岩の大国―Big Ogre―
入国―vs Gatekeeper―
「――んー、ぱんつ」
「つ……罪」
「みー……みず」
「ず……すでもいい?」
「ダメ」
碧色の
手厳しいなぁ、と少年は苦笑を浮かべながら、すぐに見つかった言葉をずばっと答える。
「頭脳」
「う? うー、うー……」
「降参かい、エメ?」
赤い瞳の少年は、得意気に微笑ましくふふんと笑う。
今日も今日とて彼らは、
なんどもうーうー、と苦渋な声が漏れる。どうやら少年に負けるのは意地でも嫌らしい。
「うー……リシティにまけたくない」
「なら頭を捻って考えよう」
「うー」
その優しい言葉が、彼女にとっては屈辱的なのは言うまでもない。プライドが高いのだ。
でもそれは仕方がない。リシティと呼ばれた少年にとって、エメという少女は可愛らしい妹や娘に近い存在であった。決して下に見ているわけではなく、彼女の頑張る姿が微笑ましいだけなのだ。
彼がくつろいでいるコックピットの中には彼女の姿は見えない。声だけは、コックピットの中にあるスピーカーから聞こえる。そういう関係だ。彼女とは、かれこれ一か月も生身ではあっていない。
少女の齢は、恐らく十歳ぐらいと思われるが、声だけでは判断は難しい。もしかしたら甲高い声の老齢の婆さんかもしれないし、逆に大人びた一歳の赤ん坊かもしれない。
「うー……ん?」
「ん? ん、じゃ負けだよ?」
「ちーがーうー。かべが見える」
その彼女の言葉に、リシティは目の先にある横長方形に広がる屋外を映すモニターを見るが、残念ながら肉眼では確認できない。だがエメが決して嘘を吐いているわけではないのは理解していた。
碧狼が見た視界を彼女は認識しているのだ。碧狼は十メートルほどの巨体を持つ。腹部に別にこしらえたカメラから視界を得ているリシティと、距離感も感覚もまるで違うのだ。
「国だー!」
「やっと着いた……思ったよりも遠かったね」
「だねー」
エメの声が一段と弾み、リシティは安堵の息を吐く。何せ,
彼らは一か月もずっと碧狼の中にいたからだ。人との触れ合いはエメとしかない。しかも視覚では彼女を確認できない。そんな孤独を感じていれば、気分も高揚するし、安堵の息も出てしまう。
移動の手段であるMHMは大きい。特に碧狼は素早く動けるように設計されている。だが、通常の移動時はその高機動は封じられている。エネルギーの効率、移動の都合、突然の襲撃への対応を考えるとその手段は使えないからだ。
エメは単純に人との触れあいを楽しみにしているようだが、リシティはそれ以上に文化に触れあいたかった――だが。
「……何か来る」
「だよねー」
そうは上手く行かない。この世の中は神経質なのだ。
国という物は閉鎖的な社会だ。管理者達により領土を割り当てられた人が勝手に作った世界。そのため、どうしても外からの刺激には敏感であり、人は刺激を基本的に敵とする。
おおよそ、国を見張るMHMがやって来たのだろう。そう経験からの確信を得たリシティは、白いボサボサの後ろ髪を右手で抑えて首元を見せる。
「エメ。いつもの。一応、ね」
「らじゃー! ――CW-07 碧狼。搭乗主、リシティ・アートに譲渡します」
座席から延びてくる神経接続用のコードを首元の神経接続口に差し込む。リシティは一度その目を見開き、瞳から光が消える。彼の意識は二分割され、碧狼の中に入り同化したのだ。
空となったリシティの肉体は、虚ろな目をしながらも慣れた動きで肘置きに繋がれているレバーを握る。
「神経接続完了――で、どうするの?」
「戦闘する意思はないと伝えるつもり」
「戦闘準備だけはしておくね。いい?」
碧狼の頭が頷く。その瞳は青から赤に変わっていた。リシティの意識が完全に碧狼に移り変わった証拠でもある。
そんな二人を余所に、エメが見つけたMHMが近づいてくる。両腕と両足が極端に肥大化している、武骨な
『そこの緑色のMHM。意志があるならば返事をしてください』
女の声だった。寂れた瓦礫の荒野に響き渡る声は、恐らくあの黄岩に搭載されたスピーカーを利用しているのだろう。管理者側のMHMはともかく、人類側のMHMには回線などはない。そのような技術、もはや残っていないのだ。
リシティはその常識を知っていたので、碧狼に搭載されている回線を使用せず、スピーカーを介して対話を試みる。
「こ、こんにちは。お日柄もよいようで……」
『……ここ最近は曇りよ?』
「あっ。あー……ですね」
リシティが下手な挨拶をしてしまったせいで、黄岩の搭乗主はその言葉に不信感がにじみ出る。少年にとってMHM間における駆け引きは未だに慣れない。ちょっと口下手なのだ。
エメが何かを言いたげに溜め息を吐くため、リシティは気を取り直すために小さく咳ばらいをした。碧狼の右腕で胸を抑えて。
『動かないで!』
「え? あー……」
『……なんだか怪しいわね。そのMHMも、あなたも。もしかして、管理者側?』
銃を向けられて咄嗟に両手を上げて降参のポーズをするが、警戒は解いてくれない。リシティの口が苦く歪んだ。人類側からすれば外から来る存在は、管理者以外に考えられないだろう。それに関しては否定できない。
崩壊した世界。しかも、管理者によって支配された人間の国以外の場所を、人が闊歩するなんて想像しづらいのだ。実際は
「争うつもりはないんですけど」
『……口ではね、何でも言えるの。でも、あなた、あの大地を歩いてきたなんて言わないよね? そんなのはあり得ないから』
「あり得ますよ。信じてくださいよ!」
『残念だけど、信じられるほど融通の利く人間じゃないの、私』
黄岩が右手だけで構えていたライフルを両手で構えた。その動作は手慣れているようで、射撃体勢に入ったその姿は様になっていた。
交渉失敗。国を守る番兵としては優秀な判断だ。未知を取り込まない、それこそが今の人類の最大の防衛手段なのだから。
リシティは、迷いを感じつつも意識の中で交渉の道を完全に途絶する。撃ち殺されたくはない。されるわけにはいかないのだから。
「エメ! 戦闘モード!」
「はぁ……私はあなたで」
「僕はお前……ってなんでまた溜め息を吐くのさ!」
「へたくそ」
少し知的になったエメに貶められて、怒りよりも先に悲しみが湧いてきたリシティは、二重の意味で大きな溜め息を吐く。だが、その感傷も長くは続かない。
エメが黄岩の動きを認識したのか、敵が銃撃を始めた瞬間に左方の
「我ら一心同体!」
「求めるは、遥かなる生存!」
「一秒先の」
「未来ッ!!」
銃撃を右方左方と動きながら避けつつ、リシティとエメの意識が戦闘に最適化されていく。碧狼との融合が強まっているのもあるが、この儀式は何より生存のためなら何でもする、という自己暗示に近いものだ。
――一秒先の未来を求めて、他者を喰らう。生存するために。それこそが、この世界の理。
一発の銃弾を避けた事を皮切りに、碧狼の肉体は黄岩を捉えるために旋回する。それは――敵を落とす覚悟が整ったという事に等しい。
「「始めよう!
二人の言葉が重なった瞬間、碧狼の赤い瞳が細まった。生存闘争。それこそ、碧狼が求める生きるという証明。二人が彼に誓った、共生の契りだ。
黄岩は動きこそ鈍重だが、それゆえに的確に碧狼に銃撃を行っている。マシンガンではなくライフルのため、銃撃の弾幕こそ薄いが、威力はこちらの方が高い。碧狼がいかに堅牢な装甲であろうとも、銃弾が当たれば多少の反動は受けるだろう。
「無力化する。光の爪は無し!」
「了解。いくよ、リシティッ!」
反撃の意図を理解したエメは、後方のスラスターの火を噴かせながらも、地に足をつけて走り出す。態勢も自ずと前傾姿勢に――獣の如き動きへと変わっていく。碧狼の名に違いない、獲物を屠る碧の狼の姿だ。
肩、腕、脚にあるスラスターを利用しながら、一方から飛んでくる何発もの銃弾を避けて前に進む碧狼。野生の本能がエメを極度に刺激し、危険を察知して本能による反射で銃撃を避け続けているのだ。当たれば止まると理解しているように。
『なんたる機動力!』
黄岩の女性は、銃撃が当たらない眼前の機獣に驚きを覚えるしかない。人類側のMHMにはあり得ない高機動。安全性を度外視した装甲と武装であるのに、未だにまどもなダメージを与えられていない。
ますます、彼が管理者側なのではないかと考える女性に、あの少年の声が再び聞こえる。
「銃撃を止めてくれるなら何もしませんから!」
『冗談ッ!』
黄岩の女性は唇を噛み締めながら銃撃を止めない。茶色の前髪が汗で滲む。波のある長い髪が更にしなる。プライドを刺激されたのだから、意地になるのも仕方がない。
リシティはその事を理解できず、だが止まらない現実に挑むしかない。彼は息を殺して、苦渋な表情を浮かべてエメに叫ぶ。
「敵を――やるッ!」
「りょーかいッ!」
虚ろな瞳の中に決意を混じらせた少年は、腕の先にあるレバーを強く握った。左レバーに付属する三つのスイッチのうち、真ん中のスイッチを握り押す。
銃弾と銃弾の合間。たった数秒のその隙を縫い、碧狼は跳躍する。それは常識はずれな行動である。
MHMには跳躍をするほどの余裕はあまりない。全身のスラスターを使って、それでも浮上するのがやっとである。この安定した運動性能こそ、碧狼の真価なのだ。
『跳んだ? ――けど、空中なら!』
黄岩は動揺こそ見せたが、冷静に跳躍した碧狼に銃を向ける。空中で回避運動をとるのは困難。できたとしても、地上ほどの自由はない。
少年の言葉に引っかかりこそ覚えていた女性は、その悩み事ごとレバーの引き金を引いた。
『ッ!?』
バンバンバンと連続で撃ち放った銃弾。確実に命中する軌道を、碧狼は無傷でやり過ごす。女性の耳に入ったのは何かが焼き切れる音。そして視界に映ったのは――
『光の盾、だってッ!?』
「応用次第では爪は最大の防御になるッ」
リシティが吠える。彼が押したスイッチによって、左腕の三つのトンファーの中央の部分が盛り上がり、それだけが光の刃を形成したのだ。そして、リシティの意志に沿い、それは回転し始めたのだ。
女性の形容はまさにその通り。光の刃の急速回転で形成された盾は、碧狼の肉体の半分を守る。そしてそれは光の爪の特徴である熱量を有し、受け止めた銃弾は弾かれるのではなく見事に溶かされた。
「歯を食いしばって――」
「いっちゃえーッ!」
跳躍してから数十秒の間に黄岩の眼前に降り立つ。一歩左脚が下がるゴーレムなど気にもせずに、右手で黄岩のモノアイを持つ頭を握り、そしてそれを強引に吹き飛ばした。生首になった頭が無様に転げまわる。
MHMにとって頭は感覚器官の半分を司る。サブカメラこそ別の部分にあれど、頭をやられれば逃げるが吉だ。
コードを剥き出しにされた黄岩――その中身の女性は、荒い息を吐いていた。碧狼は、その黄岩の腹部に左拳を突き立てる。
勝負はあった。完全なるリシティ達の勝利。だが、少年は苦い表情を浮かべる。
「……すみません。でも」
『負けた……私が、連戦連勝の私が?』
「あの、国の事なんですが――」
『それについては私が応えよう』
動揺し、何度も同じ言葉をぶつぶつと呟く黄岩の女性とは別の方向から、厳格で渋い印象を覚える男の声が聞こえた。
碧狼の後ろ、そこに黄岩が一機見つめていた。携行武器は女性と同じくライフルだが、それはリシティ達には向けられていない。
リシティは警戒心を留めながら、ゆっくりと振り返る。
「あなたは?」
『私はレイグ。そこで泣いている子の上司だ』
『泣いてませんッ!』
『だーっとれぃッ! 命令違反も甚だしい』
突然の男性の怒声に思わず耳を塞いでしまう碧狼。男が乗る黄岩が明らかな怪訝な表情を向けてきた気がしたが、残念ながらモノアイなので詳しくは解らない。
どうにも、戦闘をしていた女性の知り合いらしい事を理解したリシティは、今度こそ成功するように祈りを込めながら話しかける。
「すみません。僕達は旅をしている者です」
『旅……? いや、どちらにせよご迷惑をかけた』
しわがれた声の男性は、申し訳なさそうにMHMで膝をつく。腰を低くする様は、こちらの警戒心を解かせるには十分だ。なにより、話せる人だと思える。
エメが微妙に不安を覚えるように声を漏らすが、リシティはあくまで平常心を忘れずに胸を張って声も張る。
「国へ……入国をお願いしたい」
『……そうですな。とりあえず、ここで話し合うのは危険だ』
管理者の領土で長居は危険だと判断したのだろう。実際その通りで、エメの不安はそこであった。管理者と眷属は容赦しない。ルールも守れない家畜は徹底的に始末する輩だと知っているからだ。
そんな思惑も知らずに、レイグと名乗った男は黄岩を立ち上げて、碧狼をエスコートをするような仕草をする。
『来てください。国の近くでお話をしましょう』
男の申し出にリシティは安堵し、エメも溜まっていた息を吐いた。ただ一人、負けた女性だけは泣いていた。
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