最終話 今始まる「物語」
〈アクセル・スレイヴァ〉の士官や警備隊たちは何度も試みた盗賊団との対話をあきらめ、すでに突入に行動を移していた。最も近い入口から偵察部隊を先行させながら侵入する。
もちろん、全隊が突入するわけではない。上級士官や警備隊の幹部たちは一部の手勢とともに報告を待つ。
そんな中、地鳴りが響き大地が震動した。それは震源が近づいてくるかのように激しくなり、乾いた大地にひび割れを走らせる。
「なんだ……?」
大地は一瞬、立っていられないほど震動した後、唐突に止まる。
「あれを!」
上級士官の一人が叫び、指をさす。
皆の視線が注がれる先、土煙が立ち昇る。それも、あきらかにただごとではないほど空高く、勢い良く。
街ひとつ飲み込みそうなほどの土煙が拡散していき薄れると、舞い上がった土埃より濃い土色の巨体がさらけだされていく。
「地竜だ!」
磨き上げた岩のような土色の滑らかな鱗に覆われた竜が、鉤爪の突き出た大きな翼を広げて空中から人々を見下ろす。
その口に、〈アクセル・スレイヴァ〉の士官たちは強い魔力の光を見つけて口々に声を上げた。地竜の牙に刀身を咥えられ陽を照り返すのは、一振りの剣。
「あの剣はもしや……」
「〈
その場にいる誰もが同じ剣の名を思い浮かべていた。
剣の持ち主が魔法研究所から消えたことはすでに彼らも把握している。おそらく、その剣の所有者が先ほど目を逃れて通過していった者だろうとも。
「おそらく、地下に巣があったんだろうな」
多くの竜は高地を好むが、地竜は休眠するときには地中を好む。そして、竜族は全般が輝く物や魔力を帯びた物を好み、集める習性があった。
盗賊団〈黒龍の牙〉のアジトは地下にあり、アリの巣のように縦横無尽に広がっている。そこを掘ろうしたところ、地竜の巣を掘り当ててしまったのだろう。この場にいる人々はそう理解した。
しかし、〈アクセル・スレイヴァ〉としては剣を失うわけにはいかない。二人の上級士官が白い偽翼をはばたかせて地竜を追いかけようとする。だが土埃が視界を奪い、巨大な竜の翼が巻き起こす強風が行く手を遮った。無理に追えば激しい気流に巻き込まれ地面に叩きつけられてしまうだろう。
「〈ヴァルスランク〉!」
危険を冒し魔法を放つ上級士官もいるが、光弾は届かない。空高く舞い上がった地竜は一気に彼方へ遠ざかる。
こうなってはもはや、見送るしかなかった。地竜もまた保護すべき魔法生物であり、無理な攻撃はできない。
地竜が山並みの向こうに姿を消したころには、周囲にまだ漂っていた土埃もかなり落ち着いていた。
「誰かいる……?」
荒野の上に横たわる小さな人間らしきものの輪郭が稜線の合間に見え、一同は今度は何か、と身がまえる。
やがて全容があきらかとなると、彼らは警戒を解く。
そこには、身なりのいい青年が横たわっている。聖王都ネタンである程度以上の地位にある者なら、一度はその顔を見たことがある。
数名の警備隊員が駆け寄り、状態を確かめた。
「ニットン・ジェルフです。無事のようです」
それを聞くと、人々はいくらが安堵して緊張を解いく。風は嘘のようになくなり、地竜が空けた大きな穴だけが地上での騒動の痕跡を残していた。
「良かったのラッセル。一言交わすこともないままで?」
荒野にまばらに生えた木の陰で、少女が声をひそめて尋ねた。彼女のとなり、岩陰には一人の少年がうずくまっている。
「いいんだよ。そんなことをしたら生きていることがバレるだろう」
「自由の身の方が確かに気楽だけれど。でも、キミは戻って魔法を学び続けたいんだろう?」
「魔法を学ぶのは、旅をしながらでもできるかもしれない。それに魔女は学院に戻れないだろう」
相手のことばを聞き、魔女は少し仕方なさそうに苦笑した。
「わたしは学院に戻りたいわけじゃないよ。だって、突然魔法が使えるようになるのもおかしいし、あのまま学生としていても嫌なことも多いだろう」
それもその通りだ、と少年は思った。女学生としての彼女は魔力の無さが原因で、魔術師の卵としては匙を投げられそうなところだった。そのまま魔力のない女学生を演じ続けても、楽しいことにはならないだろう。
「それに、旅はいつでもできる。先は長いんだから。でも、キミが学生として過ごせる時間は長くても数年で、限られているね。その貴重なかけがえのない時間を、わたしに気をつかって失うことはないよ」
「でも……色々と難しいことがあるんじゃないか? 僕個人には大した経済力も持ち物もないぞ」
『それは魔法でどうにでもできるだろう』
ラッセルの懐で魔剣の知性、ウイングが声を響かせる。
召喚された地竜が咥えて飛び去っていた、魔力を帯びた剣。あれは、魔法で幻を被せられた模造刀だった。〈生命の剣〉は未だ少年の手の内にある。
「一見どうにもできないことをどうにかするのが、魔法の本来の役目だからね」
魔女はほほ笑み、手にした魔法の杖を軽く掲げた。
エレオーシュ魔法研究所の塔から消えた〈世棄ての魔女〉は行方不明のまま行き先知れず、ラッセル・ジェルフと同時に失踪した女学生の二人は、おそらく地竜と遭遇した際に命を落としたのだろうと目されていた。
ニットン・ジェルフはほぼ無傷で戻り、ジェルフ商会は通常通りに運営されていた。ニットンの代用品を失ったことなど表沙汰にされることもなかった。もともと、公式には存在していないのだから。
世間を巡った情報は、魔法研究所の学生が魔法剣を持っていた、彼が盗賊団のアジトに侵入し死んだらしい、というだけのものだ。痛ましいと眉をひそめる者もいるが、一般の者たちの中ではやがて忘れられていく類のものだ。
案の定一週間もすると、世界のすべてはそれがもともとあるべき姿だったようによどみなく動き続ける。
ただ、ランツという名の町から引き払うことになった老執事がしばらくの間家としていた建物を出る寸前、一通の手紙を受け取ったが、それは受取人と差出人のみが内容を知るだけに終わった。
「なんだか、人が減ったように見えるな」
湖を望む庭を見渡し、古城の柱の台座のような出っ張りに腰を下ろした少年がぼやく。今は昼休みで、建物の外に出ている学生の姿が多い。
「実際には、せいぜい三人いなくなっただけの話だがな」
武闘着に似た身軽な格好の女学生が冷静に言う。ラッセルとルフェンダは行方不明のまま、ハイドラは一度は無事に戻ったが自主退学してここを去っていた。
「なんだ、セタン。寂しいのか」
「そういうわけじゃ……まあ、ラッセルはイトリ姉より話しやすいところもあったけどさ」
似ていない姉弟がことばを交わすそこに、備え役の巡回が近づいていた。大きなトカゲを人型にしたようなシュレール族の戦士と、飾り玉のついた帽子やマントなど派手な服装の、顔の上半分を仮面で覆った魔術師。
「道化師さん、何かあの二人の気配とか感じないの?」
強力な魔術師なら、いなくなった者の痕跡を探せるかもしれない。セタンはそう考えたらしかった。
「近くで強力な魔法でも使われないと感知してもその二人だと認識できない。ここは魔力の発生源が多過ぎるからな。遺体は見つかっていないんだ、生きているならそのうちわかるだろう」
「そうかなぁ。〈アクセル・スレイヴァ〉が黙っていないんじゃ……」
セタンはそう水を差した。
剣を失ったラッセルは普通の学生として復帰できるかもしれないが、ルフェンダはそうもいかない。同時に消えた〈世棄ての魔女〉、あれ以来見なくなった白いフクロウ――薄々、関わりがある者は気づいていた。
もし〈世棄ての魔女〉が姿を見せれば、〈アクセル・スレイヴァ〉は捕らえようとするだろう。
「〈アクセル・スレイヴァ〉は魔女と女生徒が同一人物とは知らないだろう」
道化師は平然と言う。
魔術師は〈アクセル・スレイヴァ〉の管理下にあるが、ルフェンダが〈世棄ての魔女〉であることを知る魔術師はごく一部だけだ。その一部さえ口をつぐんでいれば、二人は元通りの学生生活に戻れる。
「なら、二人は戻ってくれさえすればいいわけだ」
紺色のローブの少年魔術師の声が、明るい響きを帯びる。
「そう上手くいくかねえ」
今度は、別の声がセタンのことばに水を差す。建物の陰から現われたのは黒衣の上級生だ。
「そのまま戻って来るってことは、あいつは家に生存を知られてまた代用品に戻るってことだ」
果たして、ラッセルはそれを望むだろうか。
「せっかく代用品じゃなくなった、って言っても、ここで暮らしたいならそうするしかないんだろ?」
「それはそうだけどな」
せっかく解放された運命、自分だけの物語の始まり。
自分の望んだ居場所。ただ、そこにいるためには費用も掛かり、代償に代用品というしがらみもついてくる。
――どちらを選ぶか。
答えは出ないまま、昼休みは過ぎていった。
しかし、午後の最初の授業で若い魔術師の卵はそれを目にする。
「今日はみんなにお知らせがあるわ」
アキュリア・テルミ教授のとなりには二人の人物がいた。
一人は、マルビニット・シヴァルド学長。
そして、もう一人は見覚えのある顔の少年。
「今日からここで学ぶ編入性を紹介しよう」
学長が口を開くと、わずかにざわめいていた学生たちも静まり返る。
「ラッセル・イミテージくんだ。エレオーシュの町からここに通うことになる。新しい仲間として受け入れ欲しい」
「初めまして、よろしくお願いします」
少年は覚えのある者には聞き慣れた声で言い、軽く会釈した。
誰もがある同じ名前の少年を思い浮かべたが、当然授業中はそれに触れる者はなく、教授たちも全くの別人として扱い一日の授業がすべて終わる。
やがて教室から散っていく水色のローブ姿の中、立ち去る編入生の背中を追いかける者が一人。
「おい、ラッセル。よく戻って来たなお前」
嬉しそうな声に、しかし編入生は立ち止まり、
「誰だ? 他人の空似だな」
気のない返事をして再び歩き出す。それにセタンは追いすがった。
「いや、他人じゃないだろ。まさか記憶喪失でもあるまいし。ドッペルゲンガーとか、そんな訳もないだろうし」
「世界には、自分と瓜二つの存在が二人はいるらしいぞ」
遠巻きに眺める一部の学生たちにも、どういうことかとざわめきが起きる。もしかして、似ているだけの他人なのか、と。
「僕は授業が終わったから帰るんだよ。エレオーシュに姉と家を借りている。ついてこられては迷惑だ」
「いいだろ、べつに。外出許可ならすぐ取れるし」
「あのな……いや、気が変わった。ここには図書館があるんだろう? ついてくるなら案内してくれ」
彼は不意に足を止める。
どうやら他人の空似らしい。周囲に残っていた多くの学生たちはそう思ったのか、もともとそれほど興味もなくただ帰路についたのか、姿を消していた。
人の姿がまばらな中、セタンは嬉々としてラッセルを先導し始めた。
しかし、まだ図書館の建物も見えないその途中、一羽の白いフクロウが彼らの頭上を羽ばたいていく。
「あ、シロ!」
セタンは足を向ける先を変えた。白い翼が向かう先は、湖畔の木々の間だ。枝の上に翼を休めたフクロウの下に二人の少年は駆け付けた。
「あのフクロウが戻って来たってことは、やっぱり」
「それはそうだろう」
ラッセルが当然のことのように言った。相手が目を見開くのもかまわず、彼は淡々とことばを続ける。
「セタン、あんな人の目の多いところでそんなことを言えるか考えろよ。おかげで別人のフリはできたけど……て、痛っ」
「ひでーな! 一瞬信じたじゃねーか!」
背中をバシバシ叩かれ、ラッセルは一歩跳び退いて逃げる。
「でも、それならどうやって入学金とか用意したんだ?」
「魔法の道具は高く売れるんだってさ」
ルフェンダはいつも持っていた杖を売った。古城に封じられていたものを抽選で当てた魔法の能力を秘めた杖だが、自在に魔法を操ることのできる今の彼女には必要のない物だ。
それでもせいぜい入学金と当面の生活費くらいにしかならないが、優秀な魔術師なら金を稼ぐことは難しくない。
「じゃあ、ルフェンダもこの生活に納得してんだな」
エレオーシュの町に待つ姉。それがルフェンダであることは明白だ。
「こういう生活も楽しそうだとさ」
誰かと一緒にひとつの家で暮らし、家計を同じくして日々を送る。一般の人間なら当然のようにするはずのその生活こそ、長きを生きる魔女にとってはなかなかなかった体験のようだった。
「ふーん。二人きりで暮らすなんて、なんか照れそうだな。そのうち姉弟とは違う関係になっていたりして」
意味深長な声色で言い目を細めるセタンにラッセルがことばを返す前に、
『悪いな、二人きりではなくて』
ウイングが編入生の少年の懐から人ならぬ響きを帯びた声を上げ、二人の少年は苦笑した。
〈了〉
始まらない物語~spare's story~ Kimy @Lui_stardustS
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