第7話 僕

 ここはどこでしょう。まっくらです。

 ぼくはだれでしょう。わかりません。

 ここにくるまえにどこにいたのか、なにをしていたのか、それもわかりません。

 わたしはなんなのでしょう。

 わかるのは、じぶんにいしきがあるということぐらいです。わたしというのは、いったいなんなのでしょうか。このいしきがわたしなのでしょうか。

 かんがえることができる、ことばがわかる。つまりわたしにはいしきだけでなく、ちしきがあるようです。

 そうおもっていると、ふいにぴりぴりとからだがしびれました。ぼくにはかんかくと、からだもあるようです。

 そのしゅんかん、しかいがひらけました。

 ぼんやりといろいろなものがみえてきます。

 ぼくのめにうつったのは、たくさんのせかいでした。おなじばしょに、かさなりあうようにしておおくのせかいがそんざいし、たがいにえいきょうをあたえています。

 それらがあつまってひとつのおおきなせかいをつくっています。

 そのせかいにはぐるぐるとうずまくちからがみちていました。それはたいふうのようにぐるぐるとめをつくって、ところどころにしゅうちゅうしています。そこからたまに、ぽこぽこ、とへんないきものたちがうまれてはきえていきます。

 せかいじゅうを、そのちからはぐるぐるとじゅんかんしているようでした。

 そのちからは、いろいろなせかいをつうかして、いろいろないろにそまり、ほかのせかいにながれこみ、そのせかいにえいきょうをあたえ、またちからじしんもえいきょうをうけ、ちがうせかいへとながれていきます。


「〜〜〜〜〜〜」


 ふと、どこかでこえがきこえました。わたしをよんでいるようなきがします。

 こえのほうへ、いしきをむけてみると、それは、へんないきものがたくさんいるせかいからきこえていました。

 ようかい、というせかいです。そこのかたすみで、みどりいろをしたへんないきものがさけんでいました。


「〜〜〜〜〜〜」


 わたしには、そのこえがちゃんときこえません。うまくぴんとがあわないような、みみにみずがはいったような、ぼんやりとしたかんじにしかきこえません。

 いいえ、きこえないのではありません。

 おもいだせないのです。


「〜〜〜〜〜〜」


 さけんでいるそのみどりのいきものをみていると、むねがざわざわしてきました。

 おもいださねばいけない、というきがしてきます。

 あせりがぼくのなかにうまれました。

 ぼくは、思い出さねばいけないのです。

 なにか急激にピントが合っていくような感覚がしました。頭の中がぐるぐるとシェイクされ、バラバラになっていた『ぼく』というカケラが真ん中に集まってきます。

 緑の変な生きモノ――カッパ。彼が叫びます。


「山田太郎!」


 思い出しました。ぼくの名前。ぼくは山田太郎。人間です。

 その瞬間、たくさん見えていた世界がいきなり見えなくなりました。たったひとつの世界しか見えなくなりました。

 そしてその台風の目みたいな力の中心にぼくの意識は吸い込まれていきます。ぐいぐいと回転する力で広がっていたぼくの体はぎゅうと小さく固められていきます。

 ぼくは彼の言ったことを思い出しました。


 ――自分の名前を思い出し、自分の姿を描くこと。


 言われたとおりにぼくはします。想像した自分の姿を、頭の中に描きます。それに答えるように、ぼくの体が徐々に姿を取り戻していきました。

 ぐるぐるぐるぐる、回りながらもとの姿に戻っていたぼくは胸につかえを感じました。回りすぎて酔ってしまったようです。思わず、うぇ、とはき出すと、ぼくの口から、ぽん、とひとつの黒い塊がはじけ飛びました。

 それが出て行った瞬間、胸だけでなく、ぼくの中全体が、とてもすっきりしたのがわかりました。

 ぼく、山田太郎は、自分の姿をきちんと取り戻し、彼の前に立ちました。


「おかえりなさい、坊っちゃん」

「ただいま戻りました」

「妖怪がなにか、わかっていただけましたか?」

「はい」


 今になってようやくわかりました。妖怪とはなんなのか、それがわかったような気がします。

 しかし、それは、きちんと言葉にしようとした瞬間、指の間から砂がこぼれていくように、言葉に出来ず失われてしまいます。


「それでいいのです」


 同時に、目の前の彼の姿がおぼろげになっていきます。


「われわれはひとに理解されると、非常にいきるのがしんどいのです。ですから理解できたと思った人の頭から、われわれは消えていくのです」


 最初から、別れは決まっていたようでした。そのことが今のぼくにはわかります。頭の中がグルグルと回って、足下がふらふらとします。


「坊っちゃん、助けていただいてありがとうございました。これで、お礼になったでしょうか?」


 おぼろげになる彼は最後にそう言って笑いました。


 ――ぼくの方こそ助けていただいてありがとうございます。


 その言葉はきちんと彼に届いたでしょうか。

 ふらり。

 ぼくは意識をまたも失ってしまったのでした。



 *



 夕暮れの川辺で、僕は目を覚ました。

 どうして僕はこんなところで寝ていたのだろうか。それを思い出そうとしたけれど、思い出すことが出来なかった。ただ、とても長い夢を見ていた気がする。

 うーん、と一つ伸びをする。

 こんなところで寝ていた割に、体は眠る前よりも軽くなっていた。頭も心なしかはっきりしているような気がする。

 思ったよりも遅い時間になってしまった。早く帰らないと母が心配するだろう。

 立ち上がろうとした僕は、ふと、僕は足下にきゅうりが落ちていることに気づいた。

「なんでこんなところに?」

 拾い上げてみたそれを見て、何かを思い出しそうな気がしたが、結局思い出せず、僕はそれをぽいっと川に放り投げた。

 綺麗な放物線を描いたきゅうりは、ぽちゃん、と川に落っこちた。



                           了

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ある日、河童に連れられて 晴丸 @haremaru

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