-未奈-
今この瞬間まで上手にできていたことが、突然できなくなってしまったら。
そんな時に私はどういう反応をすればいいのかなんてわからない。
悲しむ、怒る、ただただ茫然とする、いったい正解はなんだろう?
とりあえず私のとった行動は、負けないことだった。
☆
留学生のアンジェちゃんは、いきなり私の幼馴染にキスをした。
これがイギリス流なのかな? なんて一瞬考えもしたけど、転校初日に異性の唇にキスする文化のある国を私は知りません。
驚いたことはそれだけじゃなくて、その間彼女は私にも視線を送ってきた。
魅入られる、って表現が一番合ってるのかな。ほんの数秒、紅い瞳に吸い込まれるように見つめ合う。
その瞳から解放されると同時に、彼女はゆうくんの唇から離れた。
……べ、別にぃ? 私とゆうくんは付き合ってるわけじゃないしぃ?
ここで二人が何をしようと関係ないけど?
ただ、毎日お世話してる一番仲のいい友達がいきなりキスされてるだけだし?
……ウソです。すこし、ほんとーーーっにすこしだけ胸が痛みました。
だって私は今の生活が、毎日ゆうくんを起こして、食事を用意して、一緒に通う学園生活が何より幸せ。それをいきなり現れた可愛い女の子に崩されてしまいそうで不安でしょうがない。
もちろん、出会ったばかりのアンジェちゃんが私とゆうくんの関係を知っているとは思えないけど、どういうつもりなんだろう。
これは直接聞いてみるしかないよね?
とはいっても、クラスは今えらいこっちゃのお祭り騒ぎ。とてもアンジェちゃんに近寄れる雰囲気じゃないし。新学期初日にして今年最大のセンセーショナルな事件が発生したのだから仕方がないか。佐藤くんなんて奇声を発してるし。
落ち着いたら声をかけにいこう、そう思いながら固まったままの幼馴染と、何事もなかったかのように席に座る彼女を眺めていた。
『あなたにとって必要のない欠片なの――』
急に小さな女の子の声が頭に響く。さらに何かの映像も頭をよぎった。
黒いワンピースの金髪の女の子? 私を見てる?
『――わせにし――げて――』
なに? なんて言ったの? きっと映像の中の少女は私に向かって話しているはずなのに、ノイズが入ったかのように断片的でまったく聞き取れない。
でも、少女は笑顔だった。きっと悲しいことを伝えようとしているわけじゃないんだなっ、てことは理解できた。
見えていた景色もぼんやりとし始め、ついにはテレビの砂嵐のような状況。
もはや何がいるかもわからなくなってきたところで映像の視点が下へと移る。
そこには――
キーンコーンカーンコーン
チャイムの音にハッとする。
あれ? 夢でも見てたのかな、HR終わっちゃった。いかんいかん、新学期初日から寝落ちとかシャレになんないよ。最上先生に見つかってなければいいな。
さて、いつまでも惚けているわけにはいかない、私は動きだす。いったい何がどうなっているのか確かめるために。
まずは幼馴染から、と思ったらすでに教室からいなくなっていた。
まぁそうだよねぇ、佐藤くんだいぶイッちゃってたからなぁ。ゆうくん、ご武運を。骨は拾ってあげるよ。鞄は机の横にあるし、戻ってくるでしょう。
じゃあ留学生だ! と視線を移すと、ちょうど最上先生に連れられて教室を出て行ってしまった。こっちもかーい。
もうしょうがないなぁ。今日は始業式とHRしかないからあとは帰るだけ。時間だけはあるから待っててあげよう。今日のお昼は何を作ってあげようかな?
「あらあら、先程はずいぶんと大人しくされていて心配してしまいましたが、どこか気分でも優れないのかしら?」
冷蔵庫にある食材を思い出していたら、ふと鏡子ちゃんが声をかけてきた。先程とは事件後のことだろう。
「うーん、恥ずかしながら寝ちゃったみたいで。正直何も覚えてません!」
てへへ、と決まりが悪い笑顔を浮かべながら窓際の鏡子ちゃんの席へ向かう。
「あらあら、旦那は必死で駆け回っているのに、奥様は居眠りだなんて気楽なものね」
鏡子ちゃんは外へと視線を移す。そこには逃げまわるゆうくんの姿があった。
「ううぅ、違うの鏡子ちゃん。彼は組織から追われる身。私がどんなに望んでいっしょになりたくても、世界が赦してくれないの……」
よよよ、と泣き真似しながら鏡子ちゃんにしなだれかかる。
すると鏡子ちゃんは優しく、まるで泣き止まない子供を包み込むように豊満なお胸で抱きしめてくれた。ふわふわ~いい香り~でゅふふ、いやいやまったく、けしからん乳しおって。しばらく離れてやるものか。
「鏡子ちゃん、とっても可愛い子だったね~アンジェちゃん。いきなりチッスは驚いたけど」
胸に顔をうずめながら話しかけ、私は事件映像を思い出していた。日本に来たのは魔法を完成させるため、って言ってたけど、そのこととゆうくんは関係があるのかしら。
少しの沈黙の後、
「松林さん、あなたは気が付いていたのかしら?」
鏡子ちゃんの口調が変わったような気がする。いつもより鋭いというか冷たいというか。
「ほぇ? なになに? なんのこと?」
視線だけ合わせるものの、予想外に真剣な顔をした鏡子ちゃんに、思わずビクッとしてしまい胸を掴んでいる指に力が入ってしまった。
「……いえ、いいのです。何も起きなかった、それだけのこと」
「ふうん?」
「ええ、余計なことですもの、お気になさらずに。ですが、お気をつけて。あんな娘、私存じ上げませんので……。ところで――」
明らかに話をそらされてしまったが、鏡子ちゃんの表情がいつものように戻ったところを見ると、この話は終わり、ということなんだな。
鏡子ちゃんのお迎えが来るまで、私たちは流行りの服や店、アイドルと他愛もない話で盛りあがった。
――2時間後
もうすぐお昼になろうという時、先に戻ってきたのはアンジェちゃんだった。
教室には他に誰もおらずふたりだけで、人見知りするほうではないけどなんとなく緊張してしまう。思い切って声をかけた。
「あ、あのアンジェちゃん。初めまして、松林未奈です。すこしだけお話しする時間もらえるかな? 予定とかあったらぜんぜん大丈夫だから」
「あらミナ。初めまして、だなんて寂しいわ? あなたには記憶操作をした覚えはないんだけど。10年前のこと、衝撃的すぎて本能的に忘れちゃったのかしら?」
予想だにしない彼女の返答に、私はさっそく頭が追い付かない。
アンジェちゃんはゆっくりと私に近づくと、向かいに立ち両手を握ってきた。そしておもむろに口元は何かを唱え始める。じんわりと握られた手から熱が伝わってくる。
これは魔法?
「え、え? 10年前? アンジェちゃんと、会ったことがある、の? あれ? あれ……? だめ、だめだよ、やめて、やめてぇ!」
私は手を振りほどくと、その場にへたり込む。恐怖や嫌悪といった感情ではないけど、これ以上は無理だダメだと身体が勝手に反応したみたい。
「ごめんなさいミナ、あなたの記憶を覗かせてもらった。もしかしたら、今のあなたは私の知るミナではないのかもしれない。でもね、間違いなく私はあなたと10年前に確実に友達だったアンジェラ=チャーチル・ブリジット。再会できて嬉しいよ。私と交わした約束も守ってくれてるみたいだし」
なんだろうこの感じ。アンジェちゃんとは今日初めて会ったと認識しているはずなのに、身体のどこかはそれをエラーだと私に訴えかけてくる。どっちが正解なのかわからない、もしかしたら両方正解なのかもしれない。
要するに、私には理解することができない。
「アンジェちゃんは私と友達で何か約束も交わした……。それなのに私は……、ごめんなさい、思い出せないの」
「いいよミナ、小さい頃の記憶をまったく欠けずに覚えている人間なんて、私の知る限り存在しないわ。アレはミナにとって忘れてしまったほうがいい記憶だったのかもしれないし、結果はどうあれ再会することができた」
そういうとアンジェちゃんはへたり込んだままの私に手を差し出してくれた。
その手を取り立ち上がると、アンジェちゃんは私に抱き着いてきた。
「ただいまミナ、本当に会いたかったよ」
再会を喜ぶ彼女の気持ちが、私に思い出すことのできない罪悪感を植え付ける。少しでも思い出せないかと必死で記憶をあさるも、10年前に外国人の、しかも魔法使いの友達がいた記憶は出てこない……。小さい頃の記憶だからと片付けてしまうのは申し訳なくなってしまう。
「あ、ミナは私にお話しがあるんじゃなかったの?」
彼女は私の身体から離れると、ご機嫌な様子で問いかけてきた。
そういえばそうだった。あまりの出来事にすっかり忘れていたよ。人間て本当に忘れやすいなぁ。私だけ?
「うん、アンジェちゃんはどうして、その、ゆうくん、いや新川くんにキスをしたのかな?」
当初の目標にやっと辿りつくことができました。
「ん? あれ? あれはただのキスじゃないよ、相手を従属契約させる禁術だよ」
???
おやおや。この金髪ツインテールロリ娘は可愛い声で何をおっしゃっているのだろう。ゆうくんを何だって? 従属? 契約? 禁術?
またしても私の頭は追い付くことができそうにない。
不自然な笑顔で固まる私を見て、
「昔私のこと教えてあげたのに~、本当に何も覚えてないんだね~」
しょうがないな~、と苦笑いすると、アンジェちゃんは自分のことを話してくれた。ブリジット家のこと、さっき記憶を覗いたというものも含め禁術のこと、彼女が優秀なこと、これは誰にも話してはいけないということ。
こんなに特別な記憶を、私は忘れてしまったというの?
「どう? 理解できたかな?」
「う、うん。アンジェちゃんのことはわかったけど、ゆうくんにどうして禁術をかけたの?」
「フフフ、それはあの時言った通り、私の魔法を完成させるため。そのためには彼がどうしても必要なの」
「ゆうくんが、必要?」
いったいアンジェちゃんとゆうくんに、どんな関係があるというのか。
「そう、彼が幸せになるためにも、どうしても必要なの。だから私から離れられないように服従させようとしたんだけど、だけどなぁ……」
はぁ、と溜息をつきながら彼女は首を横に振る。
「いきなりすべてが上手くはいかないものね、まったくイヤになっちゃう。新しく作戦を練り直さなきゃ」
たはは、苦笑いをしつつ首をかしげる彼女。
あらもうこんな時間、時計に目をやったアンジェちゃんは自身の机から鞄を取ると、また明日! とひと声。教室の出口へと向かう。
このまま帰られては、彼女の目的は何となく知れたものの、私の質問への答えはまだ聞けていない気がする。
「ま、待ってアンジェちゃん! アンジェちゃんはゆうくんのことを、あの、その……、好きなのかな?」
おそらく聞きたかったことはこういうことだったんだ。もう考えてる余裕がなくなった私はストレートを投げてみた。すると、
「好きよ? 決まってるじゃない」
カッキーンッ! 見事に打ち返され、間髪入れずにアンジェちゃんは答えた。
さらに、
「だから、私が彼を幸せにしてあげるの」
とびきりの笑顔まで付いてきた! そして打球は高々と放物線を描き悠々とフェンスを越えていく。
私の幸せは、今のゆうくんとの生活。突然彼なしの生活になるなんて考えられない。きっと何もかもが手に付かなくなってしまう。
「でも、それは今すぐじゃないわ。ミナ、私との約束を思い出してね。きっと忘れ去ったわけではないはずだから。もし思い出せなかったその時には、私はふたりの前から記憶とともに消え去る」
アンジェちゃんは真剣な眼差しで私を見つめていた。それだけ重要で、伝えたいことなんだ。
だから私も真面目に答える。偽りのない答えを。
「わかったよアンジェちゃん。きっとすぐに思い出してみせる。でも、ゆうくんのことは受け入れられないな」
今度は私が彼女の瞳をまっすぐ射抜く。
「彼を幸せにするのは、私の役目なんだから」
伝えた。伝えてしまった。もう引くことはできない。
私の気持ちを聞いたアンジェちゃんは少し驚いたようだったけど、安心したように微笑みながら、
「なんだ、やっぱり忘れてるわけじゃないみたいね。よかった~」
ほっ、と息を吐いた。
「あ! もうほんとに時間なくなっちゃう! そろそろ戻ってきちゃうみたいだから失礼するわ。ミナ、また後でお話しましょ☆」
そして彼女は可愛くウィンクすると教室から去っていった。
その後すぐに、今度はゆうくんが教室に戻ってきた。
彼にも聞かなきゃいけないことがある。とっても大事なことが。
さっきアンジェちゃんに伝えたことで、自分の中でも気持ちを今まで以上に認識することになった私は、その気持ちが彼に迷惑をかけてしまっていないかとても心配になってしまった。もし私のひとり相撲だったのなら、この1年以上過ごしてきた生活が無意味になってしまうわけだし。
何度か彼が私に話しかけていたようだけど、まったく耳に入ってこない。
ちょうど背中を向けていた彼に、私は思いをぶつけることにした。
「ゆうくん、今幸せ?」
窓を閉めて振り返った彼の胸に飛び込む。
少しでも不安が伝わらないように。
「ど、どうしたんだよ急に?」
明らかにゆうくんは動揺しているけど、彼の気持ちが聞けるまで離れません。
「答えて」
それに、私は気付いてしまったことがもうひとつある。
「し、幸せ、で……す」
ゆうくんは言ってくれた。私との生活が幸せだと言ってくれた。
こんなに嬉しい気持ちになれたことは、今まで記憶にない。私の気持ちは昂っていく。
「えへへ~幸せですか~。じゃあ、もうひとつついでに」
きっと出会った瞬間からそうだったんだろう、そうに違いない。
好きです あなたのことが 大好きです
嘘偽りのないこの気持ちを伝えるにはどうしたらいいか……。そうだ! 私と同じ気持ちの女の子がもう一人いるじゃないか。しかもキスまでしてる女の子が。
ふむ、手段は釈然としないけど、同じ土俵に上がらないとね。うん、仕方がないよね?
頭の中で自分を納得させる。そうして私は彼に体重を預けた。
「私とも契約してくれる?」
アンジェちゃんが使ったという魔法を真似て、
「私、負けないんだから――」
私、松林未奈は生まれて初めて告白? をした。
ふたりのヒメと ようすけ @00230027
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