16

 その夜、身体を清めたティアナは、ベッドの端に腰掛けながら見慣れない天蓋を見上げていた。レオポールと話しているのか、ヴァレッドの姿はその場になく、部屋には呆けるティアナと白湯の入っていたカップを下げるカロルの姿があった。

 ティアナは天蓋を見つめていた視線を部屋の中心にあるローテーブルに滑らせる。そこにはヴァレッドから貰った耳飾りがちょこんと置いてあった。

『それは誰にも貸すなよ』

 夕方のヴァレッドの声が蘇り、ティアナの全身が熱くなる。頬に手を当てれば、耳に触れた彼の指先を思い出して、また一段と恥ずかしくなった。

 そして、次々と蘇る彼の台詞。

『君の言うとおりだ。俺は妬いてる』

『さっきは「アイツと君が楽しそうに話すのが嫌だ」と言ったが、そもそも俺は、君が俺以外の男と話すのが気に入らない』

『……そんなもの、俺にだけにしていればいいと、見せれば良いと、何度思ったかわからない』

(もしかしたら、ヴァレッド様も私のことを?)

 頭に浮かんできたそんな想いに、ティアナは咄嗟に首を振った。

 そんなわけない。きっとない。彼は女性が嫌いなのだ。

 ヴァレッドが自分と一緒にいてくれるのは、彼の優しさ故。決して勘違いなどをしてはいけない。

 ――だけど

「今日は、とても嬉しかったですわ」

 彼のくれた言葉も、行動も、耳飾りも。全部が嬉しかったし、夢のようだった。幸せで、幸せで、どうにかなってしまいそうだった。

 きっとこれが『好き』だということだ。ティアナはもう、確信していた。

 彼女は胸に手を当てる。

(でも、この想いはヴァレッド様にとっては邪魔なのよね)

 先ほどまで胸を満たしていた『幸せ』が反転して、『痛み』に変わる。

 今のところ、気持ちがバレて避けられるというようなことは起こっていないが、少しでも彼がそういうそぶりをみせてきたら距離を開けるべきだろう。彼を不快にさせるのは本望ではないのだ。

(そうなったときのために、少しずつ離れる覚悟を決めておかないといけませんね)

 隠すことはおそらく無理だ。そういう器用なことが自分に出来るとは思っていない。だから、彼が自分の気持ちに気づいてしまうまで、めいいっぱい彼と一緒にいて、素敵な思い出を作ろう。そして、彼が自分を煩わしく感じ始めたら、その思い出だけを抱いて側を離れよう。

 それが、ティアナが一晩かけて出した結論だった。

(未来のことを考えれば悲しいですけれど。逆を言えば、今は側にいても大丈夫ということですものね!)

 気を取り直したティアナがそう拳を振り上げた時、「はぁあぁ……」という、深いため息が耳を掠めた。見れば、何やらいつもより暗い顔でカロルが部屋のタオルを替えているところだった。

「どうしたの? カロル?」

「いえ、大丈夫です。なんでもありません」

 カロルは一瞬にしてキリッとした表情に戻り、首を振った。しかし、その顔はどうも無理しているように見える。

「大丈夫じゃないわ! 貴女があんな風にため息をつくだなんて! 何かあったの?」

「……なにかあったかと聞かれると何かあったんですが。そんなたいしたことでは……」

「カロルが思い悩むというだけで、私にとっては『たいしたこと』ですわ! 何があったんですか!?」

 心配そうに詰め寄ってくるティアナに、カロルは困ったように眉を寄せる。そうして「本当にたいしたことはないのですが……」と一言前置きをした後、とつとつと語りはじめた。


「まあ! レオポール様が、そんなことを……?」

「はい。ま、ただ単にからかわれただけだと思うんですけどね。あれからレオポール様も普段通りですし、話題にも触れてきませんから」

 ティアナに無理矢理ソファーに座らされたカロルは、そう言って頬を掻いた。正面に座るティアナは不思議そうな顔で小首をかしげる。

「からかわれた……ですか?」

「いつもの意趣返しじゃないですか? まぁ、ああいう方なので、仕事中でも冗談や軽口は多いですしね」

 からりとそう言ってのけた後、カロルの顔色は曇る。

「ただ、こういう冗談まで言われるとは思ってなくて。その、少し……落ち込んでしまいました」

「落ち込んだって……。カロルはレオポールさまが好きなのですか?」

 少し前に、レオポールは自分とヴァレッドの恋人疑惑を晴らすべく、カロルを捕まえてティアナに『私たち付き合っています!』と宣言をしていた。しかし、あの時の話はカロルの口から嘘だとティアナに伝えてある。なので、ティアナの中でレオポールとカロルの関係認識は『仕事仲間』だ。

 ティアナの言葉に、カロルは首をかしげた。

「好き……なのかどうかのか。正直、そういう目で見たことはないのでわかりませんね。ただ、いい方だとは思いますよ?」

「では、なぜ落ち込むのですか?」

 ティアナの向けてくる純粋な瞳に、カロルは口元に笑みを浮かべたまま、困ったように視線を下げた。

「多分、期待をしてしまったんです。こんな嫁き遅れ寸前の私のことを、好きだと言ってくれる人がいたのだと。そう一瞬だけ期待をして、落とされた感じです」

「カロル……」

「……別にいいんですけどね! 今更普通の恋愛などは望んでいませんし! 脂ぎった老いぼれじじいに嫁がなくてよかっただけ、私の人生は万々歳ですよ!」

 ティアナとの出会いを思い出しながらカロルはそう言う。

 二人が出会ったのは、カロルが十歳、ティアナが九歳の時だった。当時、カロルの父親であるマルコスはティアナの父親に借金をしており、その関係で二人は出会った。

 最初、二人はそんなに仲が良いわけではなかった。というより、カロルが一方的に嫌っていた。しかし、ティアナの押しの強さに絆される形でカロルは段々とティアナのことを好きになっていったのだ。

 そうして、互いに友人と呼び合うような関係になったころ、マルコスが急に、カロルに縁談を持ってきたのだ。

 相手は五十を過ぎた肉付きのいい貴族の男だった。彼は社交界では有名な人物で、若い子を無理矢理侍らせては、いうことを聞かなければ鞭で打つという、黒い噂まで立っていた。しかも、無理矢理囲った若い子には娼婦の真似事をさせ、そのお金で彼の懐は潤っているという。

 その縁談にカロルは絶望した。貴族として、望まぬ結婚はある程度の覚悟はしていたが、まさかそこまでの相手だとは思わなかったのだ。しかも、マルコスはカロルを相手に嫁がせる代わりに、多額の援助を受けるのだと嬉しそうに語ったのである。

 その縁談を潰してくれたのが、ティアナだった。

 彼女はカロルの現状を父に告げ、

『これから先、お誕生日も、神の生誕祭も、お父様が視察に行ったときのお土産だって、何もプレゼントはいりませんわ! なのでお父様、カロルを私にくださいませんか?』

 と宣ったのだ。

 事情を知ったメレディス伯爵はティアナの提案を受け入れ、結婚相手が支払う金額と同じ額をマルコスに支払い、さらに借金を帳消しにしてくれたのである。

 そうして、カロルはメレディス家の侍女となったのだ。

「モレル伯爵の名前を借りるのも、二十歳になる今年で最後でしょうし。このままですと、本当に行き遅れですね」

 苦笑いでカロルは肩を竦ませる。

 モレル伯爵というのは、名義上カロルの婚約者になっている男性だ。マルコスの余計な横やりが入らないようにと、ティアナの父親が用意してくれた仮の婚約者である。あまり公にしているわけではないが、モレル伯爵は生涯独身を掲げている数少ない貴族で、メレディス伯爵とも懇意にしている。

「大丈夫です! カロルのお相手は私が見つけますわ! ツテがあるわけではないですが、一生懸命頑張ります!」

「やめてください。別に結婚がしたいわけじゃないんですから」

「でも!」

「私は一生をティアナ様に捧げてもいいと思っているんですよ? 私のピンチを救ってくれたのは、他ならぬ貴女なのですから」

「カロル……」

 話は終わったとばかりに、カロルはその場から立ち上がった。

「私の話なんかで、お手を煩わせてしまいすみません。でも、話してスッキリしました! ありがとうございます。ティアナ様」

「いえ……」

「さ、気分を変えて、今から夜会に向けて準備頑張らないといけませんね! バラの香油、買い足しておかないと!」

 カロルは明るくそう言って、部屋の扉に手をかけた。

「それではティアナ様、お休みなさいませ。よい夢を」

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公爵さまは女がお嫌い! 秋桜ヒロロ / 桜川ヒロ @hiroro1213

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