うみんちゅ

@wakin

第1話

 ここは海上に丸太で組み上げられた平屋。床に上がり広々とした中を見る。壁に大きく開いた窓の向こうに青く輝く大洋が見える。部屋の中には照明の類は見当たらないが、大きな窓からの光で部屋は十分に明るい。夜には火の入れられたランプが壁に並ぶ。天井は低く、背の高い大人ならば中央に渡っているはりに注意しなければならない。圧迫感の割りに風が良く通っている。窓から身を乗り出す。青い青い海が広がって手前になるほど砂地の白がはっきりしてくる。手元を見下ろす。平屋の影が水に落ちて、そこを気持ちよさそうに魚が回遊している。ゆらゆら揺れる魚が、同じように揺れる屋根の影と遊んでいる。ここは浅瀬で、泳ぐ魚たちの脅威となるような大型の肉食の魚は入らない。そのことを知っている魚たちが、この平屋の陰になったところを泳いでいる。

 窓と窓の間の丸い支柱には、赤い面が掛けてある。目が三角形をしていて少し怖い表情だが、耳の飾りがきらきらとしている。子供の手には届かない位置にあって、部屋全体を見下ろすように少し傾けてある。部屋の出入り口まで走ると重い木の音がする。

 部屋から出て少しある桟橋を歩く。その桟橋は白い砂浜へ続いている。幅はひと二人が並んで歩ける程。波は穏やかで、杭を飲み込むでなくゆらゆらしている。空気に溶けた潮の匂いを吸い込むと、それは私の体の中で熱を持った。地上にいるべき人間なのに、私は魚のように水を求めた。日差しが私を焼いてくる。空気は熱を持って私の中で膨張する。今の私ならきっと、水の中の方が楽に呼吸することが出来る。この広い広い海を自由に泳いでいける。桟橋の中ほどまで歩いたところで私はくるりと体の向きを変える。青い海を背景にして建つ平屋へ、いやその向こうの海へ、私は駆けて、飛び出した。

 すうーっと水に入っていった。どこか遠くで水と空気の交じり合う音がした。私の中から熱が消えていく。何かに抱かれているような気持ちになる。私は自分の好きな泳ぎ方で泳いでいく。水底の砂に触れ、舞い上がる砂粒をそのままに奥の水色の深いところへ行く。そこではやや大きな魚がいて、私の自由な泳ぎを見て目を丸くしている。海面へ出る。熱い日差しがそこはお前の居場所じゃないぞと警告してくる。親に小言を言われたような気がして私は意地になり、吸い込めるだけの息を胸に貯めて水の中に潜る。砂地の底まで水を蹴り、仰向けになって手足を流されるままにする。少しずつ、息を吐く。小さな泡を口から上らせて、海面にたどり着くまでの様子を眺める。ひとつ大きな波が私の体を揺らしていく。水の底で私は揺りかごを思い出す。背中に砂地が触れる感覚がある。そのまま動かない。波が私を押さえつけている。海が私を放さない。私は少し、そのままでいる。そうしていつまでこのままでいようかと考える。いれるのなら、いつまでもいたい。肌に触れる水の感触は優しい。焼け付くような日差しもここでは無邪気な子供の笑い声のよう。胸の中に隠し持っている空気をすべて海水に変えることが出来たら、私はこの先ずっとこのままでいられるだろう。

 水から上がる。体が重くなる。胸の中に新しい空気を取り入れる。海を振り返る。海は私を陸に上がる裏切り者だと見るだろうか。ずっとここにいなさいと言ってくれた海は、私にもう一度同じ景色を見せてくれるだろうか。足の裏に体重が掛かる。ぎゅうっと踏みつける。海の中ではあんなに優しくいられたのに、陸の上の私は乱暴で意地っ張りだ。足の裏に砂が張り付く。乾きだしたところからべたべたとしてくる。体が水を欲している。急に波の音が大きく聞こえる。私は振り返らず、素足のまま陸の上を駆ける。

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