15
仕立屋から出て来る頃には、外はもう橙色に染まっていた。落ちかけた太陽が辺りを照らし、反対側の空からは夜の藍が伸びる。
ティアナとヴァレッドは近くに停めていた馬車に向かうため、大通りに出た。仕立屋の前には、納品のためだろうか、商人がよく使う背の高い荷馬車が止まっていた。
「あれ? ティアナ?」
ちょうどその荷馬車の前を通ったときに、その声はかけられた。二人は同時に振り返ると、そこにいる人物に目を丸くした。
「お前……」
「フレデリク様?」
「やっぱり、ティアナだ!」
喜んだような声を上げながら、フレデリクは荷馬車の影から出てきた。どうやら、ここに布や宝石を卸しているのはバートン商会らしい。彼は手に書類を持ったまま、ティアナ達に駆け足で寄ってきた。その後ろには先日見た、顔を隠した侍従もいる。よく見れば、彼の右目には眼帯がしてあった。どうやら顔を隠しているのは、顔に傷があるためらしい。
「こんなところで何してるの? もしかして、ドレスでも買いに来た?」
「そうなんです! 素敵なドレスがいっぱいで、こんな時間まで迷ってしまいました!」
「あ。そういえば、国王様の提案で夜会開かれることになったもんね。準備が多くて、女の子は大変だなぁ」
和気藹々と話す二人を見て、ヴァレッドの眉間に深い皺が刻まれる。それもそうだ。可愛くて仕方がない妻とその元夫が楽しそうに話をしているのである。これはもう、内心気が気ではない。
しかし、会話に入るのも大人げないと思っているのか、彼は二人の近くでじっと会話を聞いているだけで、口を出してはこなかった。
「ここの仕立て屋はどう? 気に入った?」
「それはもう! 素敵な物が沢山置いてありましたわ! レースの装飾がとてもお上手で、上品なのに可愛らしいとか。もう、眼福です!」
うっとりとそう言うティアナに、フレデリクは頷いた。
「それはよかった。さすが派手好きのナヒド公爵がパトロンになってるだけのことはあるよね。あの方、センスだけはピカイチだから」
「ナヒドが?」
聞いたことのある名前に、ヴァレッドは初めて口を開いた。
ナヒドというのは、玉璽を盗んだとされる犯人候補の一人だ。フレデリクは彼に向き直ると、ティアナに話すときよりも少しだけ固い声を出した。
「はい。この仕立て屋のパトロンになっているのがナヒド公爵らしいです。僕も詳しいことはわかりませんが、話は従業員から聞いたので間違いないかと……」
「そうか」
「なにか?」
「……いや」
まさかヴァレッドが自分たちを調べているとは思わないフレデリクは、煮え切らない彼の態度に首をひねる。
「そういえば、フレデリク様はなにをしておられるのですか?」
「僕は家の手伝いだよ。本当なら今頃は隣町の方に行って交易所の見廻りをする予定だったんだけど、国王様の指示でこの街に留まらなくっちゃならなくなったからね。その間はこっちで少しでも手伝っておこうと思って」
苦笑いを浮かべながら彼は肩を竦める。エリックから貰った報告書の通りに、ここに留め置かれている彼らは玉璽がなくなったことも知らないし、なぜ自分たちが留め置かれているのかも理解していないらしい。彼は続けざまに「でも、国王様もなんの用事だろうね」と困ったように頬を掻いていた。
「そういえば、ティアナは夜会に何色のドレスで行くつもり?」
「黄色ですわ! 実は、とっても素敵なドレスが見つかりましたの!」
「黄色かぁ。うん、とっても楽しみだ」
「うふふ。私もフレデリク様の装いも楽しみにしていますわ」
「……おい」
たまらずといった感じで二人の間に割って入ったのは、やはりヴァレッドだった。彼は二人の間に身を滑らせると、ティアナの手を取る。
「バートン準男爵、もういいだろうか? 俺とティアナは今から用事があるんだ。それに、そっちの彼もずっと君を待っている」
そう言って目配せしたのは、フレデリクの後ろに控える侍従だ。ヴァレッドと目が合った彼は、恭しく頭を下げてくる。
フレデリクは背後に視線を滑らせると、困ったような顔で頬を掻いた。
「あぁ、そうですね。つい楽しくて話しすぎてしまいました。……ティアナ、また今度」
「はい。また今度ゆっくりお話しましょう!」
妙に波長が合うのだろう。元夫婦とは思えない穏やかな笑みで、二人は別れの挨拶を交わした。
それからしばらく、ティアナはヴァレッドに手を引かれながら、まるで引きずられるように歩いていた。待たせていた馬車の前を通り過ぎ、花屋や雑貨屋の前を通り過ぎ、店の数もまばらになってきたところで、ようやく彼は足を止め、ティアナに振り返った。
困惑するティアナに、彼は静かな声を落とした。
「俺は心が狭いだろうか」
「へ?」
思わぬ言葉に、ティアナの口から素っ頓狂な声が出る。
彼は表情を曇らせたまま、握っているティアナの手にぎゅっと力を込めた。
「ティアナ、俺は君がアイツと話してるのが心底気に入らない」
「気に入らない?」
「君が優しいのはわかってるつもりだ。それが君の美点だというのも。けれど、君を一度でも傷つけたアイツを俺は許せないし、君に許してもらいたいとも思わない」
見上げてくるティアナに視線を合わせることなく、ヴァレッドは言葉を選ぶように自分の想いを吐露していく。
「ああいう風に約束を交わすのも見ていて嫌になるし、アイツの前で楽しそうになんて笑わないで欲しい。君に傷ついて欲しいと思っているわけではないのに、アイツの前では傷ついた顔でいて欲しいと思ってしまう」
「えっと……」
「どうして君は自分のことを傷つけたやつをそう簡単に許してしまえるんだ。恨み言の一つや二つ、言っても誰も君を責めはしないだろう。むしろ、もっと酷いことを彼はやったんだ。君は、それを忘れてしまったとでも言うのか?」
責めるような言葉に、ティアナは目を丸くする。しかし、すぐに柔和な表情になると、彼女はヴァレッドの手を握り返した。
「いいえ、忘れていませんわ。フレデリク様との楽しい思い出も、裏切られて驚いた瞬間も、自分のふがいなさに悲しく、切なくなった夜も。ちゃんと全部、覚えています」
「なら、もうちょっと……」
「それでも私が、フレデリク様との交流を楽しいと思ってしまえるのは、きっと、今がとても幸せだからですわ。ヴァレッド様」
ティアナはヴァレッドと繋がっている手を頬に当てた。そして、本当に嬉しそうな笑みを浮かべる。
「辛くなかったわけではないです。悲しくなかったわけでもないのです。けれど私は、あれらを乗り越えたからこそ、今の幸せがあると思っているんです。だから感謝こそすれ、フレデリク様を恨むなんてことは絶対にありません」
ティアナらしからぬ、強い言葉にヴァレッドは言葉を失う。彼女はさらに笑みを強くした。
「だから、私がいま笑えているのは、ヴァレッド様のおかげなんです。私を幸せにしてくれて、どうもありがとうございます!」
「……参ったな」
ヴァレッドはティアナと繋いでいない方の手で自身の髪をかき混ぜた。
「そんなふうに言われたら、もう笑うなとは言えないじゃないか」
そう言う彼は苦笑いを浮かべていた。眉をハの字に寄せる彼の顔が面白かったのか、ティアナの肩は小刻みに揺れる。
「うふふ。でも、こうやって聞くと、まるでヴァレッド様が私に妬いてくださっているみたいですわね!」
「『みたい』ってな……」
「ちょうど先日読み返した【魔法使いと異国の姫君】の中で、同じようなシーンがありましたの! 主人公であるエミリーヌには、実は幼い頃から仕えてくれている騎士のハンスという友人がおりまして! その彼とエミリーヌが仲良くしているのを、たまたまジェロが見てしまうんです! それでジェロはエミリーヌに詰め寄って……」
大好きな小説の話になり、ティアナの話に火がついた。そのまま彼女はつらつらと、その小説のどういう部分がよかったかを克明に語る。
「――ということで、二人はすれ違いを乗り越えまた一つ絆を深くするんです!! そのシーンでジェロが言う台詞が、ちょうど先ほどのヴァレッド様みたいな台詞で。さっきは内心ちょっとときめいてしまっていました!」
「……」
「ふふ。すみません。私に嫉妬だなんて、なんだかおこがましいですわね」
今度はティアナの方が苦笑いを浮かべる。彼女は頬に当てていたヴァレッドの手を下ろすと、踵を返した。
「ヴァレッド様、帰りましょう! もう日も落ちますし、私は早く帰って、このときめきのまま、もう一度あの部分を読み返さなくてはいけないのです!」
そう言ってティアナはヴァレッド腕を引いた。しかし、彼は動かない。まるで彼の靴の裏が地面とくっついたかのようだった。
「ヴァレッド様?」
「……妬いてるんだ」
「へ?」
「君の言うとおりだ。俺は妬いてる」
そう言う彼の顔は、これでもかと言うぐらい赤くなっていた。夕焼けのせいで彼の顔はただでさえ赤く見えるのに、そんなものなど霞んでしまうぐらい、彼の顔は紅潮していた。
「さっきは『アイツと君が楽しそうに話すのが嫌だ』と言ったが、そもそも俺は、君が俺以外の男と話すのが気に入らない」
奥歯を噛みしめるその表情はどこか苦々しいのに、まったく怒っているようには見えない。
「なのに君は、話すどころか膝の上に乗ってみたり、手を握ってみたり、襟ぐりの深いドレスを選んでみたり。……そんなもの、俺にだけにしていればいいと、見せれば良いと、何度思ったかわからない」
ヴァレッドの言葉と表情に、なぜカティアナの顔もつられて赤くなった。
(なんだかこれって……)
ヴァレッドの姿はまるで、エミリーヌを思うジェロのようだった。彼がジェロなら、エミリーヌ役はもちろんティアナである。
(まさかヴァレッド様も、私のことを――……)
そんな風に思い上がりそうになった思考を、ティアナは必死に押し留めた。そんなことはないと、勘違いはよくないと。彼女は自分に言い聞かせる。
ヴァレッドはティアナの手を離し、懐から見覚えのある化粧箱を取り出す。そして彼は箱の中から一つを手に取り、ティアナの耳に触れた。
「え?」
カチャカチャと慣れない音が耳元で聞こえる。そうしてヴァレッドが手を離すと、その重みで頭が横に傾いた。
「何かが、耳に……」
何がついているのかとティアナが耳に手を伸ばすのと同時に、ヴァレッドはもう片方のティアナの耳に触れた。そしてまた金属音。両側に均等な重みがくっついて、ティアナは目を瞬かせた。
「これって……」
ティアナは、たまたま隣にあったショーウィンドウに自分を映す。そこには先ほどの仕立て屋で見たイヤリングをつける自分がいた。
「え、……これは?」
「こういう贈り物で君が靡いてくれるとは少しも思わないんだが。……贈りたくなった」
ぶっきらぼうにそう言って、今度はヴァレッドがティアナの手を引いた。つま先は馬車の方へ向いている。
「それは誰にも貸すなよ」
振り返ることなくそう言う彼に、ティアナは顔を赤く染めたまま「……はい」と一つ頷いた。
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