【アルビレオの観測所】


「いいか、せーので引いてくれ。……せーのっ!」

「んぐぐ……、っはぁ! あ、ありがと、みんな……」

 タオをはじめとする四人の手に引き上げられ、どうにか僕は車内に上がり込むことができた。今回ばかりは本当に危なかっただけに、生きているという実感がじわりと胸に広がる。

「エクス、よか……はうっ」

「ジョバンニ……! 本当によかった、もう一緒に旅を続けられないかと思ったよ……っ」

 レイナを弾くようにして僕に抱きつくと、カムパネルラは泣きそうな声でそう言った。

「でも、この人たちは一体……」

 カムパネルラは僕以外の仲間を順々に見る。隠せるところまでは隠したいところだったが、言い訳のきかない形でみんなと一緒にいるところを見られてしまった。こうなってしまった以上、下手にごまかすよりは正直に話してしまったほうがいいかもしれない。

「えっと、カムパネルラ。話すと長くなるんだけど……」

「ちょっとストップです。ここ、最初に乗っていた車両からはだいぶ離れていますよね。シェインたちの素性は歩きながら話すとして、ひとまず運命から遠ざかりすぎないようにしませんか」

 シェインの提案に、カムパネルラは神妙な顔でうなずいた。

「そうだね。ぼくたちがいたのは先頭から二番目の車両だから、かなり遠いけど……急いで戻ろうか」

 カムパネルラの後ろにタオ、シェインが横並びになり、そのすぐ後を僕が続く。レイナは頬を膨らませながら、少し距離を置くようにして歩いていた。

「レイナ、どうしたの? えらく不機嫌そうだけど……」

「別に、私はいつも通りですけどっ」

「お嬢は本当にわかりやすいな……」

 タオが呆れたように言ったが、僕には何のことか、いまいちピンとこなかった。

「一番うしろの車両に乗れたのはラッキーだったかもしれません。本物のジョバンニさんがどこかに隠れているとしたら、ここから先頭の車両までしらみ潰しに調べていけばいいんですから」

 シェインが小声で言う。言われてみれば、タオは左側の席、シェインは右側の席を集中して確認しているようだ。さすがは義兄妹、息がぴったりである。僕も、万が一ふたりが見逃したときのために、左右の席をうかがいながら進むことにした。

「君たちのこと、聞かせてもらっていいかな」

 隣の車両に移ると、間もなくカムパネルラが口を開いた。どこから話したものかと迷っていると、先にタオが答える。

「俺はタオ。タオ・ファミリーの大将だ。あまり大きい声じゃ言えねーが、この想区の外からきたん……」

 すると、レイナが聞き捨てならないといった様子で僕を押しのけ、隣に並ぶ。そのままタオの言葉をさえぎった。

「私はレイナ。調律の巫女一行のリーダーよ。この想区を危機から救いにきたの」

「タオ・ファミリーだ」

「調律の巫女一行よ」

 いきなりふたりの調子に飲み込まれ、カムパネルラは困惑したように僕とシェインへ視線を送る。

「えっと……タオ・ファミリーと調律の巫女一行っていうのは、どう違うのかな?」

「あまり気にしないでください、タオ兄と姉御は色々と残念な方々ですので。ただ、シェインたちがこの想区を守りにきたというのは本当です」

「守るっていうのは、さっきの化物たちから……?」

 恐怖を思い出したのか、カムパネルラは不安そうな顔で僕を見つめた。

「うん。あの化物はヴィランっていって、想区を破壊しようとするカオステラーに操られているんだ。ごめんねカムパネルラ。僕の名前はジョバンニじゃなくて、本当はエクスだよ」

「エクス? じゃあ、本当のジョバンニは一体どこに……」

「僕たちも探しているところなんだ。カムパネルラ、心当たりはない?」

「ううん……運命の書のとおりなら、あの席に座っているのはジョバンニのはず。ほら、汽車で最初に顔を合わせたときの、あの席だよ。だからてっきり、ぼくはきみがジョバンニなんだと思い込んでいたんだ」

「やっぱりそうなんだね。この運命の書を僕が拾ってしまったせいで、本物のジョバンニはここに来られなくなってしまったのかもしれない……」

「もしジョバンニがカオステラーなら、そんな法則はねじ曲げてくるんじゃねーか。あんだけ沢山のヴィランを湧かせられたんだから、そう遠くにはいねーだろーしよ」

 タオの言葉に、カムパネルラは驚いた様子で振り返った。

「ジョバンニが……!? そんな、まさか……っ」

「タオ兄、物事には順序があります。いきなり結論から入っては警戒されるだけですよ」

 シェインの指摘を受け、タオは困ったように頭をかいた。

「す、すまねえ、カムパネルラ。よく知らねえが、ジョバンニはその……お前さんの友達なんだもんな」

「うん……いいんだ、ちょっと驚いただけだから」

 友達。その言葉に、僕はなぜだか引っかかりを覚える。しかし、すぐにレイナが事情を話し始め、僕の違和感は有耶無耶うやむやになってしまった。

「私たちはこの想区にやってきてすぐ、丘の上で運命の書その本を見つけたの」

「俺の記憶では、見つけたっていうより踏んづけて転んでたぞ」

「おふざけは禁止! それでね、エクスが持っているときに転移が始まっちゃって……気づいたら汽車の中ってわけ。だから私たち、この想区のこと、まだ全然知らないのよ。特に、どれくらい運命からずれてしまったのかはすぐに知りたいの。取り返しのつかないことになる前に、どうにかして“調律”しなきゃ……」

 レイナの言葉を受けて、カムパネルラはしばし考え込んでしまった。何両目かの出口までやってきたところで、彼は振り返る。

「この次が、僕たちの最初に乗っていた車両だよ。この想区については、運命の書の記述を追いながら話そうか。その方が、君たちにとってもわかりやすいと思うんだ」

「ええ、助かるわ。でも、私たちまでついていってしまって、運命の方は大丈夫?」

「もともと色んな人が乗ってくる車両だから、少しくらいの異変なら問題ないんじゃないかな。絶対とは言えないけど……」

 カムパネルラは隣の車両への扉を開ける。しかし、僕の目の前で、なぜかタオが足を止めてしまった。

「わりい。お嬢、シェイン、それにカムパネルラ、先に行っててくれ。ちっとな、坊主とふたりで男同士の話があるんだ」

「え、僕?」

 ふたりで話すようなことに、心当たりはなかった。何か重要な作戦でもあるのだろうか。

「タオ兄、あまり新入りさんをいじめないでくださいよ。それはシェインの仕事ですので」

 物騒なことを言い残して、シェインはレイナ、カムパネルラと一緒に隣の車両へ移っていく。扉が閉まると、タオは難しい顔で腕を組んだ。

「どうしたの、タオ」

「なあ、坊主。お前はさっき、命を張って仲間を守った。それは立派なことだし、本当に勇気のある行動だったと思う。でもな、その前の戦いで、坊主は白の女王を早めに引っ込めただろ。あの女王さま、まだ戦いたがってたように見えたぜ」

 確かに、栞を表に返そうとしたとき、白の女王は『まだ戦える』と言っていた。だが、あの状況で彼女に無理をさせるのは、僕にとって、自分が傷つくよりも辛いことだったのだ。

自分てめーの命は好き勝手張るのに、他人に命は張らせねーってのは、あんまり感心しねーな。優しいのは坊主のいいところだけどよ。相手の気持ちを尊重するのも、優しさなんじゃねーか」

 そう言って、タオは静かに微笑んだ。白の女王の気持ちを、僕はないがしろにしてしまったのかもしれない。

「……ありがと、タオ。少し、考えてみるよ」

「いいってことよ。さ、似合わねー説教はお終いだ。さっさとあいつらのところに行こうぜ」


 ◆ ◆ ◆


「やぁやぁ、ようやっとお揃いですかい。汽車に乗り込んでみたら誰もいねぇなんざ初めてだったもんで、ちょっくら焦っちまいましたぜ」

 車両をまたいだ僕たちを見るなり、ひとりの男が声をかけてきた。毛皮の服を着て、白い包みをいくつも抱えた、いかにも猟師といった風貌ふうぼうの男である。

 カムパネルラは元いた席、レイナは通路を挟んでその反対側に腰かけていた。シェインはレイナの隣で銃をばらばらに分解し、再び組み立てている。彼女の向かい側にいる猟師のような男はその手際を見て、うん、とかほう、とか感心したようにうなっていた。僕とタオは目配せをし、空いているカムパネルラの向かいに並ぶ。

 しかし、『初めてだった』とは――。

ジョバンニは何だか変だね』

 カムパネルラの最初に言っていた言葉が思い出される。あれは聞き間違いなどではなかったのだ。

「あんまり妙なもんだから、灯台もりの旦那は隣の車両へ確かめに行っちまいましたよ。とはいっても、向こうにゃ一両しかねぇんで、すぐ帰ってくるたぁ思いますがね」

「あなたはどちらまで?」

「いやなに、あっしはすぐそこで降ります。鳥を捕っちゃ売るってな商売をやってるもんでね」

「鳥って、何の鳥ですか?」

つるがんです。さぎや白鳥も捕りますなぁ」

 カムパネルラと鳥捕りさんは、まるで運命を消化するような口振りで会話を交わした。どこか棒読みで、ひどく手慣れているような印象を受ける。

「なんだか事務的ね」

「不本意ながら、シェインはちょっと親近感が湧くのです」

 レイナとシェインが言うと、鳥捕りさんが目を丸くして答える。

「そりゃ当たり前でさぁ。こちとら、毎日毎日おんなじことの繰り返しなもんで。あっしはね、これでもう何千何万と、この子らに自分の捕った鳥を見せ続けてんだ」

「繰り返し? 何千何万と? 確かに想区は同じお話を繰り返すものだけど……」

 レイナは困惑したように言う。彼女の言うとおり、想区は原典となるストーリーを元に同じ筋書きを繰り返す小世界だ。しかし、繰り返すとは言っても、それは代替わりを経て行われるもの。同じ筋書きを同じ住人が繰り返すという話は聞いたことがない。

「おかしな人たちだ。ここは“書きかけの想区”ですぜ。あっしらの運命の書にゃ、明日のことなんざ、なァんにも書かれちゃいねぇんだ。銀河鉄道ここの運命に結末なんちゅうもんはねぇんです」

「書きかけの想区……!?」

「そうだよ、ここは未完の物語を舞台とした想区。を繰り返すだけの、永遠に終わらない一日さ」

 カムパネルラは、言葉にできない複雑な表情でそう言った。決して恐れや憂いの表情ではない。むしろ、その反対のようですらあった。彼は自分の運命を受け入れているのだろうか。

「さっきの……そう、今の状況がどれくらい運命からずれているのかという質問に答えるなら、幸い、ほとんどずれていないよ。きみが乗り遅れそうになったときは、本当に危なかったけれどね」

 僕たちは何も言えず、ただ顔を見合わせる。カムパネルラの言葉は、深い染みとなって心に残った。

「失礼、切符を拝見いたします」

 いつの間にか、真ん中の通路には大きな男が立っていた。かっちりした制服のようなものを着ていて、胸に“車掌”の二文字が彫られたネームプレートをつけている。

「おっと。もう検札たぁ、時の経つのはあっという間ですな。まぁ、多少の前後くらいはお天道様も大目に見てくれるでしょうぜ」

 言って、鳥捕りさんはポケットから真っ黒な紙切れを取り出した。

「け、検札? えっと、その紙がないといけないのかな……」

「ちょっとかばんを貸して、ジョバンニ。きっと、この辺に……」

 カムパネルラは僕のことを敢えてジョバンニと呼んだようだ。本物のジョバンニが見つかるまで、僕を代役として運命をやり過ごすつもりなのだろう。僕が鞄を渡すと、彼はあちこちのポケットを開けて、中を探る。

「よし……あったよ、これだ」

 カムパネルラが取り出したのは、鳥捕りさんが見せたものよりもずっと大きな四つ折りの紙だった。そんなものを入れた記憶はないが、彼は僕の方へ当たり前のように差し出す。

 カムパネルラが車掌さんにねずみ色の切符を見せたため、僕は受け取った緑の紙を、見よう見まねで提示した。

「おや、こりゃ大したもんですぜ。緑色たぁたいそう珍しい。こいつをお持ちになりゃ、この銀河鉄道くらいどこまでも行けるはずでさぁ」

 通路の向こう側から鳥捕りさんが言う。やはり棒読みだったが、車掌さんの反応を見るに、言っていることは本当らしい。

「ワイルドの紋章といい、新入りさんは特別待遇が多いですね」

「や、やめてよシェイン。そんなんじゃ……」

 ワイルドの紋章とは、僕の導きの栞に発現した、すべてのヒーローとコネクトできる紋章のことだ。

 普通、導きの栞は表と裏に、それぞれ相性のいい性質の紋章が浮かび上がる。例えばレイナはヒーラーとアタッカー、シェインはシューターとアタッカー、タオはディフェンダーとシューター。僕の場合はちょっとした例外のようなもので、どんな人にでも共感できるために発現したオールラウンドの紋章と言われている。だが、それは特別というよりも、きっと、僕が何も特別なものを持たないことの裏返しだ。

「いえ、別に意地悪で言ったわけではないんです。ただ、こういう特別な切符を与えられるような人は、物語のに多いのではないかと思いまして」

 シェインの言葉に、僕ははっとした。みんなの視線がカムパネルラに集まる。

 カオステラーは、想区の中でも大きな役割を持つ者に憑依ひょういすることが多い。それは、運命の書が詳細に書き込まれていればいるほど、自分自身と役柄のあいだにある感じ方、考え方の差が浮き彫りになるためだ。ジョバンニが主人公だとすれば、より一層カオステラーの可能性は高まる。

「そうだよ、ジョバンニはこの想区の中心。ぼくカムパネルラという親友の死を永遠に繰り返す、悲しい主人公さ」

 親友の死を、延々と繰り返し体験し続ける主人公。それは一体、どれほどの苦痛だろうか。きっと僕なら耐えられない。自分の身を灼いた方が何倍もマシだ。

「しんみりしているところ悪いのですが、あなた方の切符は……?」

『あっ』

 車掌さんの言葉に、レイナ、シェイン、タオが綺麗にハモった。みんな一斉に自分の鞄やポケットを探るが、何も出てこない。

「え、えっと……この緑の切符、四人分とかには……」

「なりませんね」

 僕の提案はばっさり切り捨てられる。カムパネルラが、しまったというような顔で爪を噛んだ。

「普通はこの汽車に乗ったとき、誰もがいつの間にか切符を与えられるんだ。でも、みんなはこの想区の住人じゃないから、もしかして……」

「おい……すっげえ嫌な予感がするぜ」

 タオが顔を引きつらせると同時に、鳥捕りさんの抱えていた包みが大きく膨れ上がった。

 ヴィランは大きく二種類に分類される。ひとつはカオステラーが想区を混沌に陥れるために使わす恐怖の具現。もうひとつは、僕らのような空白の書を持つ者による、想区への干渉を防ぐ自浄作用の具現。いま、後者が出現する条件が揃ったのを、僕たちは経験から知っていた。

「うわぁああ、なんでぇこれは! あ、あっしの鳥たちがっ!」

「ウィングヴィラン……っ! そんな、鳥獣型のメガ・ヴィランまで……」

「この狭い中で戦わないといけないんですか……なかなか骨が折れそうですね」

 レイナとシェインはとっさに鳥捕りさんの手を引き、通路の側へ飛び出しながら言った。

「カムパネルラ、鳥捕りのおじさん、車掌さん! ここは僕たちが抑えるから、隣の車両に逃げて!」

 僕はすぐに空白の書と導きの栞を取り出す。白の女王とコネクトしようとしたところで、タオの言葉を思い出した。まだ、僕は心の整理ができていない。こんな状況で、彼女は力を貸してくれるだろうか。

「……来てくれ、ジャック!」

 悩んだ挙句、僕はジャックの魂を呼び出すことに決めた。迷いがあってもヴィランは待ってくれない。

「化物でも巨人でも、かかってきやがれ!」

 高らかに叫びながら、ジャックは剣を抜き出した。戦いの中でしか見つけられない答えも、きっとある。

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