第3話 地下は危険な香り
――健二の自室
「おはようございます。馬場健二、あなたは幸福ですか?」
毎朝8時ちょうどに一分一秒ずれることなく、僕の携帯端末からコンピューターが呼びかける。
「はい。僕は幸福です。コンピューター」
僕はコンピューターの声に応じる。
「馬場健二、幸福は義務です」
毎朝繰り返される、コンピューターとのやり取り。
休みの今日は久しぶりに危険なことをしようと思う。コンピュータに見つかると余りよいことじゃないから慎重に、慎重にいこう。
家を出ると居住区から時計塔へ抜ける。時計の下には今日も人口が表示されているけど、今は人口表示なんてどうだっていい。
僕ははやる気持ちを抑え、広場を右折し薄い青色の建物が並ぶ娯楽区へ足を運ぶ。
娯楽区の建物は居住区と色が異なるだけで、形は全く同じになる。ついでに居住区と建物の数も同じだ。
娯楽区の一角にある喫茶店へ足を踏み入れると、中央に三メートルほどある巨大なディスプレイが天井からぶら下がっており、ディスプレイを囲むようにスチール製の机一個と丸椅子一脚がセットで設置してある。
席の数は結構多く、全部で五十セットほどはあるんじゃないだろうか。
お客さんもちらほら座っていて全部で二十人ほどいるみたい。彼らは各々好きなドリンクを楽しんでいる様子に見える。
ディスプレイでコーヒーを注文し、携帯端末を机に置いたまま僕は席を立ち、トイレに向かう。
トイレの個室に入った僕は便座の裏にある小さな赤いボタンを押す。
すると、僕が出てきた。
いや、語弊がある。
僕そっくりなホログラムが出てきて、僕が個室のドアを開けるとスーッと移動し喫茶店で僕の座っていたテーブルに向かう。
これで準備は完了だ。
携帯端末を通じコンピュータは常に僕たちを見ることができる。あのホログラムは僕の身代わりだ。
コンピュータが見ていないところで僕は危ない行為をするって寸法。
ホログラムを見送ると、トイレの一番奥の個室に入る。
その個室には梯子が設置してあり、地下へ降りることができるようになっているのだ。
慎重に音を立てないように地下へ降りると、二十代半ばほどのスーツ姿の男性が僕を迎えてくれた。
人が人を迎えるシーンは後にも先にもここ以外僕は見たことがない。
ここはコンピュータの手を離れた場所なので。人が迎えるのはことになっているのだろう。
ディスプレイがあるところはそこからコンピュータが見ている。だから見られないようにここにはディスプレイも携帯端末も置いていないんだ。
僕は軽くスーツの男性に会釈をすると、男性は僕にパイルを手渡してくれる。万が一にも争いになりそうなときは、これを飲むためだ。
まあ、僕に限ってそんなことにはならないだろうけど。
奥に入ると、木製のテープルに椅子が向かい合わせで「二つ」設置してあった。そう二つである。
全部でテープルは20ほど設置してある。ここに来るのは二回目だけど、よくコンピュータ無しでここまで広い空間を用意できたものだ。
机や椅子もよく運び込めたものだと感心する。
一人の人はいないかと探すとすぐ見つかったので、対面に座り軽く会釈をすると、その人は格子状の絵が描かれた薄い板を置いてくれ、僕に丸く薄い円の形をした裏表が白と黒になっているマグネットのような物がいっぱい入った容器を手渡してくれた。
そう僕はこれからこの人とオセロをする。
オセロは勝ち負けがあり、競争するものだ。こんな競技があるなんで最初ここに来たときは驚いたものだが、二度目ともなると僕も落ち着いたものである。
僕はオセロの駒を受け取ると、さっそくオセロに興じることにした。
五回ほど対戦し、勝ったり負けたりしながら過ごし、そろそろホログラムでごまかすのも限界かなと思ったのでまた梯子を上り、ホログラムと僕は入れ替わり、コーヒーを飲んでから僕は喫茶店を出たのだった。
悪いことをした僕だが、見つかるのではないかという緊張感など吹き飛び、競争の熱が体を覆っていた。
やはり正々堂々、競い合うのことが僕は好きだ。禁止されていることとはいえ、好きなものは仕方がない。
いずれ見つかるかもしれない、でも僕は見つかってもこの行為を繰り返すだろう。
時計塔まで戻るころには時刻は正午前だった。
オセロのことで心がいっぱいだった僕は今の今まで忘れていたが、倉橋さんと正午に時計塔前で待ち合わせしていたんだけど、幸いというか僕は時計塔にいる。
「馬場くん」
不意に声を掛けられ振り返ると、市松人形ではなく、倉橋さんが僕に手を振っていた。
「倉橋さん」
名前を呼びながら僕はゆっくりと倉橋さんのほうへ向かう。彼女は初めての週末なので娯楽区を案内してほしいと僕にお願いしていたのだ。
断る理由もないので、僕は快諾し、時計塔前での待ち合わせとなったわけであった。
「馬場くん、あの……」
会ってそうそう何か言いよどむ倉橋さん。なんだろう一体。
「あの……その……」
煮え切らない倉橋さん。
「どうしたの? 倉橋さん」
倉橋さんは、あーとかうーとか言いながら頭を振っている。なんか少し頬っぺたが赤くなっている。
彼女は何にでも恥ずかしがるのだろうか。
しばらく頭を振った後、倉橋さんは意を決したようにキッと僕のほうを見つめた。
こんなに見つめられたのは初めてだ。ホログラムを出すときほどじゃないけど少しドキっとしたのは秘密だ。
「あの、少し話がしたいの」
「話なら、いつだってできるじゃないか」
「いや、そうじゃなくって」
と言いながら、目線を携帯端末に落とす倉橋さん。
「あ、そういうことか。なら移動しよう」
僕は倉橋さんの手を握り、娯楽区のほうへ足を進めようとした。
したんだけど、倉橋さんがなぜか少し悲鳴を上げていた。
変な倉橋さん。っていつものことか。
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