。外の世界は未知数。どうか、差別だけはやめてほしい」

「……そうなのか。世界は広いな……」

「広いですよ。少なくとも、この壁の世界よりは」


 エメが両腕を広げながら、トテトテと走ってリシティに抱き着いてきた。リシティはそんな彼女を優しく抱きしめる。碧狼の中での生活の間、彼らはお互いに会う事はできない。意識の中では会えるし声は聞こえる。しかし、生身での再会は一か月ぶり。どちらかが会いに行くなんて時間、管理者の領域にはない。


 老人がエメをまじまじと見つめ、とりあえずは幼い子でしかないと結論付けると、打って変わって笑みを浮かべた。未知は恐怖であると共に興味の対象でもある。


「先程の女性は?」

「今は別の場所でMHMを格納しておりますよ。あとでしっかりと叱っておくつもりだが」

「ははは……まぁ、よくある事なのでお手柔らかに」


 そう、よくある事。これまで二つほど国を回ってきたリシティ達は、いつも手荒い歓迎を受けてきた。だからこそ国に近づく前は戦闘の準備をする。リシティの交渉の手段は現実味がないのだ。会話を交わす暇があれば危険を排除せよ。これがこの時代の生き方だ。


 老人に連れられて緑豊かな大地を歩く少年と少女。外とは違い、あまりにも綺麗な色彩の空間だ。壁は水色で塗られていて所々白い部分もある。建造物は煉瓦作りが多い。国の規模は大きいようで、珍しく山もある。資源採掘ができているのだろう。煉瓦作りもMHMが黄岩であるのも納得ができる。


「思っていたよりも大きな国ですね」

「あぁ。人口は数千人。外の国があるのかも知らないが、中々大きな国だと思うよ」

「うん。おおきー!」


 エメが陽気に言うが、確かに大きい国だとリシティも少なくとも思っていた。MHMが格納庫にはたくさんあった事をリシティは見逃していない。全て同型でこそあったが、十メートルという質量兵器を製造するほどの余裕をこの国は有しているのだ。


 緑が豊かなのもそれゆえだろうか。人が多くいれば、自ずと役割も多くなる。そう言う意味では、リシティが知る限り、一番栄えている国でもあった。


「すまない。外交手続、そういうのをやりたいのだが」

「レイグ隊長! 解りました……が、そのような物は……」

「……そうか。そうだな。外来の客なぞ、この国が生まれて初めてであるか」


 レイグと呼ばれた老人は困った顔をしてしまう。どんなに豊かな国でも、外交手段を失っているために外交手続の準備などできていないのだろう。むしろ、外交手続という言葉がある事でさえ奇蹟的である。


 眉間の皺を更に深めたレイグは、しばらく唸り、観念したように深い溜息を吐いた。


「すまないな……大国と誇っておりながら、旅人一組まともに迎えてやれんとは」

「いえ、仕方ありませんよ。でも、それならどうにかしないとですね……」

「私が直々に色々手配をしよう。君達を招き入れた者の責任でもある」


 責任感の強い人だ。リシティとエメはしばらく目を見合わせる。エメの新緑の瞳がうるんでいるのを確認したリシティは、チラとレイグの表情を見る。


 ここまで、彼は信頼を与えてきた。戦闘を止め、国に招き、あまつさえ手配もしてくれるという。リシティからすれば疑いようのない善人だと思える。だが、それだけでは判断してはいけない。


「レイグさん。これは一応の、保険みたいなものです。僕達の機体、そして身の保証はありますか?」

「当然だ。君達に何かあれば――」

「先に言っておきます。僕達の碧色のMHM、碧狼は生きています」


 その言葉にレイグの表情は強張った。言ってしまえば、自分達に何かあれば、あの獣人型のMHMは暴走するぞと脅しているのだ。旅人において、自分達の身の安全は第一。国という閉鎖的空間で変質してしまった人類は、リシティは信用はできなかった。


 だが、目の前の厳格な老人だけは信頼してもいいと考えている。だからこその、最後の保険なのだ。


「……了承した。君達は、恐ろしい獣を飼っているのだな」

「手なずければ可愛いものです。だからこそ」

「了解した。国に災厄を持ち込んだつもりなどないからな」


 レイグが小さく微笑んだ。交渉成立。やはり気が合うらしい。


 リシティは大国の大地に踏みながら安堵の息を吐いた。そんな彼に、エメは先程とは違い慈しむような視線を向けていた。幼さの中にある、確実な母性を感じさせるように。

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