【白鳥の停車場】


「う……ううん……はっ!」

 どうやら気を失っていたらしい。がばりと身を起こして現状を確認すると、そこはもう、星空の見える丘の上ではなかった。

「なんだ、ここ……」

 電気はついていて、視界は良好。どうやら室内のようだが、見える範囲に仲間の姿はない。

 いま僕が座っているのは、背の高い二人がけのビロードの椅子。目の前には、向かい合うようにして同じ形の椅子がある。細い通路の反対側には、やはり同じ椅子が二脚、向かい合うようにして並んでいた。

 立ち上がって前後を見渡すと、たくさんの椅子が二列になって、ずらりと縦に並んでいる。ちょうど、大きな直方体の箱の中に、僕の出身想区にある“教会”を詰め込んだような形だった。

 仲間どころか、自分以外の人の気配が全くない。それでも、箱は小刻みに揺れていて、どこかへ向かって移動しているらしいことがわかる。

「馬車……にしては大きすぎるけど……」

 僕はふと外の様子が気になり、室内を反射する大きな窓に顔を近づけた。焦点が窓の表面から、その奥へと切り替わる。ただの暗がりだと思っていた空間には、たくさんの星々が静かにまたたいていた。

「ええっ、嘘でしょ……!?」

 僕は思わず二度見する。そのうえ何度も目をこする。しかし、どれだけ見直しても。丘の上で見上げたはずの“銀河”が、窓の外のすぐ近くに、山や川を織りなして広がっていた。この不思議な馬車は、信じがたいことにのだ。

 さらに右の方へ目を凝らすと、僕の乗っている馬車のが見えた。いくつもの箱を繋いだ蛇のような姿で、大きくうねりながらどこかへ進んでいるらしい。仲間たちは他の箱に飛ばされてしまったのだろうか。

「みんな、ずいぶん走ったけれど追いつかなかったよ。間に合ったのは、ぼくたちだけみたいだね」

 突然、声をかけられる。驚いて振り返ってみれば、向かいの席には見知らぬ少年が座っていた。

「君は、一体……」

 先ほどまでは、確かに誰もいなかった。彼はどこから現れたのだろう。

「寝ぼけているのかい、ジョバンニ。僕はカムパネルラ。他の誰に見えるっていうのさ」

「カム、パネルラ? えっと、ジョバンニじゃなくて、僕はエク……」

 そこまで言いかけて、はっとした。僕の手に握られた“運命の書”。これを所持しているせいで、カムパネルラと名乗った少年は、僕のことをジョバンニという配役の住人だと勘違いしているのかもしれない。

「エク……なんだい?」

「い、いや、なんでもないよ。それよりカムパネルラ、この大きな馬車は何なのかな」

「ふふ……やっぱり寝ぼけているんだね。これは馬車なんかじゃなくて汽車さ。もっとも、動力は石炭じゃなくて、アルコールか何かのようだけれど」

 なるほど、この想区には動物の力を借りなくても走る車があるらしい。未知の技術に心おどったが、その感情を表に出すことはぐっとこらえた。あまり怪しまれると、それこそ運命の歯車を乱してしまいかねない。この想区は、ただでさえカオステラーに脅かされているのだ。事態が深刻化する前に、早く本物のジョバンニを見つけて、運命の書を届けなくては――。

「ああ、しまった。ぼく、水筒もスケッチ帳も忘れてきてしまったよ。ジョバンニのこと笑えないな。でも、そろそろ白鳥の停車場だから……」

 そう言うと、カムパネルラはどこからか円盤のようなものを取り出した。真っ黒な黒曜石の上に宝石のような点が散りばめられていて、まるで銀河の地図のようだ。しかし、いまはそれに見入るよりも先に、しなくてはならないことがある。

「ごめん、カムパネルラ。ちょっとだけ別の箱に行ってくるよ。すぐに戻るから」

「箱? ああ、他の車両のことかな。ふふ、ジョバンニは何だか変だね。わかったよ、いってらっしゃい」

 今回の――?

 疑問には思いつつも、カムパネルラに手を振って、僕は隣の箱――いや、隣の車両に移った。はやくみんなと合流しなくては。そう思って歩きだした瞬間、死角から脇腹をつつかれた。

「新入りさん、いくらなんでも会話が不自然すぎます」

「まあ、坊主にしては上出来だったんじゃねえか。本名を名乗ろうとしたときは焦ったけどよ」

「シェイン、タオ! み、見てたの?」

「はい。シェインたちはこの車両に飛ばされていましたので。こう、扉を少しだけ開けて、鬼ヶ島流奥義“地獄耳”です」

「それ、鬼ヶ島と関係あるのかな……。でも、とにかく合流できてよかった。えっと、レイナは?」

「お嬢なら、まだそこで寝てるぜ。相当疲れてたみてーだからな、起こすのも忍びなくてよ」

「ん……すぅ……」

 ひとつ先のビロードの椅子に、レイナは寝転んでいた。彼女の背負うものの重さを考えれば、タオの気遣いもうなずける。

 “調律の巫女”――レイナはカオステラーにむしばまれた想区を元の形に修復することのできる、おそらく唯一の人間だ。生まれ故郷の想区をカオステラーに破壊されて以来、彼女は同じ脅威にさらされた他の想区を救う旅を続けている。きっと、心の底から休める時間もないのだろう。

「……ん……エクス……」

 急に名前を呼ばれ、僕はどきりとした。喋り声で起こしてしまったかと思ったが、どうやら寝言らしい。

「新入りさん、なかなか隅に置けませんね」

「いや、そんなんじゃないって」

 慌てて否定したものの、なぜか心臓が早鐘を打つのを僕は感じていた。この気持はなんだろう。むかし、幼馴染シンデレラに感じた気持ちそれに近いような――。

「エクス、プレス……はやーい……むにゃ……」

「…………」

 本当にそんなんじゃなかった。レイナは寝ながらにして、自分が高速移動中の乗り物の上だと把握しているらしい。

「坊主……なんつーか、頑張れよ」

 タオに憐れみの目で見られ、僕は乾いた笑いを返すことしかできなかった。

「っん……あれ? 私、いつの間に寝て……」

 そうこうしているうちに、レイナが目を覚ます。目をこすったあと、彼女は大きく伸びをして、僕らの方に視線を向けた。

「おはよう、レイナ。ごめんね、起こしちゃったかな」

「ううん、いいの。わたし、変な寝言とか言ってなかった?」

「さーさー、ポンコツ姫のお目覚めだ。タオ・ファミリー、家族会議の始まりだぜー」

 タオが手のひらを二度打って、答えにくい質問をうまく流してくれた。


 ◆ ◆ ◆


「なるほど……その運命の書を持っているせいで、エクスがジョバンニって子と間違えられているのね」

 だいたいの情報を共有すると、レイナがまとめるように言う。

「でも、そんなことってあり得るのかしら……」

「間違えられてるのは事実なんだから、今のところはそう考えとくしかないんじゃねーのか? ドン・キホーテのおっさんじゃあるまいし、ただの人違いってこともねーだろ」

 タオはぶっきらぼうに答えた。彼はあまり頭を使うのが得意ではないと言っているが、議論が袋小路に入ったときなど、その割り切った考え方に助けられることも多い。

「にしても、そのジョバンニってやつが怪しいな。運命の書を持ち歩かないでいられるなんて、それこそカオステラーくらいのもんだろ」

「まだ、ジョバンニさんがカオステラーと決めつけるには根拠が足りませんけど、最有力候補ではありますね」

 シェインはあごに手を当てて、あれこれ思案している様子だった。

「せめて、カオステラーの影響で、本来の運命からどれだけ外れているのかだけでもわかるといいのですが。今のところは新入りさんにジョバンニさんのふりをしてもらいつつ、シェインたちが本物のジョバンニさんを探すしかなさそうですね」

 三人の視線が僕に向けられた。

「そうだね。ジョバンニがどんな人か全然わからないけど、できるだけ時間を稼いでみるよ」

 他人の運命の書が読めないことを、これほど歯がゆく思う日がくるとは思わなかった。だが、やるしかない。僕が決意を新たにすると、ちょうど汽車は減速を始めた。体が汽車の進行方向に引っ張られる。

『白鳥座、白鳥座……』

 汽車が完全に停止すると、僕は窓の外を見た。カムパネルラがいる隣の車両から、大勢の尼さんシスターたちが降りていく。最初は僕以外だれも乗っていなかった車両なのに、奇妙なことばかり起きる想区だ。

 十一時きっかりを指す時計の下には、“二十分停車”の表示が見て取れた。僕はみんなに目配せすると、車両の扉を開けて外に出る。

「ジョバンニ、用事は済んだ?」

 ちょうど、隣の車両からカムパネルラが降りてくるところだった。僕は手を振って彼に近寄る。

「う、うん。二十分もあるし、その辺を歩こうか」

 カムパネルラは穏やかにうなずいて先を歩き始めた。どうやら間違ったことは言わずに済んだらしい。ほっと胸をなでおろしながら、彼の後ろに続く。

 しばらくぶらりと歩いていると、“プリオシン海岸”と書かれた標札のところで、カムパネルラは遠くを指差した。

「あ、あそこに誰かいるね。何かを掘って……」

「グルルルゥ……グルアアアア……ッ!」

 薄気味悪い声が、遠吠えのように大気を震わす。採掘場と思われる岩場には、無数の獣じみた影がうろついていた。

「な、なんだい、あいつらは……」

「ビーストヴィラン……っ! カムパネルラ、こっちだ!」

 僕はカムパネルラの手を引き、来た道を足早に引き返す。振り返ると、ビーストヴィランは僕たちに気づいてしまったようで、確実に後を追ってきていた。ブギーヴィランより体格が大きく鈍重な印象を受けるが、ひとたび獲物を嗅ぎつけた奴らは狩りをする野生動物のように俊敏だ。追いつかれるのは時間の問題だった。

「カムパネルラ、君はこのまま真っすぐ行って。僕に考えがあるんだ」

「ジョバンニ……でも、運命の書には……」

「大丈夫、必ず戻るから。汽車の中に隠れていて」

 カムパネルラは迷ったように視線をさまよわせる。だが、僕の真剣な目を見ると、渋々といった様子で引き下がった。

「わ、わかった。必ず、この旅を続けようね。約束だよ」

 カムパネルラは、それでも何度か振り返ったあと、汽車の方へ駆けていく。

「さてさて、ようやく俺たちの出番だな」

 入れ替わるように、銀杏いちょうの木の影からタオたちが現れた。シェインは少しそわそわしたように耳をすませている。

「タオ兄、気をつけてください。まだ周りに何かいます」

「クルゥ……クルルルルゥ……」

「おーおー、さっきの尼さんシスターたちかよ。ブギーヴィランこんな姿にされてまで戻ってきてくれるなんて、モテる男は辛いねぇ」

「なに馬鹿なこと言ってるの。この姿にされたから戻ってきたんでしょ」

 レイナの言葉に耳も貸さず、タオは空白の書と導きの栞を取り出した。僕も続いて自分の空白の書を取り出し、今度は栞を裏返してはさみ込む。

「一緒に戦ってくれ、白の女王!」

 僕の魂に、鏡の国の花一輪、白の女王がコネクトする感覚。出典、身分、性別――様々な垣根を越えて、僕たちの魂は共鳴する。大切な何かを、護るために。


 ◆ ◆ ◆


「んもぅ……そろそろ、退いていただけないかしら……」

 魔導書から何発目になるかわからない光の粒子を放ちつつ、白の女王は呟いた。ヴィランの数は徐々に減りつつあるものの、ビーストヴィランの機敏な動きをすべて見切ることは難しく、どうしても背後からの被弾がかさむ。

 白の女王は、おっとりとした外見のとおりヒーラーに分類されるが、その性格は意外にも攻撃的で、そのぶん治癒能力は乏しい。いかなヒーローとはいえ、獰猛どうもうな獣に度重なる攻撃を受けていれば、次第に生命力が失われていく。

 時計うさぎとコネクトしたレイナが懸命にヒールの魔法をかけてくれているが、全員ぶんの回復を一手に担っているため限界はあった。僕は危険を感じ、白の女王とのコネクトを解く。いちど栞を空白の書から外し、表にしてから再び閉じた。

『ああ……置いていかないでちょうだい。わたし、まだ戦えるわ』

 白の女王の声が、僕の心に直接呼びかける。

「ありがとう、白の女王。でも大丈夫、後のことは僕とジャックに任せてっ」

 切り替えの勢いで、ジャックは敵陣に刺突しとつを放つ。群がるブギーヴィランたちは、散り散りなって宙を舞った。

「ふぇあっ! もうこんな時間!?」

 レイナ時計うさぎが杖の先についた時計を見て、耳をぴんと張りつめさせる。見れば、その針は間もなく十一時二十分を指し示そうとしていた。

「やべえ、汽車が出発しちまう!」

 慌ててコネクトを解き、タオが叫んだ。シェインもそれに続き、珍しく焦りの色を顔に浮かべる。

「シェインとしたことが、すっかり時間のことを忘れていました」

「急ぐわよ、みんな!」

 レイナの声が響くより先に、僕たちは足並みをそろえて駆け出していた。

 遠くに見え始めた汽車は、今まさに出発したといった様子で、少しずつ前へ進み始めている。僕たちは、その最後尾の車両を全速力で追いかけた。

「ジョバンニっ!」

 カムパネルラが最後尾の扉を開けて、僕らに手を伸ばしていた。レールも何もない空間を滑るように走る汽車は、徐々に高度を上げて宙へ飛び立とうとしている。

 そこで、背中に悪寒を覚えた。振り返ると、ビーストヴィランの中でも背の高いせ型の一匹が、僕らのすぐ後ろに張りついている。

「みんな、先に乗ってて!」

 僕は走りながら背負った剣をさやから抜き、荒ぶる鼓動を必死に抑えた。ヒーローとコネクトしている余裕はない。いま、ここで、僕がやるしかないのだ。

 研ぎ澄まされた爪が振りかぶられる。向きなおりざま、僕はヴィランめがけて思いきり剣を振るった。

「グルァアアッ!」

 当たった――が、浅すぎる。分厚い毛皮を斬り破るには、人の体ではあまりにも力不足だ。手負いの獅子ししとなったヴィランは怒りに身を任せ、僕めがけて爪を振りおろす。

(あ、まずい……これ、死ぬかも……)

 絶望を形にしたような鉤爪かぎづめが目の前に迫る。そのときだった。何かの弾けるような音が聞こえ、ヴィランがいきなり後ろに吹っ飛ぶ。

「新入りさん、はやく!」

 遅れて、シェイン自作の銃が火を吹いたということを理解した。シェインとレイナは無事に車両へ跳び乗ることができたらしい。タオは扉のふちと車両のくぼみに手足を固定して、僕の方へ目いっぱい腕を伸ばしてくれていた。

「つかまれ、坊主!」

 僕は再び浮かび上がりつつある汽車を追うと、無我夢中で地を蹴り、タオの手をつかむ。次の瞬間、僕の体はふわりと宙へ浮かび上がった。

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