俺の喫煙所

みぺこ

俺の喫煙所

 

 横幅四メートル弱、高さ約二メートル。奥行に至っては一メートル以下の空間。

 飾りっ気もないコンクリの床に、胸下辺りまで手すりが伸びる。

 それが『俺の喫煙所』――俺が住むアパートのベランダだ。


「ふぅ……」


 俺は手すりに肘をつき、いつもの仕草でタバコを咥えて落ちゆく陽を眺めた。

 かたわらには灰皿代わりに設置した空き缶。ゆっくり息を吸うと、その火がじりじりと口元へ迫り肺に煙が満ちる。

 背後にある締め切ったガラス戸の向こう側からは、楽しそうな談笑の声が漏れ聞こえていた。


「盛り上がってんなぁ、オイ……」


 そんな様子にポッと煙を吐き出しながら呟く。

 大学にほど近い俺の部屋は、講義の空き時間や放課後のたまり場として活用されていた。今日も暇を持て余した奴らが続々と集まって、狭くるしい部屋でわいわいとはしゃいでいる。

 それに対して困っているわけでもないが……、こういうときは残念に思う。

 

 部屋の中でタバコが吸えないからだ。


 元々賃貸なので室内で喫煙出来ないのだが、一人だけベランダへ行くというのも仲間はずれになったみたいで少し寂しい。


 ……ま、だからって喫煙ぐらいはゆっくりさせてもらうけどな。


 ゆっくり吸って、深く吐き出す。

 口から漏れ出る紫煙が夕闇へと近づく空気の中へ溶けていき、消える。

 どこか時間の流れが遅くなるような、不思議な錯覚に陥る。

 あるいはそれはタバコの作用なのかもしれないが、そんなことはどうでもいい。


 この時間が、好きだ。


 郊外にあるとはいっても、目の前の風景は別段綺麗なわけでもない。中途半端に開発された街並みは緑もまばらで、癒しなんか与えてくれやしない。

 それでも、吸い込んだ煙が無性に落ち着く。

 ――そんなことをつらつらと考えていたときだ。


「なーにしてんのっ?」


 背後のガラス戸が開き、声をかけられた。遮られていた騒がしい声がはっきりと聞こえる。

 タバコをくわえたまま振り向くと、一人の女性が顔を出していた。髪を明るめに染めた小柄な女性だ。

 彼女はサークルの先輩で、みんなから「さっちん」と呼ばれている。


「何って……、タバコ吸ってんスよ。煙、部屋に入るんで閉めといてくださいよ」


 さっちん先輩は「あー、はいはい」なんて言いながらベランダに出てガラス戸を閉めた。そして喧騒が遠のく。

 わずか数歩の距離で俺に並び、同じように手すりへ肘をつくと首を傾げた。


「……タバコ、吸ってたっけ? 身体に悪いよー?」


「精神には良いんでプラマイとんとんっスね。

 それより、中、いいんスか? 盛り上がってますけど」


 俺はガラス戸の向こうを指差し答えた。

 あいもかわらず賑やかな声が響いている。……近所迷惑になってなきゃいいが。


「まー、私も少し休みたいときはあるっスよ」


 俺の言葉にさっちん先輩は冗談めかして答えた。

 手すりへもたれ掛かる仕草もどこか演技臭い。


「そうっスか」


「そうっス」


 俺たちは小さく笑った。

 口の端から煙が漏れ出て、空気へ消える。

 



「ね? いつから吸ってるの?」


「……二十歳からっスよ?」

 

「キミ、私の一個下で今年二十歳だよね?

 それにしては手慣れてるような……?」


 俺はその問いに答えず、口許まで迫ったタバコを空き缶へ放り込み、両手を挙げ降参のポーズを取った。

 彼女は俺を指差し声をあげる。


「あー、不良だ! いーけないんだ、いけないんだ! 先生に言ってやろー!」


「……先輩、今年いくつでしたっけ?」


「女の子は永遠の十七歳だよ?」


「大丈夫っスか? 酔ってんスか?」


「うわ、この後輩すごく失礼だ!」


 そうしてまた笑う。

 俺はポケットから二本目のタバコを取りだし、火をつけた。

 視線を向けると、先輩は呆れ顔でこちらを見ている。


「まだ吸うの?」


「ういっス。部屋入ってていいっスよ?」


 俺の言葉に先輩は首を振る。


「んーん、まだ居る。……それよりさ――」


「なんスか?」


 答えながら煙をゆっくり吸いこんで、再び肺へ煙を満たす。

 

「――私も一本もらっていい?」


 思わずむせた。

 慌てて喉奥から煙を吐き出し、ごほごほと咳き込みながらさっちん先輩を見る。

 頬をぽりぽり掻き視線をそらす先輩は、夕日のように真っ赤で、それこそ十七歳の少女のようだ。


「そ、そんな驚くことないじゃん」


「……先輩、吸うんスか?」


「やっ、全然吸わないよ!? でもなんかキミがあんまりにも美味しそうにしてるからさ。

 ちょっと吸ってみようかなーって……。駄目?」


「駄目じゃないっスけど……」


 タバコが身体に悪いだなんて誰でも知ってる。

 吸わなくて済むなら吸わない方がいいだなんて喫煙者の俺が言うことでもないが、その通りだ。

 しかし、上目使いでタバコをねだる先輩は少しだけ可愛いなと思ってしまった。

 女性から何かをお願いされるということに慣れていない俺は、迷った末に彼女へタバコを一本手渡した。

 

「あんがと」


「……これで十七歳の先輩も、不良の仲間入りっスね」


「今は二十歳だからいーの」


 そりゃあ都合の良い話で。

 苦笑しながら俺はライターの火をかざす。


「ん……」


 ちろちろ揺れる火が顔を寄せた彼女の艶かしい口先へと移り、燃えはじめた。

 小さく息を吸い込むとタバコの野暮ったい煙に紛れて、女性特有の甘い匂いが香る。


「んぅー……、けほっ……」


「どうっスか、『はじめて』は?」


「……その言い方、セクハラだよ?

 『はじめて』は……ちょっと苦い、かな」


「先輩の発言もセクハラっスよ」


 俺の言葉に先輩は「私はいーの!」と返して、くわえたタバコをぴょこぴょこ揺らす。 



 二本の煙がベランダから空へと立ち上っていった。

 深く伸びる俺の煙。

 時々むせて途切れる彼女の煙。

 二本の煙の行く末は、天井に阻まれて見えない。


 横幅四メートル弱、高さ約二メートル。奥行に至っては一メートル以下の空間。

 近くもないけど、離れもしない。

 『俺の喫煙所』――そこは俺たちみたいなベランダだった。


 

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俺の喫煙所 みぺこ @mipeco-12

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