第2話―遠い記憶―
02
強烈な日差しによって、かさかさになった表面。風化により四角い角は丸くなっている。倒してしまった方がいい。そう思えるほどに足場は不安定である。太陽に向かって伸びる岩は、元々日高本家の支柱だったものだ。
頂上に一粒の水滴が落ちた。瞬く間にコンクリートに吸い上げられ、蒸発していく。水滴を落とした主は、大きく伸びをして空を見上げた。
「んー、今日もいい天気だなー」
千隼の視界には雲一つない大空。太陽に左手をかざすと、指の隙間から光が刺さる。指を動かせば動く輝き。それは、自分で操っているかのよう。時折腕を撫でるそよ風が、とても心地よく感じていた。一人で存分に愉しんだあと、すっと起き上がる。
「風はまあまあ、六十八点。及第点ってとこかな」
千隼は横にあった細長い板に手をかけた。ジェットスプリング・ホバーボードと呼ばれる乗り物だ。特殊な磁場を発生させることで浮遊・移動できる、一人乗りタイプのエアドライバーである。デッキは青。白文字で「ZAS」と書かれている。
地球のコアに反応し、磁力の強弱によって浮遊できる乗り物は他にも沢山あるが、その中でもホバーボードは爆発的な人気を誇っていた。
つま先部分をベルトで固定し立ち上がる。左手にグリップ型のコントローラー、ハンディを装着。動作確認後、左足のかかと部分を横にずらして起動パネルを踏んだ。すると、ボードに正気が宿り、数十センチ浮遊する。ハンディのトリガーを引くと、後方部分に付いているブースターからエアーが発射。まるで空気の上を滑っているかのように進んでいく。
千隼の目の前に広がる第十四ブロックは未だ荒れ果てた土地のままだ。隆起と沈降が繰り返され、大小の丘が無数におりなし、町であったであろう残骸がそのままの形で残されている。形式的な名のない再開発区画、E2ブロック。再開発のめどは立っていない。
千隼は、崩落した街の上を通過していく。震災後からかなりの歳月が経っているため、草木が自由に生い茂っている。それでも、国が作った国道は少なからずある。しかし、必要最低限のコストで作られた通りは、瓦礫をかき分けて作られた簡易的な道路。障害に突き当たれば曲がり、陥没した先では大きく迂回しなければならない。蛇がくねくねと通った後のようで、皮肉にも交通の便がいいとは言えない作りだ。
横浜ブロックは、重点的に再開発・再構築が進み、災害前よりもはるかに発展した近代的な区画。「横浜」の地名も残されている。
中心部である聖華横浜は、日本を代表する第四首都だ。東京、大阪、富士、横浜、北九州、琵琶湖――昔の首都だけでなく、復興開発のため新しい首都も出来た。しかし、あの災害から八年の歳月が経った今でも、首都近郊以外は荒れ果てた土地のまま。首都が大いに発展しているだけあってその差は目立つ一方であった。
二一〇四年、第三次世界大戦が起き、世界中で沢山の死者が出た。主役は「人」ではなく「アンドロイド」。人型のアンドロイドは研究に研究を重ね、ついに人と同じ動作が出来るようになった。もはや人の手で人を汚す必要はない。
戦争の発端は、地底に眠る天然化合物の所有権の争いからである。人工的に作ることができない天然化合物は希少価値が高すぎた。特に、四大天然特殊化合物の一つであるカーボノイドは、軽くて非常に強い強度をもつ物質、カーボンナノファイバーの材料だ。
アリューシャン列島とミッドウェイ諸島のちょうど真ん中に位置する公海で大量に見つかったカーボノイドは、国連配下の国際商事協会で管理し分配されていた。しかし、金に躍らされた上層部の腐敗により適正分配がなされておらず、それが公になる。それに反発した某国が協定を破り自国発掘に乗り出し、衝突が起きたのが発端だ。
その後、思わぬ形で休戦を余儀なくされる。
二一〇五年、硫黄島での人工化合物開発実験が失敗。核燃料が漏れ出し世界的大混乱が起こる。事前に発明されていた空間消滅装置、可分粒子衝突器「スプライト」により、空間の素粒子そのものを消して汚染物質の流出を最小限にとどめることに成功。しかし、空間そのものが消滅してしまったため世界がゆがみ、世界的大災害「クライオブジアース」が起こる。
二一〇五年、一時休戦。二一〇七年、世界平和条約が結ばれたのだった。
千隼は、腕時計をちらりと見る。
「まだ時間があるな」
区画線を超えた辺りで舵をきり、白い道に沿って進む。白の正体は、細かな砂。地下深くから盛られた人工的な盛土だ。地中にはチップが等間隔に埋め込まれており、人や動物などが区画線を越えたことが衛星を通して分かるようになっていた。また、大都市の区画線には、野生獣が入り込まないよう特殊な粒子がまざっている。人害はないが、植物は根を張れない。何もないまっさらな砂漠道だ。
千隼にはお気に入りの場所がある。区画線に影を作る巨大なアーチ。変形した高架橋は、白線を半分以上覆いかぶさっている。クライオブジアースで発生した高圧電磁波の影響でできた歪な残骸。オブジェは年々傾き続けていたが、レールのおかげで大きくしなり、不思議なアートとかしていた。
減速して影の中に入る。徐行しながら、
「今日もよろしく」
一言述べた後、急浮上し、レールの突き出た先端に腰を下ろす。
バックパックの中に腕を突っ込む。ガチャガチャと音立て、目当てのものを手探りで探す。取り出したのはキューブ型の塊。中心部にある丸い出っ張りを押すと、折りたたまれていた翼が左右三本づつ伸び、短いアンテナが中から飛び出す。コインを弾いたような音に合わせて、千隼の手のひらから飛び降りた。浮遊しているのは第三世代型アンドロイド、AP199「エアロキューブ」だ。
『起動中起動中……声紋認証が必要でス。コードをお願い致しまス』
「世界一のホバーボーダーになる男」
『認証致しましタ。ホスト、千隼様ですネ。……プェンツァー起動確認。スタンバイ。いつでもご命令下さイ』
「ボードの練習するから、サポート頼む。ボードと同期して補助頼むわ」
『了解しましタ。……同期完了。ホルダー残量が残り十四パーセントですネ。このまま続行しますカ?』
「別のホルダー持ってきてるから、五パー切ったら教えてくれ」
『了解しましタ』
バックパックに縛り付けてあった黄色のゴーグルをつけ、左耳にイヤホンマイクをさす。
「カニパン、とりあえずレベル六の技から行くわ」
『了解でス』
カニパン。これは千隼がマイアンドロイドにつけた名前だ。名前の所以は、影がカニパンそっくりだから。カニパンはブースターの前に腰を下ろし、羽をたたむ。いつでもいいのよと言っているかのように、中心部のカメラをグリグリと鳴らした。
レールが突き出ている先端。緩やかな風でさえ、鼻先は大きく揺らぐ。十字架のように立つ千隼。目は瞑ったままだ。
一本の雲が千隼と太陽の間に入る。体の火照りが次第に抜けていく。
――風が心地いい。
大地の吐息とそれにゆっくり答える金属音。それ以外何も聞こえない。
指の隙間を通る風。素早く掴む。優しく掴む。すくうようにして掴む。どんな工夫をしても透明な生き物は手のひらから逃げて行く。残るのは彼らがいた、感覚だけだ。千隼はある人の言葉を思い出す。
『風はよお、いつだって思い通りにゃあいかねーんだ。強気で攻めると蹴飛ばされ、優しすぎるとフラれちまう。ワガママな女そのものだ』
とある人物との数少ない記憶。大っ嫌いな人気者の記憶。女ったらしですぐに酔っ払うアイツの記憶。なくていい、忘れてしまっていい。そう思っていても脳の奥に残っているもの。薄っすらとした記憶が頭の中を回り始める。
『んでだあ、ヒッ、風を掴むにぁ、まず、風に好かれにゃなんねえ。好かれて初めて触れることを許される。いいか、目先の風にのろうとするな。自分の風が来るまで待て。口説くのはそっからだ』
隣の少年をばしばしと叩きながら大笑いするガラの悪い人物。千隼はその顔を思い出しそうになり舌打ちをした。
いきなり閉じた拳は、力みにより小刻みに震える。体を反らせ、大きく息を吸い、薄っすらと瞼を開く。
――風は待つもんじゃない。
ゆっくりと流れる雲。その切れ間からは薄っすらと日差しが入る。辺りに日陰を作っていた小さな雲は右から左へと進み、また太陽が顔を出す。
日差しが千隼を照らすと、瞳は反射的に閉ざされる。体の中に溜め込んでいた酸素を吐き出すと、脱力と共に頭から落下した。
『フォールダウンスタートですネ。地上十二メートル以上で磁力を最大にしてブーストして下さイ』
「……了解。カウントダウンはいらないや」
重力に逆らわず、地面へと向かう。T字に見える落下物は次第に加速していく。千隼の目は瞑ったままだ。
――風は待つもんじゃない……。
脳裏に浮かぶ過去の記憶。それが千隼をいらださせている。見えない何かを握り潰したような拳は、閉じたままだ。手のひらが開いたとしても、くしゃくしゃになったものはそう簡単に元どおりには戻らないだろう。
『マスター、マスター⁉︎』
「――わかってる」
瞬時に上体を起こし、起動パネルを踏む。薬指と中指の引き金を引き、スティックを強く下げる。いきなり強い磁場が発生したことで、ボードのソーサーと言われる部分が唸りを上げた。膝の曲がり様とフットベルトの軋みから、両足には強い負荷がかかっていることがわかる。地面すれすれでボードは静止。フワッと白い土埃が舞いあがる。
「わかってる。わかってるさ、そんなこと。わかってるんだ」
指先で砂に触れる。トンと叩くと、白い渦をまとわせながら加速した。すれすれの距離でボードを走らせたかと思えば、急上昇してトリックを決める。
風の流れを利用せず、風を切り裂き、自分で道を作る。次々と難易度の高いトリックを決めていく。とても豪快なライド。そして、とても危険で強引な走りだ。
――自分の風なんてなびきはしないんだ。
アーチのてっぺんに差し掛かったところで、両足の留め金を外す。磁力を弱めてボードにぶら下がると、重力に引かれ、ゆらゆらと落ちていった。
『お見事でス』
上級トリック「
急に、カニパンの丸いカメラがグリグリと音を立てながら動く。まるで、何かを捉えようとしているかのようだ。
『マスター、目の前から高速で接近してくる障害物あリ』
物思いに耽る千隼を、ふと我に帰らさせる。辺りを見渡すが、何も見当たらない。
「ん? 何もねーけど」
『いえ、スコープ機能に映っておりまス。今すぐ上空に
「キックアップって。お前またバグったか? この前もそんなこといって前日のデータとごちゃ混ぜになってただけだったじゃんか。お前には知ったことじゃねーだろうけど、お前の検査って、かなりの金が取られるんだぜ。しかも自分の小遣いで――」
『危険危険』
向かい風。強い向かい風だ。しかし、風を体で受けているはずなのに感覚がない。空気を切る音が聞こえない。「魔女の風」と言われる錯覚状態。事故の前触れと言われ、風の乗り手ならば、すぐさまその場から遠ざかる。しかし、イタズラな風に騙されて、自分の変化に気がつけない。魔女の手によって、危険な気流に誘導されている。
気をつけていれば気づけたはずだ。まっさらな白い道に二本の直線。遠い先から繋がっている。土埃に気づいた時には、
見えないナニカがすぐそこにいる。違和感を反射的にとらえ、身体をそらす。胴体の横をかすめていくナニカ。避けきれる。そう、思った。
『たすけて』
どこから聞こえてきたかも分からない声。もしかしたら千隼の空耳だったかもしれない。結果的に意識をそらしてしまった千隼は、バランスを崩してしまう。ボードのエッジにナニカがぶつかり、身体ごと放り投げ出される。
「ぐぁぁぁっ」
なんとか態勢を戻そうと試みるが、時すでに遅し。そのまま砂地に向かい、豪快に転がっていく。めいいっぱい曲がっていく二本の線は、高架橋の断片にぶつかり大破。煙を上げる潰れた塊は、徐々に透過エフェクターが外れ、トラックであったことが分かる。
千隼は爆発音がなり止むのを待ってから顔をそっと上げた。
「な、なんなんだ」
千隼は恐る恐るトラックに近いた。
✳︎ ✳︎ ✳︎
アンドロイド・イクスプェンツァー 満月ノヨル @marco8
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