5歳の写真、3か月の写真 (X+14年 12月)
【岬の独白。できごとのあとで、岬が口述し、ひろ子が書きとめた。】
ともよが5歳の誕生日をむかえた。
うちには誕生日パーティーをする習慣はない。高丘養育園では誕生日を話題にしなかった。ほんとうの誕生日がわからない子もいるし、生まれたときの事情がふせられているばあいもあるからだ。しかし、ひとりずつ「だれだれの日」という記念日のようなものはあった。そして、岬の日は T岬の公園で発見された日で、そのとき生後5時間以内と診断されているから、誕生日でもあるはずなのだ。ひとみさんは、茂くんの誕生日を、いつもの食事にちょっとデザートをふやす形で祝っていた。わたしを養子にしたから同じようにしようかと言われて、おことわりしてしまったのだけれど、ひとみさんは毎年「岬の日」に、会えなければ電話で、声をかけてくださる。
しかし、ともよが生まれた日は、特別な日なのだ。わたしにとっては、はじめての出産にくわえて、大学教員になる可能性がとびこんできた日で、その電話をうけたひとみさんにとっても大事件だった。だから、ひとみさんはその記念日のあとなるべく早い仕事のない日に、うちに来てくださる。
そのうえ、ともよが誕生日をむかえるごとにやっていることがある。大学の美術科の望月先生のもとで学んでいた
今年は去年までとちがって、ともよの弟のワタルがいる。3か月の乳児だから、会話にはくわわれないし、いつ泣き出すかわからないのだけれど、ひろ子さんがのり子ちゃんといっしょに見てくれるので、わたしは白鳥さんとのうちあわせができる。
そして、なんと、望月先生も来てくださることになった。白鳥さんの写真制作現場を見たいのにくわえて、ひろ子さんにも話があるとのことだった。
白鳥さんがとった ともよの組み写真を、うちの家族でひと組もらっている。それをふだんは ひとみさんが持っている。勤務とのかねあいで孫の顔をみる機会がすくないからそのかわりに、というつもりでそうなったのだけれど、看護婦である ひとみさんは、小児科のお医者さんや保母さんといっしょにやっている地域の子そだて講座の講師になったとき、乳幼児の発育についての教材としてその写真をつかうことにした。科学者でもあり親でもあるわたしのわがままで、1か月ごとにまえのときからの成長が読みとれるように注文をつけてしまったのだけれど、それがちょうどよかったのだ。最初の1歳 0か月のときは、まだひとりで立てなかったのだけれど、立てるようになったときの姿勢を予想して、なるべくそれに近いかっこうでつかまり立ちさせたのだった。その後もそのときつかまっていた台を入れて、長さが比較できるようにした。(その台は大学のものだから、家でとるときには同じ高さのついたてのようなものをつくって入れた。) そして、白鳥さんもわたしも、からだの輪郭をとらえた写真にしたいが、裸にはしたくないと思ったので、おむつをはずして、薄手の下着とスラックスをはかせた。作品はからだがしだいに成長していったことが感じられるものになった。
ただし、最初の回に、ちょっと悲惨なことがおきた。着がえさせていざ撮影というとき、小だけでなく大までもらしてしまったのだ。まだ尿意・便意をおしえることができなかったころだから、当然おこりうることだった。しかし着がえの予備を用意していなかったので、撮影は中止になった (日をあらためてやりなおした)。わざわい転じて福もちょっとあって、からだを洗ってもらって気もちよさそうにしている ともよ のスナップ写真がとれた。白鳥さんの作品のうちでも傑作だと思うのだけれど、すっぱだかの女の子の写真だから、ともよ がおとなになって自分で公開の可否を判断できるまでは非公開にしてある。ともよが公開を許可してくれるとよいと思うのだけれど、そのためには ともよ にとって白鳥さんに写真をとってもらうのがうれしいことでありつづける必要があるだろう。
きょう、ともよは、ひとみさんが持ってきてくれた組み写真を興味深く見ていた。望月先生は、「自分の写真をみている ともよ の写真」や「組み写真をつかって子どもの発育を説明している ひとみ先生の写真」や「写真をとる準備をしている白鳥さんの写真」をとった。大学の教育研究報告誌にのせる原稿にいれたいとのことで、それぞれうつされた人の了解をとっていた。白鳥さんは共著者になる。わたしがつけた注文とひとみさんによる活用の話をしっかり書きこむならば、わたしとひとみさんも共著者にくわわったほうがよいかもしれない。まず望月先生が下書きをして、それを見ながら相談することになった。きょうの集まりは、大学教員たちとそのまわりの人たちの業務うちあわせの場にもなっているのだ。
ともよの 5歳の記録写真の撮影は、つつがなくすんだ。組み写真にいれる写真の現像はこれからなのだけれど、即席現像の写真もとって、4歳までの写真の横にならべてみた。ともよ は ひとみさんのまねをして 子どもの発育の説明をはじめた。ひとみさんにまちがいを訂正され、ともよ はおばあちゃんにはすなおなので、なんどかやりなおすうちに、ほぼ正しい説明になった。
それから、ワタルと のり子ちゃんの写真もとろうということになった。ふたりが手をとってふれあっているようすはほほえましいのだけれど、そういう写真がのこってしまうと、大きくなってそれぞれ別々の人とおつきあいするときにさしつかえるかもしれない。ひとりずつ記録写真をとることにした。ここでも、おむつのままではなく薄着にしてからだの輪郭を記録したいと思った。着がえはある。しかし、まさに「ややこ」だから、ややこしいことがおこりうる。
ワタルのおむつはぐっしょりぬれていて、かえるべきときだった。そのおかげで、着がえから撮影はとどこおりなくすんだ。ところが、のり子ちゃんは、お乳をたっぷり飲んだあとなのだが、おむつはかわいていた。どうしよう。おまるを持ってきてのせてみたが 、まだひとりですわれないのでささえてやらないといけないし、のり子ちゃんはおまるがなんのためにあるかわかっていない。
ここで、ひとみさんが、「ちょっとさわらせてね」とことわって、軽くたたいたりさすったりしているうちに、おまるに水が落ちる音がした。看護婦として乳児の尿をとるときの技術をつかったのだが、しろうとがまねるとあぶないので解説はしないとのことだった。「ひとみおばあちゃんの魔法」ということになった。
今回の のり子ちゃんの記録写真にはひとつ大事な目的がある。ひろ子さんが、のり子ちゃんの父親に、これからどうかかわってもらうかを交渉するために、高丘養育園の顧問の法律家の先生の助言をもらって、手紙を書いている。それに入れるのだ。何枚かとってもらったもののうちで、かわいい感じのものではなく、乳児ながらひとりの人として意志をもっていると感じられるものをえらぶことにした。
のり子ちゃんとワタルが眠りについて、ひろ子さんがまた出てきた。ここで、ひろ子さんがナレーションをつけてくれた水面の波の実験の動画をいっしょに見ることにした。波と波が出会って、山と谷とが強めあったり弱めあったりするのだが、波は結局もとのままの形でつたわっていく。はじめて見る ともよ と ひとみおばあちゃんが また見たいというので、なんどもくりかえし見た。
この動画制作の報告も、わたしと、望月先生と、動画を撮影してくれた卒業生と、水槽実験の先達である長沢先生との共著で、教育研究報告誌にのせる予定で、わたしが原稿を書く約束をしている。ハジメくんが中学生に見せて何がつたわったかの報告もいっしょにするか別にするかは、書きはじめてから相談することになった。
望月先生からひろ子さんへの話は、その動画を撮影した人が就職した動画制作会社でパートタイムのナレーションの仕事があるということだった。波の実験のナレーションに熱心にとりくみ、そのときおなかにいた子の名まえも「のり子」(漢字はあてないことにしたが、あてるとすれば「宣子」) にしたひろ子さんにとって、とてもありがたい話だ。ひろ子さんは、2年生を2年かけてやることにして、今学期は毎週2日、のり子ちゃんを保育所にあずけて大学の授業に出ている。そのほかの日の在宅の仕事ならばできそうなのだが、週1日でよいから会社に来てほしいという話なので、のり子ちゃんを保育所にあずける日を追加できるか、わたしか茂くんが家にいる日にあずからないといけない。会社のほうは土曜日でもよいそうなので、なんとかなりそうだ。応援したい。
岬 顕巨鏡 @macroscope
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